第十八回
 はじめての20キロ走は、かなりの“イベント感”があった。場所は、もちろん皇居。白戸さんに伴走してもらって、ここを4周した。
 だいたいキロ6分半ぐらいといういつもと同じペースで走り始めたのだが、ずっとこのペースを守れるのかずっと不安だった。走り始めて15分もすれば、たいていその日の身体の声が聞こえてくるような気がするのだが、今日に限ってはそれどころではない。まだまだ先は長いという思いだけだった。
 平日の昼間だというのに、相変わらずここではたくさんのランナーが走っている。高校生の部活動らしき団体もいれば、中年の男性やいかにも実業団という感じの高速ランナーもいる。女性や白人は、i podをつけながら走っているも多い。
「白戸さんは、i podとかつけながら走ったりします? 私の友達では、いつもアルバム一枚分走るっていう練習方法の人がいるんだけど」
「僕は走りながら音楽は聴かないですね。走っていると、ふっと頭の中に歌が浮かんできたりするんですよ。昔の歌謡曲だったり、最近よく耳にする歌だったり。そういうのが楽しいから。走って、想像力が刺激されるんでしょうね」
 楽しむこと。とにかく、これが大事。きっと小説を書くのも同じだろう。楽しんで書かないと、読むほうだって窮屈になってしまう。最近、ランニングとライティングの共通点を捜すのが、趣味になっている……。
 暮れかかってきた皇居を眺めながら、そのうちボルドー・マラソンに参加しようという話題でも盛り上がった。なんと、各給水所にはボルドー・ワインが置いてあるのだとか。仮装したランナーが、酔っ払いながら42.195キロを走る。医者も常駐しているらしい。さすがフランス! レースというより、ピクニック感覚なのだろう。白戸さんに、ボルドー・マラソンなら、甘糟さんのほうが速いんじゃないの? なんていわれてしまった。どんな仮装をしていくかまで話し合った。
 そんなことを話しているうちに、あっという間に2周が終わってしまった。あれ? もう半分きちゃった、という感じだった。振り返ってみれば、ちょっと前まで、10キロだって私にとっては、大きなイベントだった。けれど、何度も繰り返していくうちに、今ではその距離にはまったく動じなくなっている。少々寝不足でも二日酔いでも、10キロなら走り通せる自信はある。ランニングは小さな積み重ねが必ず結果に結びついてくれるスポーツだ。
 各5キロのラップタイムは、32分半、32分半、32分。さすがに最後の5キロは口数が少なくなったけれど、それでも、白戸さんの指導で、最後にダッシュを入れた。必死で足を動かすと、足の筋肉がぴくぴくしているのが判る。心拍計の数字を確認すると、172を指していた。ダッシュをしたせいで、最後の1周は最速の31分だった。合計2時間8分。スタート地点に戻ってきた時は疲れ果てていて、大きな感激もなかった。
 走り終わって、ほとんど無意識にアキレス腱を伸ばそうとすると、だめだめ! まだだめ! と白戸さんにたしなめられた。案の定、アキレス腱に小さな痛みが走る。同じ動きを続けて身体が固まっているから、それをほぐしてからストレッチをしなければならないのだ。後ろ走り&後ろスキップ、それにサイドステップ。20キロ走ったというのに、身体がちゃんと動くのが自分でも不思議だった。
 もっと不思議だったのが、思ったほど腹が空かなかったこと。大雑把に計算しても、多分1000キロカロリー近くは消費しているはずだが、夕食はごく普通の量で済んだ。お腹がいっぱいになったというわけではなく、疲れきった身体が自分の食欲を把握しきれていないという感じだった。それとは逆に、水への欲求はすごかった。とにかく喉が乾いた。水を飲むそばから、しゅうっと音をたてて身体が吸収していく気がした。そして、眠くて眠くてしかたがない。不眠気味の私とは別人のようだった。身体も頭も動かないので、その日は原稿をあきらめ、早々とベッドに入った。
 翌朝は、空腹で目が覚めた。睡眠で身体の疲労が取れたら、時間差でお腹が空き始めたようだ。なぜか、ご飯よりお肉よりチョコレートより、パスタが食べたくなった。それも、あまり具のないシンプルなもの。にんにくとたかの爪でアーリオ・オーリオを作り、二人前のパスタを茹でて完食した。相変わらず、喉の乾きは収まらず。なんというか、自分も動物なんだなあと実感した朝食だった。
 感激も時間差でやってきた。だんだん、「あたしってすごい!」という思いが大きくふくらんだ。これが、萩尾さんの心配していた“燃えつき症候群”なのかもしれない。確かに、20キロでこうなのだから、練習で42キロ完走してしまったら、私はそこですっかり満足してしまいそうだ。
 白戸さんにも少し驚かれたのだが、筋肉痛はほとんどなかった。これは、もう、R-BODYでの日頃のトレーニングのおかげだろう。マラソンのために使える時間は限られているのだから、トレーニングするより走りこんだほうがいいんじゃない? という人もいた。走っていれば、必要な筋肉はついてくるから、と。けれど、この20キロ走を無事終えたことで、トレーニングをしておいて良かったと心から思った。急がば回れ、だ。

 初20キロ走から11日後の1月22日は、アディダス・ランニング部の人たちと千葉マリンマラソンに出場することになっていた。私にとっては初のハーフマラソンだ。展示会のためにアメリカから一時帰国している萩尾さんもエントリーしている。
 ランニング部は最近活動が盛んで、年末にはつくばマラソンに22人がエントリーした。うち、16人が見事完走。展示会で会った完走者の一人(ちなみに男性)に聞いたのだが、最後の2キロぐらいになると涙が出てきてしまったそうだ。ぬぐってもぬぐっても流れてくる涙で頬を濡らしながらゴールした。その人だけでなく、みんな(ちなみに全員男性)ゴールと同時に大泣きしたらしい。萩尾さんはいう。
「初マラソンは、たいていみんな泣いちゃいますよ」
 えー。ロンドンでは完走はしたいけれど、泣くのは避けたい。でも、きっと、自分で自分に感動しちゃうんだろうなあ。伊達公子さんがロンドンを走った時は、伊達さん本人はけろっとしていたらしいが、マネージャーの松浪さんは、40キロを過ぎた辺りからじわっときたという。
「甘糟さんなんて、絶対号泣すると思うけどな」
 萩尾さんのこんな天然憎まれ口も、既に懐かしい。久しぶりに会えて嬉しかった。
 萩尾さんと一緒のレースを楽しみにしていたのだが、前日に関東では8年ぶりとかの大雪が降り、レースは中止になってしまった。マラソンが中止になるのは、かなり珍しいことだそう。そういえば、今年の箱根駅伝も雪の中で走っていたし。
 本来ならレースがあった日曜日は、晴れ。これなら開催しても良かったのでは、と思う。予定を空けてあるし、すっかり走る気になっていた私は、夕方一人で皇居に走りにいった。
 ところが、道の半分は凍結していた。特に武道館前から英国大使館前辺りは、走るどころではない。宇宙飛行士のような体勢でころばないように前に進むのが精一杯。私以外にも数人のランナーが走っていたけれど、こんなコンディションの中でも走ろうという人たちはみんなかなり速くて、へっぴり腰の私は抜かされてばかりだった。こんな経験もそうできないだろう。練習にはならなかったけれど、雪が残った皇居は本当に美しかった。走っていなければ見られなかった景色である。