超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
スピーチは苦手です
 こんにちは、シュカワです。
 いきなりですが、みなさんの学校や仕事場に、普段はやたらうるさいのに、手を挙げてみんなの前で意見を発表しろ......と言うと、妙に静かになるヤツっていませんか?
 簡単に言えば、いわゆる『ヘタレな人』ですが、実は僕は典型的にこういうヤツなのでした。体は不必要なほどに大きいのに、肝っ玉が妙に小さくて、自分にスポットライトが当たるのが苦手なのです。
 その理由はいろいろ考えられるのですが(ビジュアル面にコンプレックスがある、外見に自信がない、容姿に難アリを自覚している、など......って、内容はみんな同じか)、要は自意識過剰ということなのでしょう。できれば、世間の片隅にひっそりと咲くラフレシアのように、あんまり目立たずに静かに生きていきたい......と、日々考えているわけです。
 理想としては、テレビの『水戸黄門』の過去のシリーズに登場していた「うっかり八兵衛」のスタンスですね。黄門様のようにどアップになることなく、助さん格さんのように大立ち回りすることもなく、主にお笑いパート担当......というポジションです。
 なぜといわれても困るのですが、僕には一番、それが似合っている気がします。『偉い』と『カッコイイ』は、別の人にお任せして、まぁ、気楽にやっていきたいと思っているわけですね。実質的には一番楽しい役どころなんですけど。
 だから、スピーチみたいなものは大の苦手です。
 人の目が自分にジーっと注がれている状況が耐え難く、何だか取り返しのつかない放送禁止用語を際限なく口走ってしまいそうで、自分が怖くなったりしてしまうほどです。
 たとえば、数年前に『日本ホラー大賞』という公募文学賞で、短編賞をいただいた時のことです。
 本が出版されてから、東京會舘で授賞式があったのですが、今から思えば、その数日前からゴチゴチに緊張している状態でした。何せ、そういう晴れがましい席に出たのは、息子の保育園の卒園式が最後でしたから、当日の朝などは完全に舞い上がって、「どうしよう、どうしよう」状態です。冗談ではなく、いっそ病気になって欠席しちゃいたい......と思ったくらいでした。
「大人なんだから、しっかりしなくては」と思い、とりあえずスピーチ原稿を作って、一生懸命にそれを覚えました。会場に向かう電車の中でも「このたびは、栄えある賞をいただき......」と、ブツブツ呟き、会場のトイレでも「若輩者でありますが、今後とも......」と唸り、完全に浮き足立って、かなり挙動不審になっていたと思います。
 緊張は、授賞式が始まってからピークに達しました。控えの席に腰を降ろしながらも、心ここにあらずで、本当に体から幽体が抜け出てしまうのではないかと思えました。心臓がドキドキ、汗はダラダラ、頭はクラクラです。
『日本ホラー大賞』は、大賞、長編賞、短編賞とあり(なぜか遇数回にしか大賞が出ないというジンクスがあります)、順番にやりますので、僕は三番目です。
 最初に大賞の方がスピーチをされたのですが、この方はふだん大学の教壇に立っていらっしゃる方でしたので、たくさんの人の前でお話しするのが、とても上手でした。気の利いたジョークを交えつつ、みごとに会場を沸かせています。次の長編賞の方は、ご都合で出席できないということで、担当編集者の方が、預かっていたコメントを代読しました。これもまた粋なクスグリに溢れ、会場では大ウケでした。
 その後に壇上に立たなければならないプレッシャーは、かなりのものです。名前を呼ばれてマイクの前まで行く間にも激しいGを感じ、覚えていたスピーチ原稿の内容は、ずるりんずるりん頭から抜け落ちていきました。「あの時のシュカワさんの歩き方は、初代ロボコップに酷似していた」という証言があるくらいですから、本当に緊張しまくっていたのでしょう。
 いよいよスピーチの段になった時には、冗談ではなく、頭の中はまっさらな白紙でした。仮にあの瞬間、脳波を計測したら、きっとアルファー波もシータ波も検出できない状態だったに違いありません。いわゆる涅槃の境地......ではありませんか。
「えー、このたびは」
 とりあえず何度も練習した部分、つまりスピーチ原稿の一行目だけは、どうにか出てきました。ですが、その後が、まったく出てきません。僕はすぐさま、言葉に詰まってしまいました。
 目の前には、たくさんの人がズラリと並んでいます。その中には、見知った顔もいくつかあるはずですが、当然のように判別はできません。緊張は限界を超えて、思わず「ギギギ......」という呻き声が漏れそうになりました。
