マイソールコーチンバックウォーターコヴァーラムカニャクマリマドゥライポンディシェリーマハーバリプラムカンチープラムチェンナイレー・ラダックウダイプールジャイプールクンバルガルジョードプールジャイサルメールビカネールマンダワリシケシュアグラーヴァラナスィデリー
 バックウォーターはケララ州の山岳地帯から川の氾濫とともに流れ出た水や土砂の堆積が水郷地帯をつくり、後に米作や住居のために人工的に埋め立てたり囲いを作ったりして現在の姿になったという。
 男たちはドティ(腰巻)をはいたまま、あるいはパンツ一枚で髪を洗い、身体を洗い、歯を磨いては泳ぐ。女たちはサリーのまま髪を洗い、身体を洗い、歯を磨く。ここでは、川が生活の全てを包み込む。
 ひょっとして、生活排水や汚水もここに流れこむのだろうか? 政府の計らいで少しずつ改善しつつあるらしいが、人々にとって、川は生活そのものであり、資源に限りがあることを伝えるのはとても難しいという。
 しかし、そういう私だって、エンジンのついたボートで遊覧ツアーをしている。ここ数年で、ハウスボートにもソーラーパネルや排泄物のバイオ分解システムの設置が義務付けられるようになったというが、まだまだその対策は完璧とは言えないらしい。村民が、観光客が、互いに川を汚しつつあるというわけだ。
 それでも、時間が止まったかのような、この緩やかな旅はどうしても捨て難い。車で進めば2時間ほど、船でも頑張れば一日で行ける距離を、小さな村に立ち寄ったりしつつ、休み休みのんびりと、2泊3日もかけて進むのである。
 日々の煩雑な事柄など全て記憶の彼方に葬り去って、ただただ冷えたビールを飲みながら、無駄な時間を過ごすこの心地よさったらたまらない〜。インドって、やっぱり素敵な国だわ! 牛の糞を踏んだことも、パスポートを盗まれたことも、プライベートについて他人に根掘り葉掘り訊かれたことも、土産物屋で騙されそうになったこともぜ〜んぶ帳消しにできるくらい素敵な場所、それがバックウォーターなのである。
かつて陸路が整備されていなかった時代の米運搬船を改造して宿泊施設にしたハウスボート。三食昼寝プラスビール付きの怠惰なツアーは、小さなキッチンと寝室をしつらえたこの船にて2泊3日ほど。
椰子の木が林立する中州や、小さな村落の間を運河が走り、時には海水と淡水が交わる湖や沼がその姿を現す。ここでは、人々が飲料水を汲み上げ、魚を釣り、食器や被服を洗い、沐浴し、泳ぎ、歯を磨き、生活排水を流し、汚水すらも流しこむ。ちなみに私の食事もこの川の水で作られたようです。
途中立ち寄った村落にて幼き兄弟が誘拐したくなるほどチャーミングだったので、パチリ。ハリウッド女優のように養子縁組という訳には参りませんので、一期一会の記憶をしっかりと胸に刻みました。
一日の終りには、カンテラが灯され、夕食の支度が始まる。食事を待つあいだ外へ出ると、まるでフィルターを通したかのような夕映えに感動。
 コーチンは交易や入植によってあらゆる国の影響を受けてきた街だが、中国の影響もかなり見られるらしい。チャイニーズフィッシングネットもそのひとつで、漁港では、木製の桟橋に木の支柱を据え、張った網を5人がかりで引き上げる漁が盛んだった。
 いくつも並ぶチャイニーズフィッシングネットを眺めていると「こっちにおいで!」という声がかかり、漁師たちと一緒にその網を引き上げてみろという。よく使い込まれた網を皆で引っ張り始めると、中の一人が「ワッショイ、ワッショイ!」とか、「そーれ! そーれ!」などというような掛け声をかけ始め、それにのってさらに引っ張ると、大きな石のオモリが下りてきて、急に手が軽くなった。後はそろりそろりと網を引くだけで、青いネットが顔を覗かせていた。
 皆と一緒に網へ駆け寄ると、底のほうに、小さな石鯛のようなものとクラゲがかかっていた。かなり力を要した割りに、収穫はとても少なくがっかりもしたが、恐らくもっと時間を置いて引き上げれば、満足のいく収穫になるのだろう。
 それにしても、自称ベジタリアンなのに漁なんかして喜んでいる私は何なのだろう?
丸太の支柱に網を張り、5人がかりで引き上げる漁はチャイニーズフィッシングネットといって、コーチンの漁港では収穫物が即座に売られていく。因みにイワシ10キロほどに500円の値がついたのを目撃。
16世紀に建造された聖フランシス教会は、ポルトガルやオランダによる植民地時代の面影が色濃く残るフォートコーチン地区にあり、ヴァスコ・ダ・ガマが亡くなった際にはその棺が埋葬されたが、現在はその遺骨がポルトガルのリスボン、ジェロニモス修道院に納められている。
ローマ帝国の侵略により、神ではなくローマ法王への忠誠を求められたイスラエルのユダヤ人たちは1世紀頃、安住の地を求めてコーチンへとやってきた。第2次世界大戦後イスラエルの建国で大半はインドを後にしたものの、今もなお残るユダヤ人街には写真のシナゴーグが健在で、礼拝が行われている。
ケララ州名物のカタカリダンスは、舞台裏の化粧風景もショーの一部になっている。
 巨大なマイソール宮殿を訪れた。ホテルでお願いした政府公認ガイドのアショークさんの説明によると、この宮殿は世界でも、中国の紫禁城、フランスのベルサイユ宮殿、ブルネイに続く世界で4番目に大きい宮殿だそうで、14世紀からインド独立まで25人の王によって550年間続いた(途中18世紀に32年間ハイダラーアリー、ティープースルタン親子に主権を奪われたが、19世紀にはイギリス政府の助けによって再び王座に返り咲いた)ヴォーデヤール朝のものだという。1897年の火災によりかつての宮殿は消失したが、イギリス人の設計により現在の宮殿が再建されたのだとか。
 各国からの贈り物の数々も展示されているのだが、「こんな物もらっちゃったら困るだろうなあ」というような品もたくさんあった。特に日本から送られたという一対の石灯籠などは、スタイルも大きさもマイソール宮殿には全く似つかわしくなくて、「王様にもなるとこうしたガラクタを収納するための物置も必要になるんだなあ」というのが正直な感想であった。
香木やエッセンシャルオイルに使用される貴重なサンダルウッドの産地としてその名を馳せるマイソールは、世界中で流行中のアシュタンガヨガの総帥パタビ・ジョイス氏が居を構えることでも知られている。興味本位で氏の御宅を訪問してみたものの、本来の目的とは異なり、とんでもない人物に出会うことに。
シヴァ神の乗り物として崇められ、ナンディーと呼ばれるメス牛の像は、インドで最大級のもののひとつにかぞえられる。しかし、神の乗り物と言えど、八百屋の店先で野菜に食らいついていた牛は、少年が握り締めた棍棒で思い切り殴打されていました。
寺院にて。額に白、赤、白の三本線を縦に入れた僧侶はヴィシュヌ神を祀る寺院の僧侶。横三本線はシヴァ神に仕える僧侶らしい。
ケララ州からの修学旅行生は、南インドの伝承医療アーユルヴェーダを学ぶ女学生たち。実技の授業では、額に温かいゴマ油を垂らすシロダーラや、2人のセラピストによる同時進行マッサージのアビヤンカなどをお互いに施すというから羨ましい!