第十九回
 ――なんで私はこんなことしているんだろう? スポーツ選手でもないのに。
 走っていて苦しい時、ふとそう思うこともある。それは、決して否定的な感情だけではなく、必ず安易な自己肯定と対になっている。――でも、こんな苦しさを乗り越えている私って、けっこうすごい!
 などと、いつも心の中で叫んでいる。走る時間は、自問自答の繰り返しでもある。
 走り始めてから、自分で自分を励ますのがうまくなった。正確にいえば、それが恥ずかしくなくなった、という感じだろうか。
 それまでの私は、どちらかといわなくても、ネガティヴシンキングなタイプだった。元々の性格に加えて、文章を書くことを日常にしているうちに、表面的に見えているものをまずは疑うくせがついてしまった。そうなると、皆が感動している美談にも素直に酔えなくなる。安易に“感動”なんてするのが恥ずかしかった。けれど今は、走っている時はとにかく余裕がないから、安易な感動でも何でも利用できるものは利用しなきゃ、ぐらいに思っている。
 同時に、心の持久力もついた。ランニングは、地道に一歩ずつ足を前に進めていかないと、ゴールまでたどり着けない。そんな当たり前のことを、日々身をもって実感すると、その一歩一歩が貴重なものに感じるし、楽しくもなった。これは、小説を書く上でとても役立っている。小説も一行一行積み重ねていかないと完結しないわけで、付け焼刃で何とかしようという悪い癖はずいぶん直った(まだ完治はしていないかもしれないが)。調子が悪くても走っているうちに身体にリズムが出てくる、という経験を何度もしたから、何も思いつけなくても、とにかく何でもいいから字を書く、というようになった。そうすると、書いているうちに思考が活発になってきたりもする。
 こんな風に、走ることは、いろいろな面で私に変化をもたらしてくれた。
 前より、体重計が怖くなくなった。こう書くと、え? と思われるかもしれない。マラソンは「体重が1キロ落ちると、タイムが3分縮む」といわれているスポーツである。筋肉でも錘になる、という言葉も耳にしていて、筋肉のつきやすい自分の体質はマラソンには不利だと思っていた。けれど、そんなのは、タイムを追求しているもっと上のレベルの人たちの場合なのだ。
 20キロを走ってみて強く感じたけれど、まずは脚の筋力がないと途中で脚が動かなくなってしまう。どんなに軽量のクルマでも、タイヤがへたっていたら走らないのと同じである。私ぐらいの初心者ランナーは、まずは筋力を落とさないことが大切(場合によっては増やすこと)。筋力が落ちて体重が減ったら、3分縮むどころか、ゴールまで脚がもたない可能性が大きい。
 自分の身体が42.195を完走するために存在していて、そのためにいろいろと準備をしていると思うと、身体のポテンシャルに自信がついてきて、体重計の数字は、単なる目安のひとつという感覚になった。実際、走り出してから、体重は減るどころか、退院当時よりちょっと重いぐらいだが、ジーンズのサイズはひとつ下になった。体重は走っているうちに減るだろう、と気長に構えているのだが……。
 体重計の数字には寛容になったけれど、時間の感覚には敏感になった。
 以前は、誰かに待たされても、それほどいらいらしなかった。考え事するのも仕事のうちだから、一人で時間をつぶすのもそれほど苦ではなかった。けれど、仕事やら日常の雑事やらのあいだを縫って走る時間を捻出するようになると、そのあいだに○キロ走れちゃったのに、と、ランニングに換算するくせがついた。実際は、そこまでストイックに走っているわけでもないのに、ついつい、その時間があれば、と思ってしまう。
 とはいえ、トータルで考えたら、無駄な時間の使い方はずいぶん減ったと思う。
 以前の私は、世間の時計なんて一切気にしない生活だった。夜は寝つきが悪いからたいていお酒か睡眠薬を飲む。当然、寝起きは悪く、目が覚めてもだらだらとベッドにいるのはいつものこと。明け方まで原稿を書いて、ほとんど朝になってから寝て、起きるともう午後になっている、という日も珍しくはなかった。睡眠薬を飲みすぎて、取材の最中に気持ちが悪くなったこともある。写真を撮られたり、人前に出なければならない時は、あせってエステティックサロンに駆け込み、むくんだ顔をマッサージしてもらっていた。
 今振り返ると恐ろしいぐらい、自堕落で行き当たりばったりの生活だった。
 最近は、身体の代謝があがったせいか、お酒もかなり弱くなった。たまには以前のように明け方まで飲みたいと思っても、身体のほうがついてこない。眠くなってしまうのだ。夜になると眠くなる、という動物としてごく普通のことが、私にとっては新鮮ですごく嬉しい。まあ、時々は、紫色の空の下でタクシーに向かって手をあげる自分が懐かしかったりもするのだけれど。
 エステティックサロンに行く回数も極端に減った。まず時間がない。それに、行かなくなっても、それなりになんとかなるものだと判った。日焼けによるシミやソバカスは増えたかもしれないが、肌質そのものは、むしろ前より調子がいい。酒量が減ったことと代謝があがったことが原因なのだろう。
 多分、人間は誰でも、ストイックと享楽のその人なりの黄金率があって、それを探しながら生きているのではないかと思う。私はきっと、自分で思っているよりストイックの比率が高いタイプだった。それまでの享楽漬けの生活は、今の自分を形成している大切な過去だけれど、もう一度繰り返したいとは思わない。ロンドンマラソンが終わっても、ランニングを続けるかどうかは、まったく予想がつかないけれど、以前のような生活には戻らない。……って、なんだか、不良少女が更生したみたですね……。