おもしろタスキをおもしろくする
おもしろタスキをおもしろくする
その1 頭痛、生理痛に
著者:せきしろ(プロフィール)
 いつ頃からだろうか。『おもしろタスキ』が「実はおもしろくないのでは?」と気づき始めたのは。物心ついた頃からそう感じていたのだろうか。残念ながらその辺りの記憶は曖昧であるが、幼少時は『おもしろタスキ』の存在すら知らなかった気がする。ならばそれ以後、思春期の自我が確立されつつあった時だろうか。『おもしろ』と形容されているのだからおもしろいと疑うことなく成長してきた自分を恥ずかしいと感じた時、あるいはあらゆることに反抗してしまう過程で『おもしろ』と頭ごなしに決め付けられることに反発したのか、それとも「おもしろタスキはおもしろくない」と言う友人達の影響からか。
 もちろん『おもしろタスキ』をおもしろいと考えている人もいるだろう。思春期を過ぎてもおもしろタスキをおもしろがる人は存在し、パーティにて純粋な気持ちで思う存分活用する人は少なくない。となると、思春期で気持ちが変化した事例は私がたまたまそうだっただけで、他者には当てはまらないと考えた方が良さそうだ。結局は個々のセンスに左右される問題なのかもしれない。もって生まれたセンスや生活環境によって変化したセンスによって『おもしろタスキ』に対して抱くイメージは固定されたり変化したりするに違いない。
 これにより人間は『おもしろタスキ』をおもしろいと感じるか、おもしろくないと感じるかの二種類に分けられることになる。両者は上下関係や大人の事情や「あっ、俺もおもしろタスキが大好きなんだ」という嘘をつかざる得ないまだ付き合い始めのカップルの関係等が無い限り、共存は不可能である。逆にこのことを利用し、「おもしろタスキをどう思う?」という質問により、どちら側の人間なのかを判断する、いわば踏み絵的なことを行うことも可能となり、時代が時代ならばどちらかのグループが迫害される暗黒の歴史が作られる場合もあるかもしれないのだがそれは別の話だ。
 斯く言う私はおもしろいとは思わない派である。『おもしろタスキ』を見て笑いたくなる感情は沸かない。もちろん「おもしろい」という言葉の意味が全て笑いに直結するものではないことも知っている。おもしろいには「興味を持つ」的な意味もある。「おもしろい試合になってきた」等と使用する場合だ。また「快さ」を表現する意味でも使うだろう。「おもしろい時間を過ごした」等という場合である。などと別の意味を考えたところで『おもしろタスキ』に興味を持つことや快さを感じることはない私はおもしろさを抱かず、『おもしろタスキ』は名前に偽りありなのだと結論づけてしまうことになる。
 だが、私は今その結論を変えようとしている。『おもしろタスキ』をおもしろくしようと考えているのだ。
 なぜ?
 それは『おもしろタスキ』を本当におもしろくしなければいけない状況におかれているからに他ならない。
 まず『おもしろタスキ』をおもしろくしようと考えた場合にタスキを加工、変形することを第一に考えるに違いない。タスキの言葉を書き換えるなどの、タスキそのものに手を加える手段だ。たしかにこれらによっておもしろくなる可能性はある。それはタスキに書かれた「本日の主役」の文字を「頭痛、生理痛に」に変えてみるだけで一目瞭然だ。
 タスキをかけた人が立っている。タスキには「頭痛、生理痛に」の文字。特に誰かに伝えたいメッセージというには中途半端な短文であり、かといって自己主張というには言い切ってもいなく、そんな姿は意味不明で不思議極まりない光景となり、おもしろさは増すだろう。
 だがそれは、『おもしろタスキ』として販売されている商品そのものをおもしろくしているとはいえない。すでに完成品であり既製品である物をおもしろくしなければいけないのであって、タスキに手を加えることを認めたならばタスキが原形を留めなくなる場合があるだろう。それはもう『おもしろタスキ』という商品ではなくなっている。あくまでも『おもしろタスキ』という商品はそのままで、姿形は弄らずにおもしろくしてこそ、人間を二分する『おもしろタスキ』をおもしろくしたと言えると私は考えたのだ(つづく)。