連載のタイトルを、「東京格差社会」としたのは、流行語を含んだ題名が物見高い読者を惹きつけることを期待する気持ちがあったからだ。そうだとも、私は本を売りたい。
が、柳の下には、ダイオキシンに汚染された土壌が隠れている。どうせそんなところだ。拝金主義者の末路。欲張り爺さんが庭を掘ると、ゴミが出現する。
とにかく、東京には格差がある。
というよりも、東京という都市の成り立ちが自体が、そもそも格差の結果なのだ。
格差なんか無い、と考えている人もいる。東京は自由で平等でオープンな都会だ、と、そんなふうに感じている人間が、意外なほど多いことに、私はいつもびっくりさせられる。
が、格差は実在する。
たとえば、「かくさない」と、タイプして変換キーを押してみると、ワープロは「格差無い」の次候補として「隠さない」を表示してくる。
そう。隠さないで本当のところを言えば、格差は今ここにあるわけで、格差が無いと思っているのは、隠された格差に気づいていないボンクラだけなのだ。
格差を、「個性」であれうというふうに受け止めているおめでたい人々もいる。
あるいは、「文化」であると。
世田谷には世田谷の風土があり、葛飾には葛飾の伝統があるのだ、と、そんなふうに格差を経済や資産とは別のものとして解釈する人々もいる。
が、格差は格差だ。
無論、それぞれの土地に文化的な相違が無いわけではない。個性の違いも当然のことながら併存している。
でも、それらの背景には、より括弧とした階級差としての格差が実在しているのだ。
というのも、東京は拝金主義者の都市だからだ。
いや、住んでいる人間が拝金主義者だと言っているのではない。
ただ、都市を都市たらしめている原理が拝金主義である以上、そこに住んでいる人間もまた、経済原理と無縁であるわけには参らぬ。そういうことだ。
拝金力……って、そんな言葉はないが、そう呼んで差し支えない力が、この街を牽引している。私はそう考えている。
東京の格差は直接的だ。
田舎の格差とは違う。
田舎の格差が、家柄や血統といった、もっぱら過去に属する封建的なしがらみに関連したものであるのに対して、東京の格差は、より具体的かつ実際的だ。
収入格差。
学歴格差。
そして、資産格差。
身も蓋もない。
結局、東京に住むということは、格差をカミングアウトすることでもある。
「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei)というドイツ語のことわざを世界史の授業で習ったことを覚えている人もあるだろう。
たしかに、東京以外の場所からこの街にやって来た人間にとって、東京の空気は、自由そのものだ。
田舎の土地に絡みつくようにしてある門地家柄の差別や、血縁共同体のしがらみや、地方に住む人間を取り巻く古い時代の慣習やしきたり、そして、脈々と受け継がれてきた因縁や恩義や義理や人情──そういった粘液質の外壁は、東京に出て来たその日に、きれいさっぱり雲散霧消してしまう。だから、東京に「やって来た」彼らにとって、東京はなんとも自由な空間であるように感じられる。その事情はわかる。
しかしながら、東京に生まれ育った人間にとって、この街は地縁血縁や義理人情の温床だ。のみならず、逃れられない過去をそのまま引きずっているリアルな土地でもある。
だから、東京に根を持たない人々の場合と違って、われわれの東京は、少なからずジメジメしており、三島由紀夫が「根の母の悪意ある愛」と呼んだ(←おそらく三島本人にとっても謎であった遠い過去に由来する宿命のようなもの)不気味な要素を孕んでいる。それゆえ、われわれは、東京というこの土地に対して、根に持つべき何かを持っている。そこが「やって来た」人との違いだ。
それだけではない。外来者にとっても、生まれ出た者にとっても、東京は、等しく、あるがままに「格差」そのものとして対峙してくる。
なんとなれば、東京の地価は、他の日本のどの都市と比べてみても、とんでもなく高いからだ。
それゆえ、東京に住む者は、誰であれ、自分の住む場所の路線価格を強く意識している。自分の家の価格だけではない。同僚や知人や通りすがりの人々も含めて、あらゆる自分以外の東京在住者の住む町の地価を、われわれはいつも値踏みしている。こんなべらぼうな土地はほかに無い。あらゆる住民が常に互いの資産価値を値踏みし、その一方で、そのことについて、誰もが気にしないふりをしているみたいな、こんな厄介な土地を私は東京以外に見たことがない。
