Webマガジン幻冬舎: 長沼毅 “超訳”科学の言葉

#10 熱と温度(2)

熱を捨てるのは大変だ

 熱の伝わり方には三つある。放射と伝導と対流だ。
 放射とは、光(電磁波)が熱を運ぶこと。あるいは、物質が、その温度に応じた波長の光(電磁波)を放つことである。もし、それが可視光線なら、熱いほど青白く、冷たいほど赤っぽくみえる。

 もし、もっと熱ければ、人間の目には見えない「不可視の紫外線」から、さらには「エックス線の波長」になり、もっと冷たければ、やはり同じように、「不可視の赤外線」から、「電波の波長」になる。
 天文学では、それぞれの波長に合った望遠鏡――紫外線望遠鏡、エックス線望遠鏡、赤外線望遠鏡、電波望遠鏡など――をつくり、ふつうなら不可視の天体や天文現象を観測するのである。

 ここでいう熱と温度というのは、あくまでも熱-放射-光-温度、すなわち「光に運ばれる熱」という非接触型の熱と温度の話である。だから、すごく遠い星の温度でも、非接触的に見積もることができる。近ければなおさらで、サーモグラフや耳穴にかざすだけで計れる非接触型の体温計を思い出せばよい。

 一方、脇の下にはさんだり口にくわえたりする接触型の体温計もある。つまり、これは、接触することで熱が「伝導」して伝わり、体と体温計が同じ温度になるのを待ち、そこから体温計の目盛りあるいはデジタル表示を読むものである。

 では、「接触して伝わる熱」とはいったい何なのだろう。
 熱いものと冷たいものを接触させると、両者はやがて同じ温度になる。あたかも水が高いほうから低いほうへ移動して平らになるかのように。
 では、熱の移動について、水の移動と同じように考えてよいだろうか。

 水は物質である。重さ(質量)を持った物質である。したがって、重力のままに高所から低所へ移動する。
 熱は、重力に関係なく、高温から低温へ移動する。“重力に関係ない"というからには、少なくとも、熱というのは、重さをもった物質ではない。

 しかし、それでも、人間の歴史において、(たとえ質量がないとしても)熱は何らかの物質――熱の素(もと)、熱素――であり、それをやり取りすることで熱くなったり冷たくなったりするのだという考えは、イメージもしやすく、人気があった。

 ここで誤解を招かぬよう明言しておく。「熱素」はない。

 人間の歴史において、特に18世紀、熱素説が科学界を席巻した。しかも「近代化学の父」と称されるアントワーヌ・ラヴォアジエが主唱したのだから、当時としては‘これで決まり'という感があっただろう。
 しかし、歴史は皮肉である、フランス革命のとばっちりで、ラヴォアジエは断頭台(ギロチン)の露と消えた。1794年、数えで51歳、今の私と同年齢で逝ったのだ。

 もしラヴォアジエが殺されなかったら、彼は自分自身で熱素説を否定し、熱の正体を解明しただろう。なぜなら、ちょうどその頃、摩擦熱の研究をしていたベンジャミン・トンプソン(ラムフォード伯)が、“熱は摩擦という運動から生じる"という「熱運動説」を主張していたからだ。

 氷と氷のような“冷たいもの同士"を擦り合わせても、熱が発生して氷は融ける。いったい、この熱はどこから生じたのだろう。熱素説では説明できない。

 トンプソンは独立前のアメリカに生まれ、独立戦争では王党派(反独立派)として戦ったが、負け戦の気配を感じるや、妻と娘を置き去りにして駐米イギリス軍に逃亡、ヨーロッパに渡ってロンドンとドイツで研究と社会貢献のために働き、1971年に神聖ローマ帝国からラムフォード伯に称せられた。

 ラムフォードはその後パリにも住み、ラヴォアジエの未亡人と結婚した。すぐに離婚したそうだが、ライバルの未亡人に手をだすなんて、いかにも「摩擦の科学者」らしい。人間関係も摩擦を好んだのか。実際、尊大かつ威圧的な態度で、友人は少なかったという。

 そのせいか、ラムフォードの非熱素説(熱運動説)は支持者が少なく、本来は間違いだったラヴォアジェの熱素説のほうが人気があったくらいだ。
 実は、熱素説にも二派あって、互いに切磋琢磨しつつ、その後の熱力学の誕生に貢献したのだが、いずれにせよ熱素説は間違いだったので、ここでは述べないことにする。

 熱運動説がすぐに受け容れられなかったのは、尊大なラムフォードの個性もあろうが、むしろ、熱素説にはそれなりに実験的根拠があり、(摩擦熱以外の)たくさんの実験的事実を説明できたからだ。

 逆に、熱運動説には弱点があった。それは、物質をつくるたくさんの粒子の運動を個々に計算することの困難さだ。
 それをするための便利な計算式もなければ計算機もない時代である、定量的というより定性的に考えるしかなかった。
 ただ、それがラムフォード自身の能力の限界であり、他の誰かがやればできたのかもしれない。

