第十二回
 北海道マラソン(の10キロの部)で初レースを経験して、身にしみて判ったことがあった。ランニングという競技は、脚力以外の要素が思いのほか大きい。体調や体重はもちろんのこと、生活のリズムや精神面などがダイレクトに反映してしまう。脚力の占める割合といったら、10のうち5か6ぐらいという気がする。走っている時だけが練習ではなくて、私の場合は、普段のこの不規則で自堕落な生活をランニング仕様に変えなくてはならないのだ。
 まず、睡眠時間帯。毎朝、昨日より15分ずつ早く起きるという義務を自分に課して、二週間かけてなんとか毎朝8時前後起床という習慣を作った。以前なら、飲んで帰ってきたり原稿を書いていたりで、この時間にベッドに入ることも珍しくなかった。夜になったら寝て、朝には目が覚める、という、ごく当たり前のことが私にはとても新鮮だった。だめだなあ〜。
 減量も真剣に考えなければならないが、極端なことをして落とした体重はわりとあっけなく元に戻ってしまう。以前通っていたトータルワークアウトでの厳しい食事制限の経験から、それを身体で知った。三週間、糖質(もちろん炭水化物もこれに含まれる)と脂質を一切採らずにトレーニングに励み、体脂肪を3.5%落とした。けれど、その後1年足らずで5、6キロも体重が増えてしまったのだ。
 R-bodyの代表トレーナーである鈴木さんに食事制限をどうしたらいいかと相談すると、私がまずやらなければいけないのは食事より何より酒量を抑えることだという。
「やめろとはいいませんよ。毎日ボトル一本飲んでいたワインをグラスに二杯にしてください。できれば、毎日を一日置きにするとか。少しでいいから減らしてください」
「でも私、ワインを3本飲んだ次の日でも、体重増えたりなんかしませんよ」
「あのね、お酒はすぐに体重にあらわれないんです。身体の中にたまって、ある時どかんとくるんですよ」
 私は思わず、ひえ〜と恐怖の声をあげてしまった。今まで飲んだお酒がどかんときたら……、なんて想像するのも恐ろしいぐらいだ。こうなったら、誰にどんな誘いをされても、外食やら飲みにいくのやらは週に二度まで、と心に決めた。目先の快楽に弱いので、携帯電話の番号を変えようかと本気考えたぐらいだ。周囲の人の面倒もあるので、これはあきらめたのだが。
 とにかく酒量を抑えて、食事は満腹になるまで食べない、それだけ気をつけた。食材や量の制限するのは、もっと後でいい。何から何まで変えようとすると、絶対に長く続かないから。飲みに行く機会が減った分、集中して小説の原稿を書いた……、なら良いのだが、気分転換も必要と、夜はテニスの予定をたくさん入れた。ランニングを始めて、テニスの楽しさをひしひしと実感している。スマッシュやサーヴが決まった時の爽快感、ボレーに出て行く時のスリル、自分よりずっと上手いはずの相手の打球を読めた時の優越感、ゲームの醍醐味はやはりランニングにはないものである。
 北海道から帰った数日後には、ランニングセミナーで知った「CPK値」を計りに、青山皮膚科クリニックに行った。ここの亀山ドクターには、シミをレーザーで焼いてもらったり、化膿してしまったへそピアスの跡をきれいにしてもらったり、かなり幅広くお世話になっている。皮膚科の範疇を超えた対応のほうが多いくらいだ。
 亀山ドクターもゴルフやランニングをしているスポーツ好きである。採血をされながら、はじめてのレースについて話した。すると、是非ビタミン注射を打っていきなさいと、勧められた。疲れが取れるし、エネルギーが出るという。もちろん、ふたつ返事でOKする。私の腕にチューブを巻きつけながら看護師さんがいった。
「甘糟さん、これ、ドーピングにひっかかりませんか?」
 ドクターも私も大笑いしてしまった。ドーピング検査があるようなレースに出てみたいものです……。いや、冗談。ドクターが、次はレースの前に打ちにいらっしゃいという。もう、ドーピングでも何でもできることは何でもやっておきたい気分だった。
 次のレースであるチャレンジ・ランはわずか3週間後。前回よりは余裕を持ってのぞみたい。九月に入ってはじめての萩尾さんとのランは、自分から距離を延ばしてみたいと申し出た。まだ10キロ以上の距離を走ったことがなかったけれど、そろそろ10キロを短いと感じられるようになりたいと思った。
 その日は、皇居を三周することになった。ところが、いつもと少し雰囲気が違う。今まで外国人と中年男性がほとんどだった平日夜の皇居コースに、やたらと若い女の子たちが目につく。それも、ストイックに自分を追い込んでいるというより、グループで楽しそうに走っている人が多い。何かイベントでもあったのだろうか? 不思議に思っていると、萩尾さんがいった。
「判った! ホノルルのエントリーが始まったんだ」
 なるほどねえ。
 私と萩尾さんは、若い女のたちのウエアやシューズのメーカーをチェックしながら走った。アディゼロで走っている人を見つけた時は、私まで嬉しくなったけれど、まだアディゼロ装着を許されていない身分の者としては嫉妬の気持ちも少しあった。
 いつものように、雑談をしながら走る。心拍数が上がり過ぎないようにしょっちゅうスントを見る私。
