超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
カンヅメになってきました
 こんにちは、シュカワです。
 どうもワタシ……毎年、この時期になると、なぜか調子が優れなくなるんです。何というんでしょう、一歩も外に出ず、家の中でじっとしていたい気分になるんですね。
 だいたい二月の十日過ぎから、そういう状態が始まって、十四日にピークを迎えますね。十五日ごろにはケロリと治っているんですけど――やっぱり小学校の時、好きだった女の子が、同じクラスの男の子にチョコレートを渡しているのを目撃してしまった後遺症が、今も続いているんでしょうか。あれから何十年も過ぎて、もう四十三歳のオヤジになっているというのに、幼い日のトラウマは後を引きますね。
大キライですよ、バレンタインデーなんて。
 ほんと、こういうイベントは、あまり(というか、ほとんど)女の子にモテた記憶のないワタシのような人間にとっては、辛い一日ですよ。新聞によると、OLさんの70パーセントはバレンタインデーを負担に感じているそうですから、いっそやめてしまえばいいのではないかと思うのですけど――こういうことを言うと、きっと世間的には、あまり(というか、ほとんど)女の子にモテたことのない人間がヒガんでるぜ……と思われてしまうわけで、ワタシとしては、それもちょっとツラかったりします。どうして世間は、あまり(というか、ほとんど)女の子にモテないような人間に冷たくできているのかなぁ。そうなると、もう、武士は食わねど高楊枝というか、ゴーイング・マイウェイというか、『みんな違って、みんないい』というか、そういう態度をとるしかなくなるわけで……。
(ここで担当編集者のS氏登場し、一喝)
「シュカワさん、締め切り過ぎてるのに、ナニやってるんですか。森田童子と山崎ハコをエンドレスで聴きながら、相田みつを風の、ちょっと悟った感じの絵手紙書いてる場合じゃないでしょう。早く『スッポ抜け』やってください!」
 一回りも年下の彼に叱られては、さすがに大人に戻るしかないので、今回のお話を始めることにしましょう。けれどワタシは、やっぱりバレンタインデーなんてキライなのでしたよ。

 さて、昔から小説家というと、何となく連想される言葉があります。
 かつては『原稿用紙』とか『万年筆』、『丸メガネ』、『煙草』、『心中』という言葉がまっさきに思い出されたわけですが、今はずいぶん事情が違っています。もちろん、昔ながらの手書きスタイルの方も健在ですが、各社の編集者さんに聞いてみたところ、やはり今は、パソコンで書いて添付ファイルで入稿する……という方が圧倒的に多いそうです。『丸メガネ』は、まぁ、趣味の問題ですから置いておくとして、『煙草』も吸う人が激減しています。むしろ個人営業かつ坐業なので、普通の人より健康管理に気を使ってらっしゃる方が多いように思えるくらいです。あとの『心中』は、メガネ以上に趣味の問題ですから、とりあえずスルーしておきましょう(というか、心中した小説家って、そんなに多くないのでは)。
 ずいぶん小説家も様がわりしたのかもしれませんが、『カンヅメ』という言葉だけは、今もかろうじて残っているのではないでしょうか。
 もちろん、この場合はスーパーで手に入るカンヅメ――鯖の味噌煮とか、さんまの蒲焼とか、シーチキン・スーパーノンオイルなんかとは関係ありません。文筆業者がホテルとか出版社の一室に軟禁されて、黙々と原稿を書くことを言います。
 たいていは、原稿の完成が遅れている場合の非常手段の一つなのですが、必ずしもそうとばかりは言えないこともあるようです。目を離すとすぐに遊びに行っちゃう性格の人、電話するたびに「今、やっています」と答えるのに、実際は一行たりとも書いてない人、調子に乗って仕事を引き受けすぎて、始終「ギギギ……」と呻いている人など、カンヅメを命じられる理由は、それぞれです。    
 この全部に当てはまってしまうワタシは、まだデビューして三年程度ですが、けっこうカンヅメになる機会が多いのでした。ふだんは家族のいる自宅で仕事していますので、つい時間のケジメがつかなくなってしまうというのが、一番大きな理由でしょう(要は追い詰められなければ、やらない性格っていうことですね)
 カンヅメ初体験は、確か二年くらい前に某K書店から出版する本の原稿整理のためだったのではないかと思います。場所は、御茶ノ水のYホテルでした。
 名前を出せばご存知の方も多いと思いますが、Yホテルは、昔から超有名な作家や文化人が滞在したことで知られているホテルです。新館と旧館の二つの建物があるのですが、編集の方が気を利かせてくださったのか、あるいはたまたまなのか、ワタシがカンヅメになったのは旧館の方でした。
 初めて泊まった時は、本当に感激しましたよ。
