Webマガジン幻冬舎: 長沼毅 “超訳”科学の言葉 vol.272

#8 太陽黒点

太陽のバイタルサイン

 太陽は巨大な磁石である。
 その強大な磁力線はねじ曲がり、のたうち回り、太陽の表面(光球)を出たり入ったりする(注1)。光球には太陽内部から高温プラズマが湧き上がってくるが、磁力線の出入口はそれに蓋(ふた)をするように作用する。

 光球で「磁場の蓋」をされた部分は低温になる。低温と言っても4000℃もあるが、周囲の6000℃に比べて相対的に低温なので、暗くみえる。
 それが太陽の「黒点」、英語でサンスポットSunspotである。

 太陽の磁場は約11年周期で変動し、黒点の数も変動する。
 太陽が元気なほど、磁場の蓋も強くなり、黒点が増える。太陽活動が弱まると磁場の蓋が少なくなって、黒点も減る。
 私たちの体温や血圧が健康の指標(バイタルサイン)であるように、黒点は太陽のバイタルサインなのである。

 黒点の数は増減する。
 黒点は、1610年頃からガリレオらによって望遠鏡で観察されはじめた(注2)。以来、400年にわたって、黒点の数や出現位置などが観測されている。本格的な連続データを取っているのは1749年からで、それ以前は散発的な記録だ。
 それでも。
 この400年間における黒点の増減周期は約11年であり、それが「ふつう」なのである。

 望遠鏡で太陽を観察しはじめた1610年頃は、黒点が多い年にあたっていて幸運だった。もし、黒点がほとんど現れない時期だったら、黒点どころか太陽そのものへの関心が低くなったかもしれないからだ。
 その後、黒点は減りまた増えるという11年周期を2回繰り返した。

 しかし、3回目の周期は来なかった。1645年からパッタリと11年周期が止まり、黒点がほとんど出現しなくなってしまった。1715年に黒点数が回復するまで70年間もの間、黒点がとても少なかった。この期間を「マウンダー極小期」という。

 マウンダー極小期は、ヨーロッパの「小氷期」Little Ice Age(LIA)と同じタイミングだったといわれている。ただし、小氷期といってもその定義はいろいろある。いちばん幅広い見解だと1350〜1850年の500年間である。NASAの見解は、1550〜1850年の300年間で、1650年、1770年、1850年前後に3つの寒冷ピークがあったとされている。マウンダー極小期が始まってすぐに最初の寒冷ピークが訪れたわけだ。

 マウンダー極小期(1645〜1715)の後、もうひとつ「ダルトン極小期」(1790〜1830)が訪れた。この間、ヨーロッパと北米は「夏のない年」Year Without a Summer(1816)に見舞われた。これぞ歴史学者が「西洋における最大の危機」と呼んだ冷夏のことである。

「マウンダー極小期」も「ダルトン極小期」も、この一万年の「あまり寒くない」間氷期において例外的に「やや寒い」時期と一致している。この一致はまるで、太陽黒点が少ないと寒くなる、と暗示しているかのようである。

 ただし、ダルトン極小期の異常低温の一因いや主犯は、太陽の黒点というより、地球の火山だったかもしれない。前年(1815)にインドネシアのタンボラ火山が、有史以来最大級の噴火をしたのだ。このため、火山灰で太陽光が遮られる、いわゆる「火山の冬」という状況になったと考える人もいる。

 黒点か火山か、どちらが寒冷化の主犯だったのだろう。歴史は一回性なので、妙な符丁の一致を、偶然と見るか、必然と見るか。再現性をみる追試あるいは対照実験をできないのは残念だが、それでもたった一回の歴史に学ぶ価値はある。

 遠い昔の歴史に学ぶ一方、私たちが生きてきた時代の歴史にも学ぶことがある。それは2005年から累積した無黒点日数である。実はこれ、記録的な無黒点日数で「現代の極小期」ともいえる。これを自然からの警告と見るか否か。

 太陽の黒点変動と地球の気候変動の間には、黒点数の他にも妙な符丁の一致、いや、不気味な一致がある。それは黒点変動の「周期」と「現れ方」における異常さ——黒点の癖と言ってもよいだろう——が小氷期の始まりに一致していることである。

