超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
デビューするまでの話 パート2
 こんにちは、シュカワです。
 寒い日が続いていますが、お元気ですか。ワタシは相変わらず仕事漬けですが、毎日元気にやっています。あまり外に出られないので体脂肪率の向上が著しく、まさに順調にすくすく育っていると言っていいでしょう。
 さて、前回はデビューするまでの話を、途中まで書かせてもらいました。初めての続き物です。ですから、とりあえずバックナンバーに目を通してきてください
 ごらんになりました? では会社を辞めてしまったところから、話は続きます。

 というわけで、会社をあっさり辞めてしまいました。
 ここで重要なのは、当時は今ほど不況不況と言われていなかった……ということです。もちろん、ものすごく景気が良かったわけでもないのですが、とりあえず、ちょっとバブリーな雰囲気が残っていたりして、カンタンに会社辞めちゃっても、その気になれば次の職を探すのも、あまり苦労はなさそうな雰囲気でした(単にワタシが能天気なだけかもしれませんが)。
 それに会社は辞めたものの、完全に無職というわけではありませんでした。前にいた会社から仕事をもらい、ページいくら原稿用紙一枚いくらで仕事を請け負っていたのです。もちろん収入は激減しましたが、他のアルバイトに時間を割くよりは効率のいい仕事でした。
「石の上にも三年」ということで、初めは三年間がんばることにしたのですが、状況が状況でしたので、とりあえず二年間をタイムリミットにしようと決めました。その間に、何が何でも芽を出すのだという背水の陣です。
 けれど実は、それほどの背水でもなかったのです。なぜなら、会社をやめてすぐに、ワタシは結婚したのでした。昔から良く言うじゃありませんか――人間、一人じゃ食えなくても、二人ならどうにかなる、と。
 幸いワタシの相方は公務員でしたので、とりあえず会社が潰れるようなことはありません。当時はカッチリ時間通りに終われる職場でしたので、夜も一緒にご飯が食べられるような時間には帰ってきました(今は違っていて、かなり帰りが遅いです)。
 母親不在の家に育ったワタシは、炊事洗濯などの家事をすることに何の抵抗もありません。むしろ自分でやらなければどうにもならなかったので、やるのが普通だという意識がありました。かたや相方は、あまりそういうことをせずに育ったヒトでしたので、ここで利害が一致したわけです。 早い話、相方が稼いできて、ワタシが家のことをやる……という、世間的には逆転夫婦状態です。
 人によっては、こういう生活に抵抗を感じる方もおられるかもしれません。世間体が悪い、と考える向きもおられるでしょう。けれどワタシは、別に世間のために生きているわけではありませんでしたので、全然へっちゃらでした。大きな目標の前では、そういうことは本当に小さいことです。
 ただ小説家をめざすなら、この方法は上策ではなかった……と今なら言えます。
 もし今、このページを読んでいらっしゃる方の中に小説家志望の人がおられるとして、ひとことアドバイスめいたことを言うとしたら、できるだけ会社は辞めない方がいい……という一言に尽きます。もし仕事の拘束時間が長くて夢が萎んでしまいそうなら、せめて時間のキープしやすい職業に転職するくらいにしておいてください。
 なぜかというと、もちろん経済的な理由もありますが、社会とのコネクションが切れると、人間というものは恐ろしい速さで退化するからです。モチベーションを持ち続ける意味でも、多少の不自由や不満は抱えていた方がいいですよ。要は、逆境がないと人間はダメになる……というコトですね。
 ワタシも会社を辞めたばかりの頃は、しばらく使い物になりませんでした。何かと理由をつけては遊びまわって、時間があるのに原稿用紙に向かわない(当時はパソコンやワープロではなく、手で書いていました)という、悪いパターンにはまっていました。何だか毎日、日曜気分です。
 しかも、そのうち長女が生まれてしまいました。「しまいました」って言い方もあんまりですが、予想より早かったのは本当です。
 当然のことながら、逆転夫婦状態は続いています。昼の間の育児はすべてワタシの肩にのしかかり……というより、ワタシは育児が面白くてならなくて、ちょっとハマッてしまったのです。
 当時はどこに行くにも、ダッコ紐を機能的にした「赤ちゃんホルダー」を体の前につけていました。そこにスッポリと娘を入れて、いわばお母さんカンガルー状態です(ワタシは男ですが)。初めての育児は、どんな些細なことでも新鮮で、不安で、発見の連続でした。
 ここで語りすぎると別の話になってしまうので自粛しますが、早い話、育児というのは、なかなか面白く、また、何かの片手間でやれることではない……ということです。
 二年のタイムリミットはなし崩し的に延長ということになり、ワタシは子育てしつつ、その隙間に小説を書いて投稿する……という生活になりました。
 その頃、自由になる時間は、娘が昼寝している二時間と、夜、寝る前の数時間だけでした。他の雑事もあるので、そのすべてが小説を書くことに費やせるわけではありません。時にはクタクタに疲れて、娘と一緒に寝てしまうこともありました。
 これじゃ、イカンだろ……ということで、娘が二歳になった時に近所の公立保育園に入れることにしました。ですが保育園というのは、特別な事情を除いて、親が外で働いていなければ、なかなか入れてもらえません。家に閉じこもりきりで鬱屈していた部分もあったので、ワタシは近所のホームセンターに契約社員のような形で働きに行くことにしました。電器売り場に配属され、そこで週四日程度働き、残った時間で小説を書くことにしたのです。そのうち長男も生まれて、二人の子供を育てることになりました。
