超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
セカセカの頃
 こんにちは、シュカワです。
 いよいよ十二月――師走でございますが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
 実はワタシ、十二月というと血が騒いでしょうがないのです。「年賀状書かなきゃ」とか、「大掃除せにゃ」と、なんか一人で盛り上がっちゃうわけですね。すべての行動基準が、『楽しく気分のいいお正月を過ごすために』という一点に集約されて、何かもう、やたらとセカセカしちゃうわけですね。
 このセカセカ感が、子供の頃から好きでした。基本的にお祭り野郎体質なので、世間が賑やかになってくると、どうにもジッとしていられないのです。
 今はまだ十二月も前半なので、おとなしく仕事してますが、クリスマス以降はさぞかしセカセカしているものと思われます。乞うご期待(いったい誰に言ってるのでしょう)。

 けれど、やっぱりお正月も、子供の頃とはずいぶん違っています。
 さすがに四十二回もやると慣れる……というのもありますし、時代が変わったということもあります。今はスーパーも元旦から営業していますし、コンビニも普通にやっているしで、本当に便利になりました。反面、昔のお正月のようなスリルはなくなったのは残念です。
 そう、若い人たち(たとえば、生まれた頃にはすでにコンビニがあった世代)には、まったくピンと来ないかもしれませんが、ワタシが子供の頃のお正月は、本当にスリリングでした。何せ、本当に一切のお店が閉まってしまうのです。
 開いているのは一部のオモチャ屋さんと酒屋さんくらいで、あとはスーパーマーケットも肉屋さんも魚屋さんも本屋さんも自転車屋さんも、がっちりシャツターを降ろしていたものです。関東では元旦に晴れる確率が高く、静まり返った町が、やけに明るく見えたりもしました。
そんな時、何か買い忘れたものや足りないものが出てくると悲惨です。
 小学校の頃、正月の二日に近所の友だちが「トイレットペーパーを分けてくれ」と、どこか緊張した面持ちで言ってきたことがありましたが、これなんか悲惨の極みですな。その家のお母さんは、年越し準備に追われるあまり、つい基本をオロソカにしてしまったようです。もちろん快く二メートル分ほど進呈しましたが(ウソです。ちゃんと二巻き上げました)、子供の友だちの家にまで頼みに来るくらいですから、実際、かなり追い込まれていたのでしょう。
 ついでにと言うわけじゃないでしょうが、その友だちはなぜかウチのトイレに入って行き、まるで憑き物が取れたような晴れやかな顔で帰って行きました。お正月早々イイコトをしたものだと、自分もなぜか爽やかな気持ちになったものです。
 そんな具合でしたから、大晦日までの盛り上りは、本当にすさまじいものがありました。
 特にクリスマス以降の加速はすさまじく、多くの人が、ただ新年のためだけに人生を費やすのです。今でも上野のアメ横あたりでその片鱗が見られますが、ああいうレベルの騒ぎが、日本中のいたるところで展開されているのでした(いや、その全部を見たわけじゃありませんけどね)。ここで買い逃したら後がないという必死さが、いやが上にも緊張感をあおったのですね。お店の人も何だかノリノリで、ビシビシ値引きしたり、ガンガンぼったりしたのでした。
 けれど、自慢じゃありませんが、ワタシも件の友だち同様――いや、それ以上に悲惨なお正月を味わったことがあります。確か、小学校の五年の時のことだったでしょうか。
 ワタシの家の場合、幼い頃に両親が離婚してしまい、ずっと父親(以後、愛を込めてオヤジ)に育てられました。そのうちお話しようかと思っていますが、このオヤジというのが、まぁ、どっちかと言うとダメな人の方に分類されるタイプで、小さい頃から結構苦労をかけられたものです。
 オヤジにはかなりのダメ特性がありましたが、中でも一番困ったのは、その見栄っ張りな性格でした。「武士は食わねど高楊枝」を地で行っている人で、自分の頭の上のハエも追えないのに、ちょっとお金を持つと、平気で人にオゴッたりしちゃうのです。
 たとえば団地の自治会の盆踊りの時など、学校の教材費を払うはずだったお金をポンとご祝儀に出してしまい、ワタシを針のムシロ状態に追いやっても、何とも思わないような人なのです。
