超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
不思議な写真
 こんにちは、シュカワです。
 いよいよ春めいて来ましたが、みなさん、いかがお過ごしですか?
 ワタシは仕事の合間を縫って雪残る山形に行ったり、真言密教の聖地・高野山にのぼったりしていました。忙しいのは相変わらずですが、おかげさまで、なかなか充実した日々を送らせていただいておりマッスル(←おバカ)。
 特に高野山については、五月に発売されるオール讀物(文藝春秋)誌上にて紀行文を書きますので、みなさん、ぜひぜひ読んでやってくださいね。
 さて前回では、受験の話をチラリとしました。その繋がりというわけではないですが、今回は、僕が大学に入った時の話をしたいと思います。
というのも――実は、あるんですよ。僕の大学入学式の時の写真に、ちょっと不思議なものが。

 僕が大学に入った時というと、もうかなーり昔の話になります。
 指折り数えれば二十四年ほどが過ぎてしまっているわけですが、その頃はさすがのワタシも、今より少しは可愛げもある十代後半の若者でした。
 一年の浪人を経て、どうにか第一志望だった学校に合格したのですが、実は今思っても、かなり高望みムードムンムンの受験でした。それまでの成績を考えれば、「ちょっと、それはないんじゃないの?」と誰にも言われる、間違いだらけの志望校選びだったのです。高校の担任の先生にさえ、「絶対にムリだ」とイヤな太鼓判を押されたほどです。
 けれど――何というのでしょう、その頃からワタシには、けっこう自分の間尺に合わない夢を持ってしまう傾向がありました。
 言葉を変えれば『身の程知らず』ということになるんですが、まぁ、若いうちから、そんなものを知る必要もないじゃありませんか。何も命まで取られるわけじゃなし、ダメでもともとです。当時も今も「当たって砕けろ」が身上、好きな言葉は「結果オーライ」ですが、何か?
 ですから、合格した時は本当にうれしかったものです。人間、当たっても砕けないコトも、ちゃんとあるのですねぇ。
 まさに天にも昇るような気持ち……だったのですが、ワタシ以上に喜んだのは、オヤジでした。ワタシが幼い頃に離婚して、男手一つで三人の子供を、とりあえず死なせることなく大きくしたオヤジです。
 オヤジについては、第七回のお正月の話の時にチラリと書きましたが、ちょっと……というか、かなりダメ傾向の強い人でした。
 子供の頃から苦労をかけられたもの(普通は親の方が言うセリフですな)ですが、それでも勉強についてだけは、あんまり口出ししないという美点がありました。日々の生活に追われて、それどころじゃなかったのか、あるいは、どうでもいいと思っていたのかもしれません。
 それでも志望校を決めた時、「入れるわけがなかろうが」と笑いはしたものの、最終的には「やれるもんなら、やってみろ、おらぁ!」と、きわめて下町的なエールを送ってくれたものでした。さすがワタシの親だけあって、そういうバクチ的な生き方が好きなのです。だからと言って、受験料を出してくれた以外、特に何かしてもらったような覚えもないのですが――もしかしたら、ワタシが第一志望校に受かるのを、あまり信じていなかったのかもしれません。
 ですから、四月の入学式に出向いた我ら親子の鼻息は相当なものでした。
 二人そろって『まさに、この世の春』状態です。特にオヤジにはソフトな学歴コンプレックスのようなものがあったようで、その場にいるのがうれしくてたまらない……という顔をしていました。一張羅の背広を着て父兄席に坐っている姿は、それなりにいい父親らしくも見え、ワタシは遠目にそれを見ながら、「まさか誰も、あのオヤジがダメな大人だと気付くものはあるまい」と、ニヤついていたものでした。
 あの日のオヤジは、喜びのあまり、写真を撮りまくっていました。
 ちょっとでもいい感じの場所を見つけると、そこに僕を立たせて、バチコンバチコン撮るのです。それこそ最寄り駅のホームに始まり、講堂へ続く並木道、グランド前、講堂の看板の前、校舎の入り口、図書館の裏、果てには生協の前……という具合に、まったくの見境ナシです。
 初めのうちこそ親孝行と思って協力していたワタシも、さすがに恥ずかしくなって、途中で逃げ出したくなるほどでした。ですからこの日の写真は、撮影順に並べるとワタシの顔から徐々に笑いが消え、しだいにウンザリしていくのがよくわかる、ある意味、画期的な組写真とも言えるでしょう。
 ちなみに今から二十四年ほど昔といえば、当然デジタルカメラなんてものはありません。激安現像店さえなかった頃なので、写真は今ほど気楽に撮れるものではありませんでした。
 特にビンボーな我が家では、自然とフィルムをケチる習慣がついていて、一本のフィルムの中に小学校と中学校の卒業式が一緒に収まっている……という冗談のようなことも、さして珍しいことでもなかったのです。ですから、あの日のオヤジは、相当の大盤振る舞いをしていたと言えるでしょう。
 その時の写真は今もアルバムに残っていますが、実はその中に二枚、不思議な写真があるのです。
 いえ、別に何か、この世ならぬものが映っているわけではありませんが――やはり不思議としか言いようのない写真なのです。
 一枚はワタシが同年代の男性と二人、親しげに肩を並べて桜の木の下に立っているものです。メガネをかけた痩せぎすの男性で、気マジメそうに『気をつけ』の姿勢で、まっすぐにカメラの方を見つめています。
 もう一枚は、講堂の『入学式』という看板の前で、明るいベージュのドレスを着た可愛らしい女性と二人で並んでいる写真です。彼女は片手に書類封筒を持ち、当時流行していた『聖子ちゃんカット』をしていて、どこか照れくさそうな風情にも見えます。
 一見すると、友だちと撮った記念写真にしか見えないのですが――実は、この二人がどこの誰であるか、ワタシは全然知らないのでした。同じ高校から進学した同級生でもないし、新しくできた友だちでもありません。もちろん、名前さえ知りません。
 答えを言ってしまうと、シャッターを切る快感に目覚めたオヤジが逆上し、近くにいた新入生に適当に声をかけて、一緒に写真に収まってもらったのでした。知っている者同士で撮るからこその記念写真だと思うのだが、あの日のオヤジは、その原則さえも忘れてしまうほど、ワタシの入学が嬉しかったのだろうと思います。
 これで一緒に写っていた男性が、後にワタシの生涯の親友になり、可愛らしい女性が妻になってくれていれば、面白い話として完結できるのですが、世の中、そんなにうまく行くものでもありません。
 入学後、出来上がった写真を進呈する機会でもあれば……と、何となく注意はしていたのですが、その後、学校で彼らと再会することはありませんでした。もしかすると何度かすれ違ったりもしていたのかもしれませんが、少しも気がつかないまま卒業してしまいました。
 けれど、ちょっと面白いのは――そのお二人とも、見知らぬワタシと写真に納まりながら、いかにも嬉しそうに満面の笑みをたたえていることです。
 突然上機嫌のオヤジに声をかけられ、知らない人間の記念写真に入れと言われて、笑いたくなる気持ちもあったでしょうが、彼らもやはり、入学が嬉しくてならなかったのでしょう。そうでなければ、一緒に入ってくれるようなこともなかったはずです。
 そのお二人が今どこでどうしているか、わかるはずなどもありませんが、まさか、こんなところで自分が話題になっているとは知りもしないでしょう。
 不思議だけれど、ちょっと、いい写真だと思っています。
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。