第十回
 レースの予定が決まると、俄然ランナー気分が盛り上がってきた。同じ頃、通っているジムのR-bodyでS.O.A.P(身体能力の定期健診みたいなものです)を受け、トレーニングメニューが大幅に変更になった。
 3種類の腹筋以外はすべて脚の筋力を鍛えるメニュー。上半身を強化するものは一切なし。せっかく腕立て伏せ12回という目標がクリアできたばかりだったので、もう少し続けたい気もするが、集中力にも体力にも、そしてトレーニングにさける時間にも限界がある。今は、走るための可能性を追求しなければならない。
 R-bodyに通い始めて半年、はじめてマシーンを使う種目が加わった。クアドというのがそれで、主に太腿の前部分を強化するトレーニングである。負荷に繋がった足かせのようなものを腿で上げながら前に引っ張る。終わる頃には、腿の前部分はもちろん、側面もぷるぷると鈍い痛みに包まれる。これを繰り返していると、すぐに足が太くなってしまいそうだ。正直にいえば、それを受け入れてもマラソンを走ろうとする自分がちょっと誇らしい気がする。こういうのを“自己陶酔”と呼ぶのだろう。それはじゅうぶん判っている。別のいい方をすれば、私のような目先の快楽に弱い人間は、これぐらいの自己陶酔をしないと42.195キロなんて走り切れないとも思うのだ。
 筋力トレーニングの後は、サーキットトレーニングに変わって、インターバルトレーニングになった。いろいろな種類の腿上げや蹴り上げやジャンプなどを、30秒やっては30秒休み、を繰り返すもの。これが、かなりきつい! 水でさえ吐きたくなってしまうぐらい、といったら判ってもらえるだろうか。やっている時は、30秒がこれほど長いなんて、という気になるし、休んでいる時は、あっという間に30秒が過ぎてしまう。
 初レースが一週間後に迫ったある日、30秒の腿上げの最中にどうにもこうにも足が動かなくなった。せっぱつまった気分に襲われる。
「あ〜あ、こんなんじゃあフルマラソンなんて完走できないよお。北海道の10キロもゴールできなかったらどうしよう!」
 愚痴をこぼす私に担当トレーナーがいった。
「まだまだロンドンまでたっぷり時間があるでしょう。甘糟さん、半年前、はじめてここに来た時は松葉杖だったじゃないですか。よく半年で、レースに出られるようにまでなりましたよね」
 そういわれてみれば、まったくその通り……。汗だくの首や腕にタオルをあてながら、ついこのあいだまでは、こんなに汗をかくような運動さえままならなかったことを思い出した。トレッドミルではじめて走った時の、あの安堵と感激を思い出すと、少し気持ちが落ち着いた。
 初レースが近づくにつれ、頭の中は走ることだけになった。日に日に緊張が高まってくる。というより、自分で自分をそう追い込んだ。私は、気軽にトライしてみることより、やれるだけのことをぎりぎり詰め込んで、気持ちも同じだけ追い込んだほうが楽しいと感じるのだ。それに、緊張するぐらいのほうが結果もついてくると思う。たとえ、シロウトの10キロレースでも。緊張するということは、イコール集中しているということだから。
 北海道に出発する前日、私は青山のネイルサロンEXCELに足を運んだ。指先はいつも通りのフレンチネイルだけれど、ペディキュアは思い切って、赤を選んだ。深みがあって情熱的で透明感のある赤。NYの人気ネイルブランド“エッシー”と、ロンドンの高級シューズブランド“マノロ・ブラニク”が、共同制作した赤である。
 実は、半分願掛け、半分は足のことを考えて、ロンドンマラソンが終わるまでは新しいハイヒールを買わないことに決めている。買わないだけでなく、走ることが日課になってからはほとんどハイヒールを履かなくなった。その代わり、ロンドンを完走したら、マノロ・ブラニク本店で、5メートルも歩けないぐらい華奢で豪華なハイヒールを買おうと思っている。
 私の生活はいろいろなことが無理矢理マラソンに関連づけられていった。

 北海道への“遠征”は、わずか2泊3日だというのに、海外用のトランクで出掛けた。お店でも開くかのごとく大量のウエアやシューズを持ち込んだのだ。通常のウエアに加えて、寒かった時のためのウォームアップジャケットや七分丈のランニングタイツも詰めた。天候や体調だけでなく、気分の変化にも対応するべくおしゃれウエア(アディダス・バイ・ステラマッカートニー)と本気ウエア(フォーモーション)の両方を持参した。足がどんな状態でもあせらないように、シューズは三足。出発の前日、すべてをパッキングしてから、あっ、パスポートも出さなきゃ!と思うほど、舞い上がっていた……。
