Webマガジン幻冬舎|長沼毅 “超訳”科学の言葉

#14 オリオン座の超新星

超新星爆発の恐怖

 毎年10月下旬に、極大(ピーク)を迎えるオリオン座流星群がある。が、私は今まで見たことがないし、今年もだめだった。
 ただ、私はオリオン座流星群との相性が悪いだけで、他の流星群なら見たことがある。
 何よりも記憶に残っているのは2001年(平成13)の「しし座流星群」だ。11月18日午前0時から午前5時まで一晩中、それはもうたくさんの流れ星が降る「大流星雨」だった。午前3時の極大時は肉眼でも1時間に100個以上、つまり、30秒に1個くらいの流れ星だった。
 私はそれを相模湾沖の洋上で観た。水平線が延びる広い空一面に星が流れる素晴らしい天体ショーだった。
 今年のしし座流星群はどうだろうか。
 ……と、その前に、説明しておきたいことがある。そもそも、“オリオン座"流星群とか“しし座"流星群というのは、反語風にいえば「そこを見ても見えない」という意味だ。「そこ」とは、“オリオン座"“しし座"そのもののことである。なぜ“そこ"を見てもダメなのかというと、そこは流星の「放射点」といって、確かにそこから流れてくるのだが、光るのはちょっと流れた後、放射点から離れたところで光るからである。
 流れ星を見るには、放射点の中心を見てもダメ。放射点をボーッっと眺めつつ、目の端のほうで流れる光を待つのが良い、と思う。
 今年のしし座流星群が極大を迎える11/17(土)の夜は、放射点があまり天高くない。つまり、空の低いところにある。そのため、観測にベストな状態とはいえない。しかし、月は三日月で早々に沈んでしまうから、月明かりに邪魔されることがないので、それなりに期待できるかも。

 11月の夜空は、夜の帳<とばり>が下りてすっかり暗くなる午後8時から9時頃、東の空にオリオン座が上ってくる。これは、ギリシア神話の巨人オリオンの星座なので、人形<ひとがた>である。つまり、星々がオリオンの頭・肩・腕・腰・脚などを描いている。
 オリオン座は、東の空に上るときは、“腰のベルト"に相当する「三ツ星」が縦に並んで上ってくるのが印象的だ。また、西の空に沈むときは、巨人が傾きつつも立ったまま沈むのが勇壮である。オリオン座は、上るも沈むも、実にカッコイイ星座なのだ。
 ところが、南半球でオリオン座を見たとき、ものすごい違和感を覚えた。確かにオリオン座はオリオン座なのだが、何かが違う……。
 あっ、上下左右が逆さま、オリオン座が逆立ちしている! いや、空がひっくり返ったわけではない。星座に対して、自分が逆立ちしたということだ。南半球では天が逆になるのだった、それを忘れていた。

 逆立ちしたオリオン座では“右下"だが、日本でふつうに見るオリオン座なら、“左上"のほうに赤く明るい星がある。オリオン座のナンバー1、すなわち“アルファ星"の「ベテルギウス」である。
 三ツ星をはさんで、ベテルギウスの対角線上には、白く明るいナンバー2、すなわちベータ星の「リゲル」がある。紅白そろって縁起よさそうな星座ではないか。
 紅白あるいは赤白というと、赤の平家と白の源氏、源平合戦を思い出す。実際、オリオン座の赤いベテルギウスと白いリゲルは、それぞれ平家星、源氏星と呼ばれることもあったようだ。ただし、理由はよくわからないが、逆の例(ベテルギウスが源氏星、リゲルが平家星と呼ばれること)もあるらしい。
 さて、ベテルギウスは、オリオン座のアルファ星のくせに、ベータ星「リゲル」より暗いことが多い(アルファ星というのは、1つの星座の中で、最も明るい星を指す)。最高潮のときはリゲルより明るいのだが、たいていはリゲルより暗い。そう、ベテルギウスは“恒なる星" (=ほぼ変化しない星)の恒星ではあるが、明るさが変動する変光星でもあるのだ。
 変光星にもいろいろある。分かりやすいのは、2つの恒星の片方が他方の前を通るとき――これを“食"という――、光度が増減するような“食変光星"だ。この場合、見た目の明るさが変わるだけで、それぞれの恒星の明るさは不変である。
 それに対し、ベテルギウスは“脈動変光星"といって、その星自体の明るさが脈打つように変わるのだ。ベテルギウスの場合、いくつかの脈動周期があることが知られている。
 太陽くらいの大きさの恒星でも、太陽より大きな恒星でも、脈動は、恒星の寿命の末期症状といわれている。
 さらに、ベテルギウスでは、末期どころか“死線期"と目される現象も観察された。大きさ(直径)が15%も小さくなったのだ。
 ベテルギウスは、太陽以外で初めて直径がちゃんと計られた恒星である(注1)。“ちゃんと"と言うのは“いろいろな方法"でという意味と、ハッブル宇宙望遠鏡で直接撮像された(注2)という意味である。
 その結果、「ベテルギウスの直径は太陽の約1000倍」という線で、大方の意見の一致をみている。もし、それを太陽系に置いたら、木星の軌道より大きいということになる。そして、もし、それが15%も縮んだのなら、木星の軌道より小さくなっているはずだ。とは言え、大きい。
 一方、重さ(質量)はそんなに大きくなく、太陽の約7.7倍から約20倍と見積もられている。この約7.7倍というのは微妙で、いま死線期を迎えているベテルギウスがその生涯の最後に「超新星爆発」を起こすかどうかの“分岐点"の質量に近い。