「そういえば、TVのマラソン中継か何かでいってたんですけど、トップのランナーの人って、通常心拍数が30台なんですってね。そのまま、心臓が止まっちゃわないのかしら。なんだか、宇宙人の話みたい。身体の出来からして違うんですね」
 ちなみに、普通の人はたいてい60台である。もちろん、私も。
「まあ、走っていれば下がってきますけどね。僕も現役の時は40ちょっとでしたよ」
「ええ〜!」
 萩尾さんも、宇宙人だったのか……。どことなく、浮世離れしていると思っていたけれど。
 最初の1周は37分、2周目は36分だった。さあ、これから未知への世界という時になって、萩尾さんは時計を見ながらいう。
「本当にごめんなさい。僕はこのまま会社に戻ります。まだ残業があるので」
 3周目は一人で走らなければならない。萩尾さんから、預けてあったクルマの鍵とペットボトルを受け取った。竹橋の信号で萩尾さんは皇居コースから離れ、その後姿はあっという間に小さくなっていった。同時に私の孤独な一人旅が始まった。ちょっと大げさか。でも、そんな気分になるのだ。長く走っていると。
 長い距離を走るので、私はご丁寧にも2リットルのペットボトルを購入しておいた。けれど、暑さも湿度も落ち着いたこの頃、水はあまり減っていなかった。ペットボトルがずしりと重い。たかが2キロ弱だが、この分の体重が減ったら随分と楽だ。体重が1キロ落ちればフルマラソンではタイムが3分縮まる、とよくいわれるが、本当にそうなんだろうなあと大きなペットボトルを抱えながら実感した。長距離では、脂肪だろうが筋肉だろうが、とにかく錘が少ないほうが有利だ。つまり、いい方をかえれば、私はとっても不利ということ。減量は必須である。ダイエットなんてかわいらしいいい方ではなく、「減量」という言葉の響きが今の私にはよく似合うと思う。
 スタート時間が遅かったせいもあって、3周目になると、さっきまで目についた若い女の子の姿も全然見かけなくなってきた。時々暗い空を見上げながら、ひたすら走る。はじめての距離だと思うと嬉しい気もあるが、心の隅では、もう10キロは走ったんだし、やめちゃおうかなと悪魔のささやきが聞こえる。一人で走っていると、萩尾さんの思い切り私を小馬鹿にした会話が懐かしいものに思えてくる。だんだん心臓は苦しくなってくるし、右足はずきずき痛むし、お腹はへってくるし、とにかく早く終らせたくて、私はペースを落とすどころか少し上げ気味で頑張った。スタート&ゴールにしている大手門の信号が近づいてくると、疲労と感激で泣きたいぐらいの気分だった。三周目も36分だった。合計1時間49分走り続けたのは、生まれてはじめてである。けれど、フルマラソンでは、どう都合よく見積もっても、この3倍は走るのだ。自分がどうなってしまうのか、まったく想像できない。
 家に帰ると、お腹はぺこぺこだったけれど、固形物を噛む気力がなく、ハーゲンダッツのマカデミアナッツを2個食べ、ビールを一本の半分ほど飲んで、倒れるように寝てしまった。萩尾さんに報告のメールを入れることになっていたのだが、それも忘れていた。
 次の日、またもや、右足が痛くて目が覚めた。まともに歩けない。右足の外側の淵と土踏まずの内側がじんじんと痛いし、アキレス腱や膝の内側にも鈍い違和感がある。そうかと思うと、左側は太腿の裏や臀部にひきつったように痛い。オペの部分が痛いのか、そのせいで他が痛くなっているのか、自分でももう判らないぐらい。ここまでいろいろな部分がいっぺんに痛いのは、はじめてだ。目の前が真っ暗になった。9割直ったと思っていたけれど、後の1割が直るどころか確実に後退している感じだ。
 またもやR-bodyにかけこんだ。ケア・トレーナーの大高さんに診てもらう。いろいろな部分をかばい合って、結局、そのすべてに炎症が起きているらしい。もちろん、鍼を打ち、かなりきついマッサージを受ける。もう、怖いとか痛いとかいってられない。
「不謹慎ないい方だけれど、この状態は右足に癌が見つかったと思ってくださいね。でも、癌だって早期発見早期治療が鉄則でしょう。早いうちに判ってよかったですよ。まず、ランニングはお休みです。といっても、これじゃあ走れないと思うけどね。それから……」
「それから?」
「当分のあいだはテニス禁止。その後もせめて、月に2,3回までにしてください」
「えーっ。今や唯一の楽しみなのに」
「あのねえ、甘糟さん、走って足が痛いってここに来て鍼打って、そのそばからテニスしてたんじゃあ、僕だって治しきれないですよ。だって、テニスはもろに足首にくるでしょう」
「まあ、そうですね。実際私はそれで靭帯おかしくしちゃったんだし。判りましたよ。テニスは週に……、1回までにしますって」
「う〜ん。そのいい方、あんまり信用できないなあ。なんなら、ラケットここに預けておきますか。いうこと聞かないなら、ガット切っちゃうよ」
「あ〜あ。ラケット買い換えたばっかりなのになあ」
「二兎を追うものは一兎も得ず、ですよ。テニスはロンドンが終ってから存分にすればいいじゃない」
 大高さんの言葉が身に染みた。確かに、今の私はテニスよりランが大事。泣く泣くテニスのレッスンをキャンセル。お酒にテニス……、私の生活からどんどん娯楽が消えていくのであった。これは、そのエネルギーで原稿を書けってことだろうか?