 この期間が、かなり長いものになってしまったのは、まったくの予想外でした。ほんの一時的なつもりだったのに、八年近くやってしまったのです。もちろん小説は書いていましたし、投稿すれば、たいていは二次選考くらいまでには残れるようになっていましたが、そこから先は、なかなか進めなかったのです。
 その間、子供も大きくなりますが、ワタシ自身も年を取ります。ふっと気がつけば、いつのまにか二十代が終わり、三十代の半ばにさしかかっていました。そうなると、いろいろと風当たりが強くもなるものです。
「キミはいい年して、いつまでそんなことをやってるつもりなんだ」
「大学まで出てんのにな。俺だったら、みっともなくって、そんな真似できないよ」
 勤め先の社員の方にこんな風なことを、真正面から言われたことが何度もあります。初めのうちは柳に風とばかりに聞き流していましたが、いつまでも、冷静でいられるというわけにも行きませんでした。世間体云々より、自分の才能が疑わしくなってきたのです(気づくのが遅いですか?)。
 さすがに、ちょっと考え込んでしまいました。
 その頃のワタシは、とにかく何の賞でもいいから早く受賞したい……ということばかり考えていました。ですから、いろんな賞の傾向を研究して、それに即したものを書くようにしていたのです。その方が受賞できる可能性が、ずっと高くなるはずですから、効率はいいはずです。まぁ、いろいろ強気なことは言ってみても、やっぱり、あせっていたんでしょう。
 けれど、それは果たして、自分が行きたかった道なのでしょうか。
 傾向を研究して書いたものが、その傾向の元になった前例を超えることはありません。そつなく書けてはいても、それだけのものです。十分に「面白くなるポイント」を押さえたものは書けるかも知れませんが、それが読者の心にどれだけ響くのかは未知数です。
 自分は作家の肩書きが欲しいだけなのか、それとも、すこしでも人の心に響くものを書きたいのか――ワタシは、ちょっとマジメに考えてみました。
 答えは当然、後者です。そうでなければウソでしょう。
では、そういうものを書くためには、どうすればいいのか……と考えた時、閃いた答えは単純明快でした。つまり、自分が面白いと思ったものを書くことです。
 当たり前に聞こえるかもしれませんが、傾向と対策ばかりに夢中になっているヒトは、案外、この単純なことを忘れていたりします。ワタシもそうでした。
 ワタシは見世物小屋や都市伝説や、何ともうさん臭い世界が大好きなのですが、そういった題材は一般的ではないので、小説の新人賞の題材としては適切ではないと思っていました。ですからそれまでは、あえて避けていた部分もあったのです。
「一回でいいから、趣味剥き出しのものを書いてみるか」
 そう思って書いたのが『都市伝説セピア』(文藝春秋)に収録されている「アイスマン」という作品です。
 これを書いている時間は、本当に楽しいものでした。八十枚程度の作品ですが、早く先が書きたくて書きたくて、気がついたら二日で書き上げていました。そして最後のオチの部分を書いた時、何だか自分の中で、パチリとスイッチが入ったような気がしたのです。今の本では、そのオチは変わっていますが(読んだことがある方は、どんなオチだったか想像してみてください)、何だかジグソーパズルのピースが、きれいにはまったような興奮を感じました。
 この小説をある日本ホラー大賞の短編小部門に出したところ、初めて最終選考に残していただくことができました。結局、かすりもせずに落ちましたが(何せ選評が一行のみ)、自分の考えがけして間違っていないのだと言ってもらえたような気がしました。
 それからは、自分の好きなものだけを書くようにしました。もちろん、傾向と対策に血道をあげていた頃に勉強したことも、十分に役立ってくれたと思います。
 それからまもなく「フクロウ男」という奇妙なタイトルの作品で、オール讀物推理小説新人賞をいただくことができました。率直に言って推理小説ではないので「いいんですか?」という気分でしたが、いただけるものは、ありがたく頂戴することにしました。それからまもなく、やはり趣味全開で書いた「白い部屋で月の歌を」という作品で日本ホラー大賞短編賞をいただき、ごく短い間に、二冊の本を出させていただくことができたのです。
 そして今に至る――というわけなんですが。
 こんな風に振り返ってみて思うのは、「やっぱり人間、好きなことをやるのが一番だね」ということと、「人生ってのは、ホントにわからんものだね」ということです。
 遠回りに見えるものがホントは一番の近道だったり、不運と思っていたものの隣に、ちょこんと幸運が挟まっていたり――だから面白いんだと悟ったことは言えませんが、きっとワタシは、こんな風なことを、ずっと続けていくんでしょう。
 それはそれで、幸せなことです。

<おまけ>
 入稿後の、担当編集者S氏との会話。
「あれ、シュカワさん、今回、ギャグはないんですか? 」
「いや、ちゃんとありますよ」
「そうですか……オヤジの苦労話ばかりで、どこで笑っていいのか、わかんないんですけど」
「わかりませんか? ちゃんと見えないギャグが入ってるんです」
「見えないギャグ? 」
「はい。全裸で書きました」
「なんじゃ、そりゃ」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。