 その時、頭に閃いたのが、この一言でした......「短編賞なので、ご挨拶も短編で失礼いたします」。
(あぁ、これだ。これなら、すぐに終わらせられるぞ)
 これ幸いと、僕はそれだけ言って、さっさとスピーチを切り上げてしまいました。時間にすれば、たぶん十五秒くらいです。
会場のみなさんは、一瞬あっけに取られた様子でしたが、どうやらそのヘタレスピーチを歓迎してくれたようでした。夕食時でしたので、会場に運ばれてくる料理が早く食べたかったのかもしれません。
 暖かい拍手をいただきながら、僕は大いにホッとしました。同時に「スカートとスピーチは短いほどよい」という、きわめてオジサン的な金言は、まさしく真理だった......と、実感したりもしたのでした。

 それ以来、「本当に、スピーチというのは厄介だ、できればやらずに生きて行きたいものだ」と考えてきたわけですが、人生、なかなか思い通りにはなってはくれません。どういうわけかマイクの前で話さなければいけない機会がチョコチョコ増えて、そのたびに僕はムダな消耗を繰り返してきました。その最たるものが、先日の『直木賞』の授賞式です。
 第1回にも書きましたが、その数日前から、僕は何年ぶりかの発熱を経験していました。いや、正直に言ってしまうと、授賞式当日の朝まで、三十八度以上の熱があったのです。もしかしたら、ホラー大賞の時に「病気になって欠席したい」という願望が、かなり遅れて実現してしまったのかもしれません。
 けれど、まさか本当に欠席するわけにもいきません。たくさんの人に迷惑をかけますし、何より人生最大の檜舞台を棒に振るなんて、あまりに忍びない話です。
「とにかく、行かなくては」
 熱で妙にムクんだ顔で、授賞式会場に行きました。当然のように頭はフラフラで、ホラー大賞の時以上に、すべてが真っ白です。直前まで寝込んでいましたので、スピーチ原稿を作る余裕もありませんでした。
(いったい、どうなってしまうのだろう)
 授賞式が始まり、ステージ横の控えの椅子に座りながら、僕は最大のピンチを迎えていました。「受賞作の『花まんま』は短編集ですから、ご挨拶も短編で」と、前とまったく同じ手を使うことも考えたのですが、さすがにそうも行かないでしょう。何より直前に担当の方と相談した折、その方に言われてしまったのですーーみなさん、受賞者のスピーチを楽しみにしているんですよ、と。
 すさまじいプレッシャーがかかりました。
「Gがこんなにすごいなんて......」と、初出撃のセイラさん状態です。頭の中、真っ白です。「ピカッと光った原子の玉が、ヨイヤサー、飛んで上がった平和の鳩よ」という言葉が、意味なく口をついて出てきます。
 ああいう経験は、きっと滅多にできるものではないでしょう。マジメに、その場から走って逃げたくなりましたもん。
 いよいよ授賞式が始まり、贈呈、選考委員の先生の選評......と進みました。あっという間に受賞者スピーチの段になり、初めに「土の中の子供」で芥川賞を受賞した中村文則さんが壇上に立ちました。
(中村さんが話している間に、何とか考えなくては)
 そう考えた瞬間、中村さんのスピーチが終わっていました。そう、彼もかなり緊張していて、スピーチが一分もなかったのです。おそらくホラー大賞の時の僕と同じような状態だったのは、想像に難くありません。思えば、僕よりもずっと若い方なのですから、それもむべなるかな......というところです。
 結局、頭が白いまま壇上に立って、ボロボロのスピーチをしました。何を話したか、正直に言って記憶にありません。その様子を妻がビデオに撮ってくれたのですが、怖くて今日まで一度も再生していません。
 ただ、式が終わった後、石田衣良さんと会った時、開口一番に彼が言いました。
「シュカワさん、今日のスピーチは今イチだったね」
 あぁ、やっぱり......と塞ぎこむと、
「一緒に飲みに行った時の雰囲気と、全然違ってたよ」
 いや、普通、飲みに行った時のような状態で、直木賞授賞式の場に臨む人はいないんじゃないかと思うのですが。それじゃ酔ってテレビに出て、ヤバイ発言をしまくった横山やっさんじゃないですか(あの人は、本当に天才だった!)。
 とにかく......。
 できれば、あまりスピーチみたいなものとは、これからも、なるべく無縁でいたいと思う僕でした。ですから、このページをごらんの関係者の方々、なるべく僕にマイクを向けないようにしてください。
 いや、ホントに。
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。