超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
かたみ歌
試験に出る花まんま
 こんにちは、シュカワです。
 みなさん、いかがお過ごしですか。ワタシは相変わらず締め切りに追いまくられて、キュウキュウ言っている状態であります。特に二月は普段より二日三日少ないので、すべてが早回し状態でした。
 月末締め切りをクリアすると、たいていすぐに月の上旬締め切りがやって来て、毎月「ギギギ……」と呻きっぱなしなのですが、それが三日も早くなるのですから、タイヘンでないはずがありません。一つ終わったら、すぐに次が来る『わんこ締め切り』状態の日々です。この場合、いくらお碗のフタをしようがドンドコ来てしまうので、ワタシはただパソコンに向い続けるしかないのでした。
 なかなか過酷な日々ですが、好きでなった職業なので、ここは一つ、がんばらなくてはならないでしょう。よーし、やるぞー。
(そこに担当編集者のS氏登場)
「シュカワさん、『よーし、やるぞー』とか言っておきながら、怪獣のフィギュアで遊んでるじゃないですか。早く今回の原稿書いてください」
「いや、遊んでるように見えるかも知れませんが、実は、こうやって頭を空っぽにして、アイディアを練っているのですよ」
「そうですか? 今、メカゴジラ動かしながら『キシャァァァ』って鳴き声アテてましたよね?」
「ハハハ、まさか、そこまでは。Sさんの気のせいですよ」
「いえ、確かに聞きましたよ。まったく、いい年して(ニヤニヤ)」
 とても気まずいシーンを目撃されたようなので、今回のお話を始めることにしましょう。

 さてさて、少し時期がズレてしまっているのは承知の上ですが、全国の受験生のみなさん、お疲れ様でした!
 みごと桜の咲いた方は「オメデトウございます!」、そうでなかった方は「人生、そんなコトでは決まらんぞ!」と言わせていただきます。えっ、第一志望はダメだったけど、第二志望にどうにか受かった? かける言葉に一番困るパターンですね。ならば――「人生そんなものだ。どんといけっ!」というのは、どうでしょうかダメでしょうか。
 それはさておき。
 ワタシも四十三歳のオヤジなので、受験というイベントは、さすがに遠い昔の出来事になりました。いろいろ苦労した覚えもありますが、今となっては、まぁ、そんな時代もあったね……と笑える日が、中島みゆきさんの予言どおりに来てしまっているわけです。
 学生の頃――特に高校生の頃は、理数系がとことんダメな人でしたので、本当に試験というものがキライでした。
 数学の試験の時は、理解不能な数式を見つめて「数字に振り回される生き方はゴメンだ!」と場違いな怒りを感じ、化学の試験では「すべてを理屈で割り切ろうとするな!」 と逆ギレし、物理にいたっては「すべては神の御心なり」と悟りを開いている始末です。受け持ちの先生が好きだった地学は、ほんの少しだけマシでしたが、数十年が過ぎた今となっては、『モホ面』という笑いたくなる言葉以外は、きれいサッパリ忘れてしまっています。何ですか、モホ面って。
 ですから試験シーズンはひたすら鬱だったわけですが、その中でも一服の清涼剤と呼んでいいのが国語の試験でした。現在、物を書く仕事をしているくらいですから、やっぱり、そういうのは好きだったわけですね。あまり勉強しなくても、けっこういい点が取れたものです(ただし、漢字はチョイと微妙でした。ワタシは子供の頃から本が大好きで、ヒマさえあれば何か読んでいたのですが、そういう人に限って『漢字は読めるけど書けない』というパターンに陥りがちです。字面をフィーリングで捉えちゃっているからですね)。
 範囲が決まっている定期テストなどは少し異なりますが、実力テストや模擬テストの国語の試験は、むしろ面白いと感じていました。今まで読んだことのない文章が読めるからです。
 あの手のものは、だいたい解説文、エッセイ、物語文という具合にジャンル分けが為されているわけですが、世の中には数え切れないほどの文章がありますので、自分が前に読んだことのあるものが出題されるということは滅多にありません。仮に読んだことがあるものが出ても、だからと言って、初めて読む人よりわかるというものでもないのです。
