Webマガジン幻冬舎|長沼毅 “超訳”科学の言葉

#21 エアロゾル

大気汚染、黄砂飛来……
環境問題、魔のスパイラル

 地球が水惑星であることは前回に述べた。
 水惑星といっても、実は水資源が乏しい。水資源の問題はしばしば一国だけにとどまらず、重要な国際問題になる。とは言っても、日本はどちらかというと水に恵まれているし、島国であるから、他国との“水を介した"つながりをあまり意識しない。
 ところが、その島国・日本でさえも、“風を介した" ダイレクトなつながりを気にするようになった。中国から飛来する「越境汚染」のためである。

 環境問題はその国の中だけで収まらず、しばしば国境を越えて広がる。その一例は「酸性雨」である。
 酸性雨には「自然起源」と「人為起源」がある。
「自然起源」の酸性雨は、火山活動のせい。火山ガスのイオウ成分や塩化水素が雨滴に溶けて、硫酸や塩酸になる。
 一方、「人為起源」の酸性雨は、石油や石炭などの排気ガスや煤煙(ばいえん)のせい。それらの煙に含まれるイオウ酸化物(SOx)やチッ素酸化物(NOx)が雨滴に溶けて、硫酸や硝酸などの強酸になる。これはまた、スモッグなど大気汚染と裏腹の関係にある。
 煙突から出る煙については、地元住民に迷惑をかけぬよう(=地元から苦情が出ないよう)、煙突を高くして排煙を遠くまで拡散させればよい。しかし、それは酸性雨の被害地域を拡大させることになった。
 ヨーロッパのように大陸の一隅にたくさんの国々が入り組んでいる地域では、風に乗った煙が国境を越えて運ばれ、発生源とは違う国で酸性雨として降る。
 酸性雨が降って、イタリアの文化遺産的な大理石の石像や建物が溶けた。ドイツの「黒い森」シュバルツバルトの樹々も枯れた。それも“立ち枯れ"forest diebackだ。この酸性雨をつくるSOxやNOxは、必ずしもイタリアやドイツの国内で発生したものではなかった。周辺国で発生したものも含まれていたのである。つまり、国境を越えた「越境汚染」だ。

 SOxやNOxのすべてが酸性雨として地上に降るわけではない。乾いた空に拡散したSOxやNOxは、浮遊する微粒子「エアロゾル」として空中に漂うこともある。
 いま中国で問題になっている大気汚染の原因物質の大半は、まさにSOxに由来する「硫酸塩エアロゾル」だそうだ。
 エアロゾルは、“硫酸塩"という成分も然ることながら、大きさ(小ささ)で語られることが多い。
 たとえば、いまの中国を覆う暗雲のような濃霧は、「PM2.5」という種類のエアロゾルによる部分が大とのこと。PM2.5は「粒径2.5マイクロメートル以下の微小粒子状物質」を意味する。花粉症の花粉がだいたい10〜100マイクロメートルだから、花粉症マスクでは通過してしまうほど小さな粒子である(注1)
 日本では、これまで10マイクロメートル以下の「浮遊粒子状物質」SPMの排出は、環境基準により規制されてきた。しかし、もっと小さいPM2.5が規制対象になったのは、比較的最近の2009年のことである。日本でも、都心ではまだまだ環境基準に達していない。まして中国では、と言いたくなる。

 中国の北京はPM2.5の暗雲に覆われて昼でも暗く、車はヘッドライトを点けて走っていると聞く。そして、この暗雲が、偏西風に乗って日本にも到達するようになってきた。まさにPM2.5の越境汚染である。
 実は、大陸からの越境汚染は、いまに始まったことではない。「日本の空にあるSOxの約半分は大陸由来だ」ということは、ずいぶん前から言われていたのだ。
 中国では石炭を燃やすことが多い。たとえば、中国の発電の大半は火力発電であり、そのほとんどが石炭火力である。石炭にはイオウ分が入っているから、その煙にはもちろんSOxが入っている。ふつうなら、石炭火力発電所には「排煙脱硫」という技術が使われるのでSOxがあまり出ないはずである。が、中国ではどうなのだろう、まだ十分に普及していないように察せされるが。
 さらに、中国に無数にある小規模事業所や自動車、家庭から排出されるSOxは、実質的にほとんど無規制と考えてよいだろう。中国でSOxはこれからもまだまだ出つづけ、日本に飛来しつづける。