 今から思えば、必然的にビンボーになるのを運命付けられているような性格……と言い切ってしまってもいいでしょう。友達に一人いると便利かもしれませんが、なるべく身内には持ちたくないタイプです。
 そのオヤジが、その年の年末、いい気分で忘年会から帰ってきて、ニコヤカな顔で言ったのです。
「今、有り金全部はたいて来たから、今度の正月はなしっ」
 どうやら酒を飲んで気が大きくなるあまり、手持ちのお金をぜーんぶ使ってしまったようなのです。
 子供としては「なんだ、そりゃあ!」の一言です。 こちとら正月だけが楽しみで子供やってんだ……という感じでしたが、今さら、何を言っても取り返しはつきません。そういう親を持ってしまった不幸です。
「安心しろ、ちゃんとミカンと餅だけは買ってやるから」
 どうやらオヤジにとっては、その二つがあれば、十分に正月は成立すると考えているようでした。それとは別に、自分用のお酒だけはしっかりキープしているところが何とも憎らしいです。
 大晦日の夜、オヤジは言葉どおりに、段ボール箱いっぱいのミカンと、大きな袋にぎっしり入ったお餅を買ってきました。あとは一切ナシです。
 床屋も行けなかったので髪の毛はボサボサのまま、新しい服の一枚も買わず、おせち料理などは別世界の話です。年が明けてもお年玉ももらえず、ワタシと二人のアニキは、非常に欝な気分のお正月を過ごしました。
 そうなると、どんなに賑やかなテレビを見ても、何か自分だけ仲間はずれにされているような気がして、むしろ不愉快な気持ちになるから不思議です。友だちと遊ぼうかと思っても、みんなは家族と過ごしているので、そこに入っていく余地はありません。何とも、つまらないお正月です。
 何より困ったのは、食べ物でした。
 掛け値なしにミカンとお餅しかないので、ひたすら、その二つを食べるしかないのです。さっきも言ったようにお店がすべて閉まっているので、たとえば家中に散らばっている小銭をかき集めて、何か買ってくるという非常手段も取れません。
 お雑煮を作ろうと思っても他の材料がないので、お餅は当然、ひたすら焼いて食べる以外にありませんでした。キナコなんてしゃれたものもないので、ひたすら砂糖醤油のみです。元旦の夜にはすでにウンザリしていましたが、それを三が日の間、ずっと食べ続けたのでした。お正月というより、『越冬』という方がふさわしい状況です。ワタシと兄貴は、顔や掌を黄色くしながら、ひたすらにミカンとお餅を食べてしのぎました。
 その間、もっとも腹が立ったのは、当のオヤジが「やっぱり餅とミカンだけじゃ、飽きるな」と言い放ったことです。いったい、誰のおかげでこんな楽しい正月になったと思ってるんスか……と恨みましたが、オヤジは結構コワイ系の人だったので、子供としては、悲しげな微笑を浮かべる他はありませんでした。
 何にせよ、この時の記憶がトラウマになったのか、ワタシは今でもお餅があまり得意ではありません。もちろん、無事にお正月が迎えられただけ幸せなことではあったのでしょうが。
 ちなみに、三が日が明けてお肉屋さんが開き、久しぶりに食べたコロッケが、本当に目の玉が飛び出そうなほどおいしかった……というのも、今となってはいい思い出です。

 やっぱり、お正月は騒々しいくらいが楽しいですね。
 近頃は海外で年を越す人も多いようですが、ワタシは家で迎える新年が好きです。
 仮にスーパーが元旦から営業していようと、とりあえず食料を大量に買い込み、ミカンは箱で買って、ビールもどっさり買い込んで、何か気の抜けたようなお正月番組を眺めているのが、何とも言えません。そういう生活に飽きたら、地元の大酉神社(小さいですけど、全国のお酉さま発祥の地なのですよ)や、西新井大師に初詣に行くのもいいでしょう。あと、集めるだけ集めて、見る時間のなかったDVDをまとめて鑑賞……というのもいいですな。
 そういう計画は何となく思い描いているのですが、もしかすると、二月に出す新刊の仕事をしているかもしれません。それもまぁ、ある意味、贅沢なお正月の過ごし方……と、言えなくもないです。なるべくなら、回避したいことですが。
 そうならないためにも、今からセカセカ度をアップしなければなりません。とりあえず、出版界名物の年末進行というものを、無事に切り抜ける必要があります。
 さてさてクリスマス前までに、シュカワは三百枚以上の原稿が書けるでしょうか? 手に汗握る展開に、待て次号(いや、別に続きません)。
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。