 日焼け止めやマッサージオイルはもちろん、整腸剤に下痢止め、頭痛薬などあらゆる薬も準備する。そして、迷いに迷った挙句に、禁断の睡眠導入剤までもポーチに入れてしまった。
 あえて大げさにいうと、私の三十代は睡眠薬との戦いだった。元々夜型で寝つきが悪かったが、仕事の幅が広がるにつれ、うまく睡眠がとれなくなっていった。最初は一週間に一度だった服用がすぐに一日置きになり、半錠だった青い錠剤は一錠になった。父が癌の手術を受けてからは、ほぼ毎晩睡眠導入剤に頼り、安定剤と一緒に飲むことも珍しくなくなった。依存症一歩手前だったと思う。
 お酒と一緒で、量が増えるといろいろな失敗もした。本当に、思い出したくもないぐらいだ。電話した相手と話した内容を覚えていないどころか、電話したことさえ忘れているのはしょっちゅうだった。やたらと物を食べてしまい、朝起きた途端に強烈な吐き気に襲われたこともある。起きてから数時間は、頭がぼうっとして、顔はむくみ、使い物にならない。日中は絶えず眠いのに、夜になると、睡眠導入剤を飲むことの罪悪感でまた眠れない、という悪循環を繰り返した。
 私の仕事は、座ったまま、頭をきりきりと使うだけだ。身体も疲労はするものの、それは結局肉体の直接の疲れではない。そこで、私は、とにかく肉体を酷使してみようと思い立った。それが、ジムでのトレーニングであり、ランニングだったのだ。もちろん、その頃はフルマラソンを走ろうなどとは夢にも思っていなかった。適度に身体が疲れれば、それで良かったのだ。
 睡眠導入剤をやめるために走り始めたのに、走るための緊張でまた睡眠導入剤に手を出そうとしている。人間はなんと矛盾に満ちた動物なのだろう……。いや、矛盾しているのは私だけか……。
 北海道には、レース前日の土曜日の昼に入った。宿泊は札幌パークホテル。オフィシャルホテルであるここでは、招待選手の記者会見が行われたのを始め、ホテルじゅうが北海道マラソン一色だった。アディダス・ジャパンのランニング・セミナーも開催された。
 我がランニング師匠である萩尾さんのシューズ講座があるので、私も会場に足を運ぶ。他、増田明美さんや翌日の北海道マラソンに出場する市橋有里選手などもお話をされていた。
 アディダスの専属トレーナーである中野ジェームズ修一さんは、フルマラソンの経験者で、オーヴァートレーニングがいかに危険かを話していた。その中で、「CPK数値」というものを知った。これは、筋肉の細胞が破壊される時に血液中に流れ出る成分で、血液検査で簡単に計ることが出来るそう。通常値は30〜200で、500を超えていたら即刻すべての運動をやめたほうがいいのだという。東京に帰ったら、早速図ってみようと思った。
 セミナーの後、とよひら川沿いをくぼまみちゃんと軽く走る。もちろん私たちだけでなく、たくさんのランナーが走っていて、明日の大会の大きさを実感した。私たちの前を、ちょうど練習が終わりかけた市橋有里選手がコーチと一緒にステップを踏みながらジョギングをしていた。私はくぼまみちゃんの耳元でささやいた。
「ねえ、今ここでダッシュすれば、私たち、練習では市橋有里を追い抜いたってことになると思わない?」
「はあ? なんか、すっごいひきょうな追い抜きですよね。っていうか、意味あるんですか、そんな追い抜きに」
「あるある。明日、苦しくなった時に昨日の練習を思い出して、自分を励ませるじゃん」
「私は別にいいです。勝手に市橋さんをダシに使わなくても……」
 マイペースなくぼまみちゃんは、あくまでもストイックを模倣しようとする私とは、何事も対照的だった。
 レース前日の夕食は、アディダス・ジャパンの取引先の方に案内され、はるばる小樽の鮨屋にいった。昼間のセミナーでレース前日は生物厳禁と習ったというのに、嫌がらせのようなものだ! ランナーはつらい……。意志力の練習のつもりで、炙りしゃけや穴子、火を通した帆立などを少しずつ食べる私の横で、次々と新鮮なネタを平らげていくくぼまみ。私の制止を振り切ってビールまで、じゃんじゃん飲んでいる。もちろん、私はお茶だ。本当に、取り組み方も人それぞれである。
 といっても、私はきっとくぼまみちゃんよりずっと意志が弱い。その夜はマッサージをしてからベッドに入ったのに、なかなか寝付けずに、午前1時過ぎに、結局睡眠導入剤を1錠飲んでしまったのだ。