 さて、こちらもそろそろ飛来シーズンだ、「黄砂」。黄砂もエアロゾルのひとつである。
 私は数年前から、黄砂とともに移動する微生物の調査をしている。私などは黄砂研究界における末席の中の最末席だが、日本人が多くの優れた研究をされている。最近では、黄砂は約13日かけて地球(北半球)を一周する、という研究が衝撃的だった(注2)
 黄砂の発生源は、タクラマカン砂漠、ゴビ砂漠、黄土高原など、中国内陸部の乾燥地帯である。タクラマカン砂漠とゴビの両砂漠の間には、あのシルクロードの町、敦煌(とんこう)がある。そこで私は、黄砂エアロゾルの採集調査をお手伝いしたことがある。
 金沢大学を中心とした調査チームが、敦煌の青空に真っ白な気球をあげる。それはカッコ良かった。
 その気球にエアー・サンプラーを搭載し、上空のエアーを採集をするという調査だったのだが、そのとき、ちょっとお手伝いの真似事をさせて頂いたのだ。ただし、私は頭脳班でなく、もっぱら肉体班としての参加だ。
 その時のメンバーの一人は、今冬(しかし南極の夏)、第54次南極観測隊に参加し、昭和基地の冷たい強風の中、気球を上げてエアーサンプリングしたことと思う(注3)この猛者も、いまは帰路、砕氷艦「しらせ」で南氷洋を航海している頃か。
 同じチームの別のメンバーは、黄砂研究の一環として、能登半島の珠洲市の上空約3000 mでエアーサンプリングした。そこにどんな微生物がいるかを調べたところ、なんと納豆菌(バチルス・サブチリス)がいることがわかった。納豆菌というのは胞子をつくる菌である。胞子というのは、細胞が耐久ケースに入ったようなものなので、上空の乾燥や紫外線に耐えるだろうことは予想がつく。彼が本当にスゴイのは、納豆菌だから納豆をつくろうとシンプルに発想して実行し、最後には「そらなっとう」として販売にまで漕ぎ着けたことである(注4)

 さて、日本に飛来する黄砂は、たいてい迷惑がられている。洗濯物は汚れるし、せっかく洗車したばかりの車はドロドロになるし、人体への健康被害もあるといわれている。たとえば、黄砂に含まれる鉱物(結晶)が、眼の角膜や呼吸器系の粘膜を傷つけるなど、聞いたことがあるかもしれない。
 それどころか、黄砂とともに、あるいは、黄砂にくっついて、汚染物質が飛来してくるという。これこそ、典型的な越境汚染だ。さらに、動植物や人間の病原菌・ウイルスまで飛んで来るというではないか。

 しかし、悪いことばかりではない。禍福はあざなえる縄のごとし(注5)(、と言うが、エアロゾルにもそれが当てはまる。
 たとえば、ふたたび、黄砂。黄砂はもちろん“黄色い砂"である。では、なぜ黄色か?それは全体的に白っぽいシリカ(ケイ酸塩)の成分に加えて、赤っぽい鉄分が少し混じっているからである。つまり、赤さびの色。火星が赤く見えるのと同じ原理である。というか、火星の赤が薄まった感じか。
 陸地に住んでいる私たちにとっては、黄砂に鉄分があろうがなかろうが、どのみち迷惑物質であることに変わりはない。
 ところが、海の生態系は、ふだんから“鉄不足"になやんでいるので、鉄分を含んだ黄砂の到来は朗報だ。空から鉄分が降ってくるのだから!
 海にとって、鉄の供給源は、もっぱら陸地(鉄分に富んだ山)だ。陸から海への供給路は、川か風しかない。川が運ぶ鉄混じりの土砂は、それはもう大量で、沿岸の生態系にはすばらしい恩恵だ。しかし、沿岸から遠い外洋域には、風が運んでくる砂塵だけが頼りである。もし、鉄不足の海に黄砂が降下したら、それは植物プランクトンを活性化するだろう(注6)
 いったん植物プランクトンの増殖が活性化したら、それは動物プランクトンや稚魚の餌となり、さらにそれらも中くらいの魚や大きな魚に食べられる……いわゆる食物連鎖が活性化して漁業に好影響を及ぼす。

 さらに、植物プランクトンは、光合成をとおして二酸化炭素CO2を吸収する。CO2は、もちろん地球温暖化ガスなので、これが吸収されるのは温暖化抑制につながる。つまり、黄砂が海に降下するのは、温暖化抑止という点では朗報なのである。

 まだほかにも、さらに似たような温暖化抑止効果がある。
 前述したように、中国の北京はいま、エアロゾルが太陽光をさえぎって日中でも薄暗いのだが、それは同時に、太陽光で地面が温まりにくいことを意味する。場所によっては、これが冷却化につながることもあるだろう。エアロゾルはいわゆる“日傘効果"や“薄暮効果"によって、地球温暖化に対し抑制的に作用していると考えられるのだ。
 ただ、もし、火山噴火や隕石衝突などにより、それこそ超大量のエアロゾルが放出されたら、地球温暖化がストップするどころか、地球がどんどん寒くなる、いわゆる「地球寒冷化」が始まってしまうかもしれない(注7)
 昔、核戦争が始まって核爆発が起こったら、大量のエアロゾル(この場合は粉塵)が巻き上がって大気に滞留し、その“日傘効果"で地球が寒くなるという「核の冬」が喧伝されたことがあるが、あれと同じことだ。
「核の冬」を逆に考えると、「エアロゾルを減らせば地球は温暖化する」と言える……だろうか? たとえば、仮に“空をきれいにする運動"が功を奏してエアロゾルが減ったとしたら、そのせいで、むしろ地球は温暖化するかもしれない。そうなったら“ストップ温暖化運動"に逆行するという、笑えないブラックジョークになる、だろうか。