ずっと昔、いまから四半世紀ほど前、朝日新聞の夕刊のために「ちばゆきさん」というタイトルの短いコラムを書いたことがある。
念のために解説すると、「ちばゆきさん」は、「ジャパゆきさん」というその当時流行していた言葉をモジった題名だった。
もっとも、「ジャパゆきさん」自体も換骨奪胎の用語だった。
元ネタは、19世紀の後半に海外(主に東アジアから東南アジア)に渡って、娼婦として働いた日本人女性を指した言葉である「からゆきさん」から来ている。
「じゃぱゆきさん」は、「からゆきさん」とは逆に、1980年代の半ばから90年代にかけて、フィリピンをはじめとするアジアの国々から日本に来ていた女性たちを指し示している。彼女たちは、ダンサーや歌手という肩書きで、芸能ビザを取り、あるいは留学名目で学生ビザを取得して、大量に来日していた。
で、私の「ちばゆきさん」だが、これは、「次々と千葉県に転出して行く同級生たち」について語った、お笑い原稿だった。うん。笑い事ではなかったのだが。
ともあれ、私が当該の原稿を書いた80年代後半の東京では、「ちばゆきさん」が大量発生していたおり、実際、私の同級生は、ほんの数年のうちに、次々と千葉&埼玉に流出していた。
ひとつには、われわれが、結婚して子供ができるタイミングに来ていたということがある。夫婦二人で暮らしている分には、2DKでなんとかなる。それが、子供含みになると、いきなり3LDKが標準になる。と、当時、バブル前夜で家賃がバカみたいに上がっている中、30代のサラリーマンの給与では、都内の3LDKの家賃を支払うことはできなかった。もちろん、マンションを買うことも不可能。だって、既にあの当時、二十三区内の60平米オーバーの部屋は、五千万円を超えていたわけだから。
実家に住んでいる組の連中も、簡単には行かなかった。相続税を払いきれなかったり、兄弟間で折り合いがつかなかったり、それとは別に、親自身が実家の土地を維持できなくなるケースも珍しくなかった。
みんな、大変だったのである。
そんなわけで、東京に生まれ育った同級生のおよそ半分は、気がつくと近隣の県の「県民」に姿を変えていた。なんということだろう。
ちなみに、結果を述べると、私のコラム「ちばゆきさん」は、掲載されなかった。
まあ、都落ちする友人を笑うみたいな内容だったわけだから、ボツは仕方なかったと思っている。無神経だった。地域差別を意図したわけではなかったが、媒体が媒体であることを考えれば、掲載にはハードルが高かった。反省せねばならない。
が、無神経は無神経として、東京から出て行く原東京人が決して少なくないことは、今も昔も、歴とした事実ではある。
これがどういうことであるのか、おわかりだろうか?
さよう。冒頭で書いた通り、都内の家屋敷は格差の果実であり、東京という場所に住むことは、格差を体現することなのである。
別の言葉で言えば、東京に家を持つことは、「サラリーマン出世双六」における、ある意味の「上がり」を意味している。そういうことだ。イヤミな言い方だと思う人もあるだろうが、仕方が無いのだ。だって、事実がイヤミな事実である以上、どんなふうに表現に気を配ったところで、書けばかならずイヤミなテキストになる。要するに、東京に住むということは、その前提として、イヤミな生き方を選ぶことを含んでいるのである。
で、当然のことながら、東京の内部には、さらに念入りな都内格差マップが用意されている。
その様相は、双六どころか、ずばり「モノポリー」の盤面そのものだ。
そのモノポリーの盤面からこぼれ落ちる都民がいる一方で、外部から参入して来て、東京に家作を持つに至る人々もいる。
彼らの多くは、東京の大学を出て、東京の一部上場企業に就職し、順調に出世の階梯を上り詰めた成功者だ。
成功者の流入分は、誰かが出て行かないと計算が合わなくなる。
かくして、われわれ東京原住民のうちの運の悪い組の連中が「ちばゆき」となって、東京を去るわけだ。あるいは運不運ではなくて、野心か才能か努力のうちの、いずれかが足りなかったということなのかもしれない。ともあれ、われわれの仲間は、東京双六の盤面から外に出て、新県民としての生涯を歩みはじめることになる。
かように、東京は、日々更新されている。
別の言い方で言うなら、東京は、運の良いヤツやカネのあるヤツや見栄っ張りや野心家を招き入れることでその活力を維持し、他方、破産者や、要領の悪い三男坊や、ニートや離婚経験者(←たいてい出て行きますね。カネ的にキツくなるから)を排除することで、バランスを保っている。そういうことだ。
これが、格差でなくて何だというのだ?