 以下は、おもに国立天文台の常田佐久教授らの研究成果に負っている。

 まず黒点変動の周期から。
 黒点のモニタリングを取り始めた1749年以降、顕著な黒点減少期は「ダルトン極小期」(1790〜1830)だけである。逆に言うと、黒点の連続データを取り始めて40年くらいでダルトン極小期が来たことになる。これはラッキーだった。

 ダルトン極小期にともなう寒冷期の「始まる前」の黒点の様子をモニターできたことの意義は大きい。もし、ダルトン極小期がもっと早く来ていたら、あるいは、黒点のモニタリングがもっと遅くから始まっていたら、「始まる前」の状況は分からず仕舞いだったのだから。

 その「始まる前」は、黒点の変動周期が、ふつうは約11年のところ、13年ほどに延びていた。さらに、マウンダー極小期やもっと前の極小期について別の方法(注3)で周期を見積もったら、やはり13〜14年に延びていた。

 実は、つい最近、黒点周期(1996〜2009)が13年になった。これはもしかしたら、新しい小氷期が「始まる前」の兆候なのではないだろうか。寒いのが苦手で小心者の私はついそう思ってしまう。

 さらに悪いことに、黒点の「現れ方」まで、マウンダー小氷期の頃に似てきてしまった。マウンダー小氷期の後半(1670〜1710年)、黒点は太陽の南半球に偏って出現していた。そして、2008年からの新たな黒点周期(サイクル24)では、北半球に偏って出現している。
 この黒点の「癖」における妙な一致も、臆病者の私は気になって仕方がない。

 現在2012年は、「サイクル24」の真っ只中にあり、来年(2013)が黒点数のピーク期になると予想されている。
しかし、これまでのところ、サイクル24の黒点数は仮にピークを迎えても従来よりずっと少ないという予想もある。

 もしサイクル24の周期が、ふつうの11年でなく13〜14年だったら、そして、黒点出現の偏向癖が続いたら、黒点数の少なさと相まって、小氷期の兆候とみなすに十分ではないだろうか。

 今年は「夏のある年」になると思うが、来年も夏が来るだろうか。
「夏のない年」の再来など、私はごめんだ。猛暑や酷暑を恨むことなく、節電に励み、大いに汗をかけることを歓びたいと思う。

 そして、太陽黒点の観察における4つの偶然(注4)のおかげで私たちの太陽理解が深まり、新たに襲ってくる寒冷化に備えられることの幸運をかみしめたい。

(注1)太陽の自転は場所ごとに違っていて、赤道で一周27日、南極と北極では32日である。この差動回転ため、太陽の磁力線は赤道部では先に進み、両極域では遅れる方向で捻じ曲がり、磁力線が太陽に巻きつくように変形していく。
(注2)イギリスの天文学者トーマス・ハリオットおよびドイツのファブリツィウス父子が1610年に望遠鏡で太陽黒点を観察していた。ドイツのクリストフ・シャイナーとイタリアのガリレオ・ガリレイが望遠鏡で太陽黒点を観察したのは1612年、いまからちょうど400年前である。
(注3)太陽活動が弱まると太陽系外から地球に飛来する銀河放射線量が増える。考古学の年代測定などによく使われる放射性同位元素14C(炭素14)は地球の大気と銀河放射線の反応でできるので、銀河放射線が増えれば14Cも多くなる。考古学では銀河放射線の変動などを考慮に入れた較正年代が用いられている。
(注4)まず、望遠鏡で太陽を観察し始めた1610年頃は黒点が多かったこと。それから35年の観察経験を積んでからマウンダー極小期がきたこと。1749年に本格的な黒点モニタリングが始まってからダルトン極小期がきたこと。そして、2006年に日本の科学衛星「ひので」が太陽観測を始めてから黒点の出現異常(北半球に偏った出現)が発生したこと。
Webマガジン幻冬舎
教科書には絶対載らない!“超訳”科学の言葉

長沼毅(ながぬま・たけし)

1961年生まれ。筑波大学大学院生物科学研究科卒業。現在、広島大学准教授。

専門は、生物海洋学、微生物生態学、極地・辺境等の過酷環境に生存する生物の探索調査。

酒ビン片手に、南極・北極から、火山、砂漠、深海、地底など、地球の辺境を放浪する、自称「吟遊科学者」。学名:カガクカイ・インディ・ジョーンズ・モドキ、あるいは、ホモ・エブリウス(Homo ebrius)「酔っ払ったヒト」。好きな言葉は「酔生夢死」。

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