26歳まで荻窪に住んでいたわたしは、駅から徒歩1分の健康ランド「湯〜とぴあ」を、そのまんまユートピアとしていた。
 今より仕事が忙しく、終電や深夜タクシーで24時間営業の「湯〜とぴあ」へ直行し風呂&マッサージがわたしの蘇生コース。マッサージ師さんの深夜シフトに60歳前後の関西出身のおばちゃんがいて、そのおばちゃんに当たると、前半はおばちゃんのトークでなごみ、いつしか睡眠といった感じだった。
 おばちゃんの不思議なところは、一ヶ月ほど空けて行っても“前回の続き”から話し始めること。午前3時、いびきをかく爆睡おっさんばかりのなか、おしゃべりする女子なんてごく少数だったからかもしれない。「背中が90度に曲がった浮浪者のおっちゃん」「手に乗らないおばちゃんのペットの手乗り文鳥・ピーちゃん」などの強弱がついたしゃべりとマッサージで、どんなに癒してもらっていたことか。

 しばし懐かしい思い出にひたるも、その時期おばちゃんにしか身体にタッチされていなかった事実。過去の自分に警鐘も鳴ったところで、今回は「マッサージ通いをする女子」のモテを考えたいと思います。

 人々の疲れに比例して、マッサージ環境はますます整ってきています。今は各国のリラクゼーションマッサージがわたしたちを手招きしてくれており、タイ式、バリ式、英国式、、インド式、ハワイ式その他、いろんなアロマ・マッサージを含め、腕さえよければどれもこれも気持ちいい! しかし、ここが落とし穴。「こり」の語源は、血液やリンパ液その他体液全般の“とどこおり(滞り)”ともいわれているそうですが。現代人はとどこおったものをマッサージで流すサイクルにはまりすぎでは? と、わたしは疑っておるのです。

 例えば、マッサージに行きたいといいつつ行けていない女子と、確実にマッサージに通っている女子を比較すると、マッサージに行けてない女子の方がモテています。モテ女子の方が男子との時間が優先になってマッサージに行く時間がとれないともいえますが、マッサージの癒しがご縁を遠ざけているとも考えられないでしょうか。
 特に、全身のオイルマッサージは性的じゃない方でも、パンいちor真っ裸です。相手がプロとはいえ、いつのまに他人様にここまで裸をゆだねられるようになったのか。お尻やおっぱいまでも、ぐいぐいもまれ、なすがまま。セラピストの方はこちらを気持ちよくすることのみに集中しているのだから、ある意味男性のタッチ以上に本気だわなどと思いをめぐらせながら、リラックス系の快感にやられ、とろ〜ん。

 先日もわたしの友人が台湾で二日連続スペシャルなアロマ・マッサージを受け、とろ〜んとほぐれて帰国しました。台湾でも人気のマッサージ店は、いわゆる隠れ家的な場所にあり、インテリアもセンスよくオリエンタル調で統一。そんな空間で、「Singing Bowl」というチベットに伝わる金属の鉢をゴォ〜〜ンと鳴らして身体の悪い部分を探り、アロマオイルによる真っ裸のマッサージが2時間ですって。想像だけでよだれが……。
 しかし、現在3年ほど彼がいない彼女は不調もすっきり、男のことなんて頭をよぎりさえしないそう。モテ欲すら放棄させるマッサージの威力。おーい、肉体的とどこおりは解消されたみたいだけど、現実問題のとどこおりは解決されていないぞ。

 くたびれきっていても素通りされるでしょうが、つるピカ美人にはもう誰かの手入れがなされているとの思い込みで近付いてこない場合もありますので。オレが彼女をほぐしたいと思わせる程度のこりは意識的に残しておく、『疲労→腹六分目マッサージ+男タッチ☆』なサイクルの女子に男の手は伸びるのでしょう。

 余談ですが、ある中年男性がこのところマッサージなしにすっきりだというので、くわしく聞くと、体調好転に効いたのは若い女子との恋。恋に夢中で本人はすっかり万年腰痛を忘れていたら、不自然な体調のよさを奥さんに指摘され、浮気がバレたとのことです。南無。
 確かにわたしも誰かに夢中なときは、こりと無縁だったことを思い出しました。このマッサージの大需要は、夢中になれる恋愛が少ない、または短いってことですかね。
『こりと無縁で、男とも無縁』