次回以降、当欄で、私は、東京二十三区について、一つずつコラムを書き連ねていくつもりでいる。
内容は、「個人的な見解」ということに尽きる。
どういうことなのかと言うと、私は、このコラムを「非ウィキペディア」的な情報で構成しようと考えているのだ。
インターネットが普及し、ウィキペディアをはじめとするネット上の情報源がその精度を増すにつれて、この世界のことで、調べのつかないことは、ほとんど無くなってしまった。
このこと(あらゆる些事が検索可能になったこと)は、一面、やっかいな副作用をもたらしている。
たとえば、私が個人的に詳しい(つもりでいる)'70年代のロックミュージックについて、なにがしかの文章を書いたとする。
原稿をアップする直前に、私はこう考える。
「一応、ウィキペディアで裏を取っておくか。間違いがあっちゃいけないからな」
と。
果たしてウィキペディアを見ると、私が書いた内容は、ほとんどすべて掲載済みだ。しかも、私の記憶にいくつかの間違いがあったことまでもが判明する。
おお、そうだったのか、ジギー・スターダストの初演はロイヤル・アルバートホールじゃなかったのか。
ここで、私は、原稿を改訂する。っていうか、捨てる。だって、私の書いたテキストが、本当に私の血肉から出た知識であるなんてことは、どうせ、読者には伝わりようがないわけだから。
「なーにをウィキペディア由来の知識を偉そうに書いてるんだか」と、思われても、私には反論のしようがない。としたら、誰にでもアクセス可能だ情報をいまさら活字にする理由なんかひとつもありゃしないではないか。
かように、「ソースのしっかりした」情報は、ソースがしっかりしているがゆえに、価値を失いつつある。
しかも、その「ソース」は、引用の引用の引用によってできていて、その引用元の引用元の引用元の情報が本当に事実であるのかについては、もはや誰にもわからなくなっている。まるでカフカの「城」みたいな筋立てだ。
私が知っている例をひとつだけ挙げる。
「オイルショック」という言葉が使われる時、テレビは、必ず「トイレットぺーパー品切れ騒動」の動画を流す。どこかのスーパーマーケットで、開店と同時に、おばさんたちが山積みのトイレットペーパーに殺到するあのおなじみの映像だ。
これは、一応「事実」ではある。
が、一部の事実であったに過ぎない。
私が住んでいた町のスーパーでは、誰もトイレットペーパーに群がったりはしなかった。
近所でも同じだ。少なくとも、東京の北、板橋、文京、豊島の4区では、トイレットペーパーが姿を消した事実は無い。
だから、われわれは、当時、ニュースの度に執拗に再生されていた、あのあまりにも印象鮮烈なおばさん殺到映像について、高校の教室で、
「あれ、ヤラセなんじゃないか?」
と、疑いの目を向けていた。
「だよな。いくらなんでも、たかだか便所紙にダッシュするなんて、あり得ないぞ」
と。
いや、あの映像は、あれはあれで、仕込みでもヤラセでもなかったはずだ。
単に、カメラを意識した主婦が、過剰にふるまったということなのであろう。
あるいは、関西あたりでは、あの映像にあったみたいなパニックが本当に展開されていたのかもしれない。
トイレットペーパーが消えた地域だって、きっとあったのだろうと思う。
でも、日本中があんなふうであったわけではない。
なのに、映像は引用され続ける。
そして、引用回数を判例数になぞらえるカタチで事実認定をしているニュースの文法の中では、過去30年にわたって数百回となく再生されたあの映像は、一種の「歴史的事実」に昇格している。
かくして、オイルショックをすなわちトイレットペーパー消失事件として伝える習慣は、もう誰にも覆せなくなっている。
事実は画一化され、記憶は順列化され、歴史は、再構成される。
こうした、辻褄の合い過ぎた歴史に対抗すべく、われわれ市井の一庶民たちは、公式のデータとは別の、個人の見解を、ぜひ書き残しておかねばならない。でないと、公式の資料に掲載された以外の歴史は、完全に黙殺されることになる。
ジギー・スターダストが何年何月の発売で、クレジットに乗っているミュージシャンが誰と誰であったのかという情報は、どうせウィキペディアに載っているのだからして、たいした意味は無い。
むしろ、1972年に赤羽の新一社というレコード屋で私がそのアルバムを購入した時、店長が「おっ、シブいのを買うねえ」と、とてもうれしそうな顔をしたという情報の方が、今となっては価値が高い。
私は、そういう、個人的な、ウィキペディアに乗っていない話を書こうと思っている。
個人的な見解である以上、それは、偏見を含んでいるかもしれない。あるいは、町や私の知識には、誤解や、事実誤認が混ざっているかもしれない。
かまうものか、だ。
誰かが私のテキストを引用して、それをまた誰かが引用して、最終的にそれを誰かがウィキペディアに書き込めば、私の曖昧な記憶は、正式な真実になる。
上等だ。
ということで、次回は北区について書く。
乞うご期待。