 たくさんの粒子の運動を計算することは、スーパーコンピューター時代の現在でも困難だが、いつかはできるようになるだろう。
 コンピューターの演算速度やメモリー容量は1年半から2年で倍加するという「ムーアの法則」からすると、2045年にコンピューターが人間の脳を超えるという。
 ならば、その頃には、たくさんの粒子の運動を計算できる、つまり、‘ラムフォードの夢'がかなうかもしれない。

 私は、スーパーコンピューターを‘知のブルドーザー'と呼んでいる。剛力でゴリゴリ計算する機械だからだ。
 それに対し、創意工夫してエレガントな理論で突破口をつくる数学者や科学者は‘知の職人'である。彼らによって19世紀、N個(たくさん)の粒子の動きをまとめて解析する「統計力学」がつくられた。統計熱力学のはじまりである。

 私はここで統計熱力学を論じられるほどの‘職人'ではないので、この話題から離脱する。その代わり、素朴で定性的な「熱運動論」をもう少し深くみてみたい。

「熱は、熱素と呼ばれるような物質的存在ではなく『運動』である」と考えたのは、ルネッサンス期イギリスの哲学者フランシス・ベーコンである。「知は力なり」という彼の有名な格言があるが、まさしく、スーパーコンピューターの剛力を思わせる格言である。そのさすがの眼力で、ベーコンは42歳のとき11歳の少女を見染め、3年後に結婚した。

 物理学者が熱運動論をきわめると、「熱と仕事は等価であり、その合計は一定」という「エネルギー保存の法則」の主張に至る(物理学でいう仕事については前回を参照)。
 これを最初に謳ったのは、19世紀ドイツの物理学者ユリウス・フォン・マイヤーだった。が、マイヤーのいう「運動」は目にみえる運動であり、目にみえない(実は熱の正体である)「分子の運動」のことは考えなかった。

 しかも、マイヤーは思索ばかりで、ほとんど実験的な検証をしなかった。そのため、彼の業績は当時からあまり評価されず、相次ぐ肉親の死と相まって自殺未遂してしまう。後にせっかく評価されても、精神病死したとの誤情報つきだった。

 熱と運動(仕事)の関係は、19世紀イギリスのジェームズ・ジュールによっても主張されたが、彼は醸造業を営む在野(アマチュア)の物理学者だったので、最初は誰にも相手にされなかった。しかし、大御所ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)に見出されて、評価されるようになった。現在では、熱量の単位「ジュール」にその名が残っている。

 熱量の1ジュールは0.239カロリーである。熱量の単位はジュールに統一されつつあるので、いずれはダイエット食品も「低ジュール」と表示されるようになるだろう。実際、ヨーロッパその他の国ではそうなっている。アメリカと日本は遅れ気味で、まだカロリーが使われている、というのが実情だ。

 1カロリーは1グラムの水の温度を1度(摂氏℃や絶対温度Kの1度)上げるだけの熱量…と書こうとして、やめた。水は「異常液体」(注1)なので一般的なことの説明には使えないからだ。

 水の代わりに摩擦の話をしよう。
 摩擦とは、固体と固体の表面を擦り合わせることである。表面に露出している粒子(原子や分子)が、相手側の粒子に接して動かされることで自分の位置がずれるが、自分側の他の粒子に引っ張られて元の位置に戻る。これが繰り返されることを私は「ブルブル振動」と呼ぶ。これぞ熱の正体である。

 木と木を擦り合わせると表面の粒子がブルブル振動し、さらに摩擦を続けるとすごくブルブルして熱くなり、発火点の温度を超える。そこに息を吹くと(酸素を供給すると)発火するのが「火起こし」である。

 固体表面の粒子がブルブル振動すると、その振動は一列奥の粒子に伝わり、さらに奥の粒子に伝わっていく。固体の反対側まで伝わるには時間がかかるし、ブルブルの度合も弱まるが、十分に時間をかければ、固体全体の粒子がブルブルし、固体全体が熱くなる。

 この熱い固体を、他の冷たい固体に接触させると、たとえ摩擦しなくても、熱いほうから冷たいほうへブルブル振動が伝わる。これが熱の「伝導」である。手と手をつないでブルブル振動が伝わることだ。

 液体になると、ブルブル振動に加えて、粒子の「クルクル回転」がある。これもまた運動であり、熱である。その分だけ、固体より運動エネルギー=熱エネルギーがたくさんあるということだ。

 さらに気体になると、気体粒子が飛びまわる運動があり、これを「並進」という。つまり、気体粒子には「ブルブル振動」、「クルクル回転」、そして、「ビュンビュン並進」の3種類の運動があり、それだけたくさんの運動エネルギー=熱エネルギーがあることになる。