 恒星の末期のひとつが超新星爆発である。末期なのに「新星」というのは違和感があるかもしれない。それは、今まで暗かった星が、あるいは見えなかった星が、突如として輝きを増して見えるようになるから“新しい星"と呼ばれるようになったためである。新星とはいうけれど、実は老星である。
 新星よりずっと激しく輝くものが「超新星」である。これは恒星の末期の大爆発現象だ。これが起きるか起きないかの分岐点が「太陽の約8倍質量」である。
 これより小さな恒星は超新星爆発を起こさないが、これより大きいと超新星爆発する。
 もし、ベテルギウスが太陽の7.7倍なら超新星爆発せず、いろいろな過程を経て“白色矮星"になり、最後は静かに冷え、光を発しない黒色矮星になる(矮星は“小さな星"の意味)。
 しかし、ベテルギウスはおそらく太陽の8倍より大きいので、超新星爆発を起こす可能性が高い(注3)。しかも、これはすでに死戦期を迎えているので、そう遠くない将来に爆発しそうなのだ。


 もし、ベテルギウスが超新星爆発を起こしたらどうなるか。
 もし、ベテルギウスが太陽系の近くにあって、しかも、その自転軸が太陽系を向いていたとしたら、地球の生命にとんでもない大災厄が降りかかるだろう。
 大災厄の正体は、放射線のガンマ線である(注4)。しかし、ベテルギウスは地球から640光年も遠くにあるので、もしガンマ線が全方位に“等方的に"放射されたら、それはすごく広まって薄まるはずだ。ベテルギウスの超新星爆発のガンマ線で地球が焼き尽くされることはないだろう。
 しかし、超新星爆発で出るガンマ線には「ガンマ線バースト」という、とんでもないガンマ線ビームがあるかもしれない、ということも言われている。ビームというのは、レーザー・ポインターからのレーザー光線のように、あまり広がらずに線状のまま遠くまで届く光線のことである。
 ただし、ガンマ線バーストが、本当に超新星からビーム状に放射されるのかどうかは未解明である。もし、仮にそうだとしても、ベテルギウスのガンマ線バーストの放射方向――ベテルギウスの自転軸――は地球の方向からずれているらしいから安心だ。
 でも、これまでの地球上で起きてきた“生物の大絶滅"のうち、約4億5000万年前から4億4000万年前にかけて起きた「オルドビス紀末の大量絶滅」いわゆる「オルドビス紀-シルル紀境界」(O-S境界)は、超新星より激しい極超新星爆発からのガンマ線バーストで引き起こされたという説がある(注5)
 このO-S境界の絶滅は、地球生物史における5大絶滅「ビッグ5」のうち2番目に大きな絶滅だった(注6)。もし、これが本当にガンマ線バーストのせいだとしたら、超新星爆発なんて遠い星の出来事だ、天文ショーだ、ノーベル賞だなどと浮かれていられない場合もあるかもしれない。
 だから、仮に、地球がベテルギウスの超新星爆発の災厄から免れたとしても、他の超新星爆発の候補星に注意しなくてはいけないのだ。
 それはオリオン座のベータ星「リゲル」か? いや、リゲルは当分の間、少なくとも人類が生きている間は大丈夫だろう。
 それでも、私のような杞憂人間は心配するのだ。
 たとえば、地球から約550光年のところにある、さそり座のアルファ星「アンタレス」も、超新星候補である。太陽質量の12倍、ベテルギウスと同じで、やはり赤い超巨星だ。
 近いところでいえば、地球から150光年のペガスス座IK星がある。これは連星で、小さいほう(伴星)はもうすでに燃え尽きた“白色矮星"、サイズは小さいが意外と重たい。
 ここで、大きいほう(主星)が恒星の末期状態の赤色超巨星になったりすると、その外側から、“小さくても重たい"伴星の白色矮星にガスが流れ込み、さらに重くなる。そして、大量質量の1.38倍になると、急に爆発して「Ia型」の超新星になる(注3)
 えっ、太陽の8倍重くないと爆発しないんじゃない? と思うかもしれないが、超新星にもいろいろあるのだ。こういうふうに太陽と同じような重さの星でも超新星爆発してしまう。ただ、それは連星の場合だ。太陽は連星ではないから、その心配はない。
 ところが、最近は望遠鏡が発達して、夜空にきらめく星々の約1/4、いや、もしかしたら、1/2くらいは連星だと言われるようになった。太陽より8倍以上大きければII型の超新星爆発が起こり、それより小さくてもIa型の超新星爆発が起こり得る、ということだ。こんなことを心配していると、それこそ夜も眠れなくなる。