 一度、予備校の模擬テストに太宰治の『富嶽百風景』が出題されたことがあり、中学の頃から何度となく読んでいたはずなのに、結果はズタボロでした。ワタシはいったい、何を読んでいたのでしょう。
 そもそも小説を試験にするなんて間違っているんだよ――結果が悪かった時だけ、よく友だちとそんなことを言い合っていたものです。
 小説というのは生き物みたいなモノであり、腑分けしたら死んでしまうものだ……というのが持論でした。生き物だから、いろんな考え方があってもいいはずで、試験を作った人と意見が別れることだって十分に有り得るという論法です。
その考えは割と最近まで現役だったのですが、ここに来て、ちょっと考えが変わりました。
やっぱり、試験を作る人というのは、よくその作品を読み込んでいます。ヘタすると作者より、その小説を知っているかもしれません。
 というのも先日、いくつかの学校から、ワタシの「花まんま」を試験問題に使わせてもらいましたという通知とともに、問題を送ってもらったからです。
 それらの問題を見て、まず初めに頭に浮かんだのは、「申し訳ない」の一事でした。
 傍線部のカタカナを漢字で書きなさい、傍線部の漢字の読みを書きなさい、カッコ[1]に当てはまる言葉を次から選びなさい……という具合に、その問題はワタシが受けて来た試験と、ほとんど同じノリでした(当然ですが)。それゆえに受験生がどういう気持ちで取り組んでいるか、手に取るようにわかってしまうのです。
 きっと何人かの受験生が、必ずやワタシを恨んだことでしょう。
「てめぇ、朱川!『癇に障る』なんて言葉を使うんじゃねェよ。書けねぇだろ」
「カッコに接続詞を入れる問題だけど、この朱川って人の接続詞の使い方は、絶対に間違っていないんでしょうね? 自信あるのね?」
 あぁ、もう、ホントにすみません!そんな大それたことになるとは、思っていなかったんです!
 漢字は、すべてパソコンが自動で変換してくれました。接続詞の使い方も、やっぱりパソコンの校正機能が活躍してくれました。『茶々入れる』という言葉の意味を、まさか人様に説明させるとは夢にも思ってませんでした。ましてや、この時のトシキの気持ちを、五十字で表わすのを人様が求められる事態が起こるなんて――。
 何から何まで想定の範囲外で、受験生のみなさんには多大なご迷惑をおかけいたしました。もし国語の成績が振るわずに失敗した人がいたとしても、どうかワタシを恨まないでください。見事に合格した人は、記念&感謝の印に、ぜひ一冊お求めください。

 自分の文章が試験問題になったら、作者もきっと解けないだろう……とは、昔からよく言われることですが、幸い漢字をのぞけば、どの学校の問題も、どうにかワタシにも解くことができました。
 けれど、そのうえで断言できることは、「書いている時は、そこまで考えてはいないっす」ということです。
 お恥ずかしい話、その問題を読んで初めて、自分の中で場面がクリアーになった箇所がありますし、「こういう書き方をすると、本来の正解エよりも、ウを選んでしまう可能性があるな……」と反省させられた部分もありました。ホント、勉強になりました。
 問題を作っていらっしゃる方たちは、本当によくワタシの本を読み込んでくださっています。さっきも言ったように、作者であるワタシや担当編集者よりも、さらにジックリ舐めるように読んでいただけたのだろうと思います。それを受験生たちがなおもジックリ読んだのでしょうから、思えば小説家冥利に尽きると言えるでしょう。
 あわよくば、昔のワタシが感じていたような息抜きのような感覚を、受験生のみなさんが感じてくださっていたら、なおいいのですが。
 次は『花まんま』に収められている「妖精生物」という作品の、ちょっとエロっぽいシーンが出題されるという話ですが、それは百パーセント、ガセでしょう(間違っても信じないように)。
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。