

1978年福岡県生まれ。17歳の時、「夏と花火と私の死体」で第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞し、デビュー。エンターテインメント小説界の俊英として注目を集めている。著書に『死に損ないの青』『暗いところで待ち合わせ』『GOTH リストカット事件』『平面いぬ。』『ZOO』などがある。 | 
|

新宿でサイン会をやった。今までそういうものを避けていたのになぜかやるはめに陥っていた。それは絵本などというものを出版したせいであった。担当編集者が「サイン会やってもいいですか」と聞いてきたので、「イラストレーターの羽住さんがサイン会するのなら隣でやってもいいですよ」と小生は返事をしてしまったのだ。
というわけで新宿のアルタ前にて編集者や羽住さんと集合した。その後、書店に行った。喫茶店でタルトを食べた。売り場に引きずり出された。大勢の人がいた。並んでいた。衆人監視の中、羽住さんと並んで椅子に座らされた。読者の人が来た。サインをした。話しかけられた。頷いた。「はい、がんばります」とか返事した。頭をさげた。羞恥心でいっぱいだった。強いところを見せたかった。平気そうに振る舞った。しかし手は震えていた。読者の名前を書いた。自分の名前を書いた。日付を入れた。隣の羽住さんに渡した。羽住さんが名前を書いた。目の前に立つ生の読者と目があった。読者というのが生きた人間であることを知った。そして目を伏せた。自分は何をしてしまったのだ、と疑問に思った。しかしまあ、たぶんこれは夢なので深く考える必要はなかった。自分は病院のベッドで昏睡状態になっている老人なのだ。そしてリアルな夢を見ているだけなのだ。次々と目の前に現れてサイン本を持って立ち去る人々は、本当のところ、小生を検診するために病室を訪れた医者や看護婦なのだろう。やつらの持っているサイン本も、実はカルテかなにかなのだ。というようなウソでも考えていなければ精神がもたなかった。そういえば少し前、あれは大槻ケンヂさんのサイン会の後だっただろうか、ファウスト部の人々でぜんざいを食べた。小生のサイン会が近いことを知ると、滝本先生が「サイン会の予行練習をしましょう」と言い出した。彼が紙袋の中から何やら自己啓発系の本を出した。彼は『サインください』という完璧な演技で本を小生につきだした。小生はそれを受け取ると、読者を演じる滝本先生に向かって、「ど、どこから来たんですか……?」としどろもどろになりながら質問した。大槻ケンヂさんが気軽な調子で「どこから来たの?」とファンの人に話しかけているのを真似したかった。でも、そういう練習も本番ではまったく無駄だった。まったく読者へ話しかけずに小生はサインをした。遠くから来た人もいたというのに、読者の人が話しかけてくれているというのに、気の利いた返事もできず「あう、あう」と頷くだけだった。来てくださった方々、本当にすみません。プレゼントをいろいろもらった。アミノ酸やビタミンのタブレットをもらった。うれしかった。『ハードカバー黒衣の使者』のビデオをもらった。おしりコインをもらった。うまい棒ももらった。サイン会が終わった。大勢の本をマジックで汚し終えた。事務室らしきところに逃げ帰った。それはもう穴に逃げ込むという印象だった。そこに知り合いの編集者が訪れた。当日券を入手してサイン会に並んでいた佐藤先生や西尾先生が来てくださった。西尾先生から知恵の輪をいただいた。おしりコインをもらったと佐藤先生に報告した。おしりコインというのは、一時期、伊集院光さんのラジオ番組でハガキが採用されたときにもらえたアイテムである。おしりコインについて思うところがあった。自分は絵本などを書いている場合ではなく、鬱屈した青少年のために小説を書かねばという気持ちにさせられた。もっとみじめでどろどろした青臭い小説だ。若い女性読者が鼻をつまんで遠ざかるようなやつだ。まさに自分の十代を文章化したようなやつだ。綺麗な絵本を出版してちやほやされているこの状況は間違っているのだ。書店を出た後、うちあげを日本料理屋でやった。おいしいごはんを食べた。廊下で店員が転んだ。ウェブの「小生物語」の連載はもうやめちゃうんですか? と光文社の編集者に聞かれた。はい、もうやめますと返事した。 |