(注1)一般に恒星の半径R(太陽の何倍)と光度L(太陽の何倍)と表面温度T(絶対温度Kで太陽の何倍)の間には、R = √L ÷ T2 の関係が知られている。ベテルギウスは光度。また、干渉計という装置でもベテルギウス、アンタレス(さそり座のアルファ星)、アルデバラン(おうし座のアルファ星)などの直径が計られている。さらに、連星系のお伴の星(伴星)による“食"によってもベテルギウス、リゲル、ケンタウルス座アルファ星、シリウス(おおいぬ座のアルファ星)などの直径が計られている。こうして見積もられたベテルギウスの直径は方法ごとに差があるが、現在では太陽の約1000倍という値がもっとも正しいとされている。
(注3)ベテルギウスの質量は太陽の10倍以上という意見が多く、そうだとすると、“II型 "の超新星爆発を起こすと考えられている。II型の他にIa型、Ib型などなどある。それらを含む超新星の分類については省略する。
(注4)ガンマ線については連載第6回「セシウム、ベクレル、シーベルト」http://webmagazine.gentosha.co.jp/naganumatakeshi/vol270.html を参照されたい。
超新星からは、ガンマ線以外に、ニュートリノも放出される。1987年の超新星爆発(SN 1987A)で放出された1058個のニュートリノのうち11個が日本の「スーパーカミオカンデ」で検出されたことが、小柴昌俊・東大名誉教授の2002年ノーベル物理学賞受賞に至った。ニュートリノは透過力が強いので検出しにくいのだ。逆にいうと、ニュートリノにより災厄はほとんどないと考えられる。
 ガンマ線やニュートリノ以外にも、恒星内で合成された“重い"元素も秒速3万km(光速の10%)で四散するはずだが、それが近隣の天体に災厄をもたらすかどうか、私にはわからない。
 ただし、私たちの体をつくっている炭素、窒素、酸素、リン、鉄などの元素は超新星爆発で四散したものが、銀河系の一隅に集まって太陽系の素となり、塊になって地球をつくり、地球の表面を循環しているうちに偶々<たまたま>私たちの体になったものだ。
その意味で、私たちの体は超新星の飛散物“星屑"stardustでできていると言える。つまり、私たちは“星屑の子供たち"スターダスト・チルドレンstardust childrenなのである。
(注5)オルドビス紀末の大量絶滅の原因については、もちろんガンマ線バースト以外にもいろいろな説が提唱されている。たとえば、当時の大陸と海洋の配置で、ゴンドワナ大陸が南極の位置に移動したことで地球が寒冷化し、生物が大量絶滅したという説がある。また、それまで活発な火山噴火により大量に二酸化炭素CO2が放出されて温室効果をもたらしていたが(そして、岩石の風化作用によるCO2吸収と火山からのCO2放出が釣り合っていたが)、オルドビス紀末に火山活動がぱったりと止んでCO2が吸収されるばかりで減少し、温室効果も弱まって地球が寒冷化したという説もある。
(注6)古生代、中生代、新生代などの“代替わり"やオルドビス紀、白亜紀などの“紀替わり"は生物の大絶滅で画期される。このうち、特に大規模な絶滅5回を指して「ビッグ5」という。[1] 古生代の「オルドビス紀末」あるいは「オルドビス紀―シルル紀境界」の絶滅(約4億5000万〜4億4000万年前)、これは“紀替わり"にしては大規模でビッグ5の中でも2番目に大きかった。[2] 古生代のデボン紀後期における絶滅(late-D、約3億7500万〜3億6000万年前)、これは“紀"よりも下位の“期替わり"にしては大きな絶滅だった。[3] 古生代のペルム紀と中生代の三畳紀を画期する史上最大の大絶滅で「ペルム紀末」あるいは「P-T境界」(約2億5100万年前)として有名である。[4] 中生代の三畳紀とジュラ紀の画期の絶滅(約2億500万年前)でアンモナイトが絶滅した。[5] 中生代の白亜紀と新生代の第三紀の“代替わり"(K-T境界、約6550万年前)で恐竜が絶滅した。
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教科書には絶対載らない!“超訳”科学の言葉

長沼毅(ながぬま・たけし)

1961年生まれ。筑波大学大学院生物科学研究科卒業。現在、広島大学准教授。

専門は、生物海洋学、微生物生態学、極地・辺境等の過酷環境に生存する生物の探索調査。

酒ビン片手に、南極・北極から、火山、砂漠、深海、地底など、地球の辺境を放浪する、自称「吟遊科学者」。学名:カガクカイ・インディ・ジョーンズ・モドキ、あるいは、ホモ・エブリウス(Homo ebrius)「酔っ払ったヒト」。好きな言葉は「酔生夢死」。

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