 もし、“ストップ温暖化運動"と“空をきれいにする運動"のどちらも奏功したら、温暖化は止まるのか、あるいは、まだ続くのか、あるいは、寒冷化するのか? これもやはり“よくわからない"ことずくめだ。が、ここでもやはり森林の“立ち枯れ"forest diebackの問題が浮上してくる(注8)
 たとえば、アマゾンなどの熱帯雨林はCO2を吸収する役割がある。ある意味、樹木にとって、CO2は“餌"や“肥料"と同じなのだ。
 ところが、そのCO2が増えずに気温だけ上がると、アマゾンの森林は “立ち枯れ"するそうだ。すると、アマゾンにCO2が吸収されるどころか、むしろアマゾンからCO2が放出されるとのこと。
 最近の論文によると(前の論文より“立ち枯れ"の影響は小さいと見積もられているが)北緯30度〜南緯30度の間の森林からのCO2の放出量は、気温1度の上昇で53±17ギガトン炭素も増えるらしい(注91011)(注9、10、11)。ちなみに、人間が化石燃料を燃やして出すCO2量は10ギガトン炭素もない。
 やみくもにエアロゾルを減らすと(CO2が増えなくても)、温暖化しかねない。いや、しかし、だからといって、どんどん石炭を燃やしてエアロゾルを出せ、という話にはならないそうだ。その理由は、石炭を燃やして出るエアロゾルの寒冷化効果より、石炭を燃やして出るCO2の温暖化効果のほうが強くて持続性があるからとのこと。
 でも、CO2 による温暖化vs. エアロゾルによる寒冷化の勝負、本当のところはどうなるのだろう。中国の石炭燃焼とエアロゾル放出に歯止めがかからなければ、この問題は近いうちに決着がつきそうだ。ブラックジョークな意味で。


(注1)インフルエンザなどのウイルスは0.lマイクロメートルより小さいので、ウイルス除去マスクならPM2.5も除去できると思われる。
(注2)日本の九州大学、国環境環境研究所、東京大学などの研究者を中心とした論文。Uno et al. (2009) Asian dust transported one full circuit around the globe. Nature Geoscience, 2, 557–560. http://www.nature.com/ngeo/journal/v2/n8/abs/ngeo583.html
(注3)http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20121124102.htm この結果がどうなったか、国立極地研究所が発表するまで(あるいは極地研の許可が下りるまで)、私は公にできない。
(注5)禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し。不幸と幸福は表裏一体のようなもの、ひとつの不幸のあとに幸福が来ることもあるし、ひとつの不幸を考え方を変えて幸福に転じることもできる、という意味。
(注7)地球温暖化のメカニズムがよく分からない以上に、地球寒冷化のメカニズムは分かっていない。しかし、寒冷化は次の氷期(おそらく数万年もつづく長く寒い冬)の始まりと関係し、私たちの文明に(温暖化よりずっと)深刻なダメージを与えるだろうから、寒冷化のメカニズムの研究の進捗とは別に、今から寒冷化に備えた対策を講じておいたほうがよいと思う。この連載の第12回「地球寒冷化」参照 http://webmagazine.gentosha.co.jp/naganumatakeshi/vol276.html
(注8)たとえばアメリカ地質調査所(USGS)の森林生態学者による国連食糧農業機関(FAO)のレポート http://www.fao.org/docrep/011/i0670e/i0670e10.htm
(注9)気候モデルで有名なイギリスのエクセター大学や気象庁(UKMO)の研究者らを中心とした論文。Cox et al. (2013) Sensitivity of tropical carbon to climate change constrained by carbon dioxide variability. Nature, published online 6 February 2013. doi:10.1038/nature11882. http://www.nature.com/nature/journal/vaop/ncurrent/full/nature11882.html
(注10)ギガトンは「10億トン」のこと。もし10億トンのCO2があるとしたら、それを「炭素換算」すると、12÷44=0.272727…を掛け算して、約2.7ギガトン炭素になる。逆に、もし1ギガトン炭素があるとしたら、10億トン÷0.272727…の割り算をして、約36.7億トンのCO2になる。
(注11)ここではCO2増加が温暖化の原因ではなく、むしろ結果になっている。この連載の第12回「地球寒冷化」 http://webmagazine.gentosha.co.jp/naganumatakeshi/vol276.htmlでも述べたが、CO2増加と温暖化は「相関関係」にあることは確かだが「因果関係」となると(どちらが原因でどちらが結果かというと)必ずしもはっきりしない場合がある。
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教科書には絶対載らない!“超訳”科学の言葉

長沼毅(ながぬま・たけし)

1961年生まれ。筑波大学大学院生物科学研究科卒業。現在、広島大学准教授。

専門は、生物海洋学、微生物生態学、極地・辺境等の過酷環境に生存する生物の探索調査。

酒ビン片手に、南極・北極から、火山、砂漠、深海、地底など、地球の辺境を放浪する、自称「吟遊科学者」。学名:カガクカイ・インディ・ジョーンズ・モドキ、あるいは、ホモ・エブリウス(Homo ebrius)「酔っ払ったヒト」。好きな言葉は「酔生夢死」。

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