 つまり「伝導」では、3つのやり方で熱=運動エネルギーが移動する。手と手をつないでブルブル振動が伝わること、クルクル回転する粒子が当たって自分もクルクル回りだすこと、そして、ビュンビュン飛びまわる粒子が衝突して自分も飛んでしまうことの3つだ。

 熱の移動において、まだ「対流」が残っていた。
 対流は、それらの‘運動する粒子'が移動することである。つまり、熱をもった“粒子の移動"という点で、“熱の移動"(伝導)とは 異なる。対流は「温かいものは軽く、冷たいものは重い」という浮力(ひいては重力)によって生じる。だから、こういう対流は、無重力の宇宙空間では起こらない(注2)

 宇宙空間といえば、人類の宇宙進出にあたり“熱"が大きな問題になってくる。熱を生じるのではなく、熱を捨てること、つまり排熱(廃熱)である。
 熱はつくるのは簡単でも、捨てるのが難しいのだ。いまでも国際宇宙ステーションの悩みのひとつは排熱なのである。

 宇宙空間はほぼ真空なので、伝導によって熱を伝える“相手の物質"がない、すなわち、伝導では排熱できない。まして、対流による排熱もできない。
 残るは「放射」だけだ。熱くなった宇宙ステーションや宇宙戦艦が、それぞれの温度に応じた波長の光を放射して排熱するしかない。

 私たち人間も、体温に相当した波長10マイクロメートルくらいの赤外線を放射している。考えてみれば、地球もそれと同じくらいの波長の赤外線を、宇宙空間に向けて放射している。それが地球の排熱だ。

 いま都市がうまく排熱できず、都市に熱がこもってしまう「ヒート・アイランド」現象が問題になっている。エアコンを使って家庭やビルの内部から外へ熱を捨てるは良いが(注3)、捨てられた熱は都市内にたまり、都市はどんどん熱くなる。

 では、都市にエアコンをつければよいのだろうか。つまり、都市の熱を外へ捨てればよいのだろうか。それで確かに都市は涼しくなるだろうけど、地球全体としてはやはり熱くなる。

 では、地球にエアコンをつければよいのだろうか。宇宙への排熱は放射しかないが、放射エアコンはあまり効果が期待できないので、地球の気温は上がってしまう。まあ、地球にしてみれば、気温が上がったら上がったで、それに応じた波長で赤外線放射するだけのこと。

 地球を観察している宇宙人も「地球はだんだん青白っぽくなってきたな」と思うだけのことだ。いや、わざわざ来て地球を冷やしに来てくれるだろうか。いま流行りの‘絆'みたいに手と手をつないで「ブルブル振動」を引き取ってくれたらよいのだが。

(注1)液体が小さく固まって凝固した状態を固体というのだから、液体より固体のほうが高密度で重い(比重が大きい)はずである。つまり、固体が液体に沈むのが‘正常'である。それに対し、氷(固体)は水(液体)に浮くので‘異常'である。このように固体より比重の大きい液体が「異常液体」である。ふつうの生活温度で異常性を示す液体は水の他にガリウム(約30℃〜2400℃で液体)があり、理科の実験でよく使われている。他にもケイ素、ゲルマニウム、ビスマスなどが異常液体であるとされているが、それらが液体として存在する温度は生活温度よりずっと高温なので、その異常性を目にする機会はほとんどない。自然界の存在量からしても、やはり水が圧倒的に多く、宇宙に普遍的な異常液体である。
(注2)浮力による対流にほかに、表面張力の差によって生じる「マランゴニ対流」もある。きれいなグラスにワインを注いだときにできる「ワインの涙」がマランゴニ対流である。これは浮力(ひいては重力)と無関係なので無重力の宇宙空間でも起こる。実際、国際宇宙ステーションの日本の実験モジュール「きぼう」における初の実験は野口聡一宇宙飛行士が行った「マランゴニ対流におけるカオス・乱流とその遷移過程」の実験であった。

ISAS | 第2回:日本実験棟「きぼう」での宇宙実験が 順調にスタート / きぼうの科学

(注3)エアコンによる排熱は放射・伝導・対流のすべてに依存している。エアコンの心臓部はおもに空気との熱交換(伝導)に依存している。また、屋内では風を起こすことで空気の対流を促している。放射の効果はあるが小さい。
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教科書には絶対載らない!“超訳”科学の言葉

長沼毅(ながぬま・たけし)

1961年生まれ。筑波大学大学院生物科学研究科卒業。現在、広島大学准教授。

専門は、生物海洋学、微生物生態学、極地・辺境等の過酷環境に生存する生物の探索調査。

酒ビン片手に、南極・北極から、火山、砂漠、深海、地底など、地球の辺境を放浪する、自称「吟遊科学者」。学名:カガクカイ・インディ・ジョーンズ・モドキ、あるいは、ホモ・エブリウス(Homo ebrius)「酔っ払ったヒト」。好きな言葉は「酔生夢死」。

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