 畳の上にベッドが置いてあって、ちょっと昔のアパートみたいなのですが、机やソファーなどの調度品がレトロムード満載(というより、昔から現役ということですな)で、同じ部屋で有名な作家たちが原稿を書いたのかと思うと、それだけでもう、自分にもスゴイ作品が書けるような気になったものです。
 ワタシは部屋の窓辺に立ち、一人渋くハイライトなんか吸ったりする『有名作家ごっこ』を一時間ほどした後(長すぎるよ)、やおら仕事を始めたのですが――パソコンの電源を入れようとして、ふと気付きました。
 机の近くにはコンセントが一つしかなく、すでに机上の電気スタンドが使っているのです。確かに、昔の作家は小説書くのに電気なんて使わなかったでしょうから、当然といえば当然です。
 スタンドの電源を抜いてパソコンを起動してみましたが、どうしても手元が暗く、今でもキーボードを見なければ打てないワタシには、ちょっとしたストレスでした。
 きっとフロントにお願いすれば解決してくれたと思うのですが、『初めてのカンヅメ』だったチェリーボーイのワタシには、ちょっと恥ずかしい気がして言えませんでした。仕方なくふた口コンセントを買いに外に出たのですが、何せYホテルの近くには大きな書店がゴロゴロしています。ワタシは誘惑に負けて書店めぐりをしてしまい、結局、最初の一日目は、ほとんど仕事らしいことをしなかったのでした。
 それ以来、だいたい二ヶ月か三ヶ月に一度くらいは、どこかの出版社の仕事でカンヅメになっているかと思います。だいたい三日ほど泊まる場合が多いのですが、経験値も少しずつ上がってきて、今では余裕のようなものも出てきている始末です。
 担当編集の方々の耳に届いたら、もしかしたら大変なことになってしまうかもしれませんが、ワタシ愛用のパソコンは、テレビやDVDが見られるノートタイプなので、あらかじめ見たいものを中に入れて行ったりすると、本当に便利です。エミネムの『8マイル』も、買うだけ買って見る時間のなかった『河童の三平 妖怪大作戦(1)』も、カンヅメの息抜きと称してして見たりして、ホント、すみませんでした。まぁ、息抜きの範囲と許してもらえればと思うのですが、どうでしょうかダメでしょうか。
 実は先週末も某社の仕事で、水道橋のあるホテルにカンヅメになってきました。夏ごろに短編集を出す予定なのですが、それに収録する小説をガッツリ手直しするのが目的です。
 ロビーの喫茶店で十分な打ち合わせをした後にチェックインして、すぐにマジメに仕事したのですが、実は他月刊誌の仕事が終わっていなくて、初日はむしろ、そちらの方の仕事ばかりしてしまいました(これを読んでいらっしゃる皆さんには、何ということもない一文かもしれませんが、ワタシにとっては、かなりヤバイ告白です)。そちらの締め切りには、どうにかギリギリで間に合ったのですが、さすがにかなり後ろめたい思いがしました。
 (これでは、宿泊費を出してくれている某社に申し訳が立たない)
 そう感じたワタシは、あくる日から、とてもマジメに仕事をしたのですが――ちょっとした誘惑があったのは本当です。
 実は泊まったホテルは、東京ドームアトラクションズ(いわゆる、昔の後楽園遊園地)のすぐ隣にあり、私が泊まった部屋からは、ヒーローショーのステージが丸見えになるのです。すみません、『魔法戦隊マジレンジャーショー』、タダで五回も見てしまいました。
 いや、普通なら一回見ればお腹イッパイなのかもしれませんが、この週末はテレビの役者さんが出演する特別企画で、ブルーを演じていらっしゃる女優さんが好きなワタシとしては、たとえ小さな点くらいにしか見えなくっても、つい見てしまうのは仕方ないじゃありませんか(あっ、開き直った)。
 結局、原稿の修整は、終わりませんでした。
 すべてマジレンジャーショーのせいだとは言いませんが、きっと担当さんがこの文を目にしたら、かなりマズイことになるかと思います。もしかすると、二時間くらい正座させられるかもしれません。
 けれど最後の日、彼も寝坊してチェックアウトの時間に来なかったので、ドッコイドッコイですね。
 どっとはらい。

(ここで担当編集のS氏、再び登場)
「そういえば、ウチの仕事でも、一度カンヅメになってもらったことがありましたよね」
「あぁ、ありましたね。確か伊東のホテルでしたっけ」
「あの時も、全然原稿進まなかったようでしたけど……まさか、ノンビリ遊んでいたんじゃないでしょうね」
「失敬な! あの時は連載のスタートだったから、実際の執筆よりも、全体の組み立てに時間がかかったんですよ」
「ホントですかぁ? 」
「ウソだと思うなら、ワタシの目を見てください! これがウソをついている目ですか」
「思いっきり寄り目になってますけど」
「これは、キカイダーのマネです」
「意味わからんわ」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。