超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
アルバイト事始め
 こんにちは、シュカワです!
 春たけなわの今日この頃ですが、みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
「あれっ、このヒト、前回載ってなかったんじゃない?」と気付いている鋭い人もいるかもしれませんが、大人の世界はいろいろありましてな。まぁ、スゴロクだってサイコロの目次第で一回休みっていうのがあるんだから、深く考えないことです。ハゲますよ。
 さて、その間にも桜は咲いて、今はハラハラと散っているわけなんですが――そういうコトとはまったく関係なく、今回はアルバイトの話をしようかと思います。
 なぜならワタシの十代は、そのままアルバイトの歴史でもあるわけで、面白い話もチョコチョコあったりするんですよ、これが。

 ワタシの家は、貧乏でした。
 いきなりNHKの『青年の○張』のようにマイナス面全開ですが、誰がどう見たって貧乏だったのですから、そこから始めるのが話が早いでしょう。
 とにかく貧乏で、言うなれば『誰が見ても貧乏』、『どこに出しても恥ずかしくない貧乏』、『天上天下唯我貧乏』でした。
 具体的に例を挙げて、このくらい貧乏でした……と言ってもいいのですが、世の中にはなぜか妙に負けん気の強い人がいて、「そんなものはまだまだ甘いっ!」と言われたあげく、正座させられて説教されてはかなわないので、それはやめておきます。今回の趣旨は、貧乏自慢ではありませぬ。
 まぁ、とにかく、結構カツカツな家だったわけです。お小遣いをもらったこともあまりなく、小学生の時は欲しいものを買うために、町中に落ちているコーラのビンを拾い集めて換金する……ということが日常茶飯事でした。考えてみれば、それも結構な肉体労働なので、アルバイトと言えば言えるかもしれません。
 ですから我が家では、大きくなったらアルバイトするのが当然でした。
 四つ年上の兄は高校に入るなりハードなアルバイト生活に突入し、毎日十一時過ぎまで働いて好きなギターを買ったりしていました。真ん中の兄も、知り合いのおそば屋さんの出前などをやってはお金を稼ぎ、二日で使い果たすという豪気なコトをやっていたものです。
 そういう兄たちを見ていれば、自分でお金を稼げることがうらやましくてなりませんでした。自分も高校生になったら絶対アルバイトをして、今まで買えなかったものをジャンジャカ買おうと心に決めていたのです。
 けれど幸いなことに高校生になる前に、そのチャンスがやって来ました。そう、中学二年生の春、初めてのアルバイトを体験したのです。
 普通、中学生はアルバイトをさせてくれないものですが、ワタシの頃は、なぜか例外的に新聞配達だけは大目に見てもらえていました。もちろん、ホントはいけなかったのかもしれませんが、もう 時効だからいいでしょう。
 そう、ワタシが初めて経験したアルバイトは新聞配達だったのです。何となく、時代がわかるような感じがしますね。
 中学の同級生と一緒に始めたのですが、今から思えば、ちょっとばかりワタシには向かない仕事だったと思います。
 どうしてかというと、私は昔から朝にメチャクチャ弱いのです。子供の頃から十一時ごろに寝るのが当り前でしたので、夜中の三時半頃に起きるなんて冗談じゃありません。
 さらに言えば、黙々と歩き続けるような体力には自信があるのですが、スピードを要求されてしまうと、かなりツライ状況でした。要は、限られた時間内に必ず終わっていなければならない仕事には、あまり向かないタイプなのです(それが真実であることは、各出版社の担当編集者さんたちが証言してくれることでしょう)。
 ですから、結局は三ヶ月ほどしか続かなかったのですが、私としてはかなりがんばった方だと思います。終わりの方になると、夜は八時以降に目が開けていられなくなり、ついには授業中――特に大嫌いな数学と理科第一分野の時間になると、自動的に意識が飛んでしまうという有様でした。とうとうオヤジからストップをかけられて辞めざるを得なかったのですが、やっぱり中学の時のアルバイトは、避けた方が無難です。
 けれど、その三ヶ月の間、楽しいこともいっぱいありました。
 ワタシが受け持っていたのは大きなマンション一棟と団地二十棟くらい、それに普通の住宅が七、八軒でした。世間的に見てどうなのかはわかりませんが、その新聞の営業所では、ずっと少ない方です。中学生ですからバイクには乗れず、当然自転車での配達になります。
 三時半に起きて家を出るのですが、自分の配達区域の新聞を揃える作業(本紙何部、スポーツ紙何部、経済紙何部……という具合に)がありますので、だいたい配り始めるのは四時ごろからでした。本職のお兄さんたちは、もっと早く来てチラシの折込をしたりしていましたが、中学生であるワタシと友だちは、その作業は大目に見てもらっていました。
 まだ夜が明ける前の町を自転車で走りまわって新聞を配るのは、なかなか面白いものでした。きっと時間的には、まだ夜の領域なのでしょう、普段の生活ではなかなかお目にかかれない風景によく出会ったものです。
 たとえば団地に新聞を配っている時、細い階段の真ん中に『あしたのジョー』のラストシーンそのままの格好で酔っ払いが寝ていたことがありました。
 この場合、ポーズだけだと思うでしょうが、実はスタイルも同じで、なぜだかパンツ一枚に上半身は裸、足元は黒のナイロン靴下に革靴を履いたままでした。さすがに手にバンデージまでは巻いていませんでしたが、その格好でジョーと同じようにうつむき、満足げな笑みを浮かべていたのです。大きく違うのは、その人がすでに五十歳くらいだったことと、足元に吐寫物がオーストラリア大陸の形に広がっていたことくらいです。
(この人に、いったい何が起こったのだろう)
 幼かったワタシは不安になり、肩を揺すって起こしてあげたのですが、その人は目を閉じたまま「新聞配達ごくろうさん」と呟いたきり、また眠ってしまいました。その後、そこに救急車が来たという話も聞かなかったので、たぶん無事だったのだろうと思いますが。
 また、別の団地近くの路上で、ポルターガイスト現象を見たこともあります。
 当然、夜明け前の暗いうちなのですが、ほとんど人気のないところに白い乗用車が一台、路上駐車されていました。ワタシはその三メートルほど離れた場所に、自転車を止めたのです。
 その団地にはタテ四列の階段があり、それぞれに一階から五階まで二戸ずつの部屋があります。ワタシは自転車をベースキャンプのようにして、一列終わるたびに戻って新聞を取り、次の階段に向う……というやり方をしていました。
 ところが初めの一列を終えて自転車に戻ろうとすると、その車のボディーが大きく揺れているのに気付いたのです。
(ポルターガイストだっ!)
 つのだじろう先生の『恐怖新聞』の時代から、新聞配達とポルターガイストは切っても切れない関係にあります。ワタシはビビリましたが、新聞を配らないわけには行かないので、静かに自転車に近付きました。すると車体の揺れは、ピタリと止まったのです。
(ひぃぃぃっ)
 けれども当時から責任感だけは強かったワタシは、新聞だけは配りました。一階段終えては自転車のところに行き、再び新聞を取って配る……を繰り返したのですが(考えてみれば自転車を動かしても良かったのに――なぜ、それを思いつけないのだ、中学の頃のワタシよ)、車も同じように、ワタシが離れると揺れ、近付くと止まる……を繰り返していました。
 最後の階段を配り終えてから、意を決して、その車に近付きました。じっちゃんの名にかけて(ワタシの祖父はどちらも普通のヒトですが)、謎を解かなくてはなりません。
 ところが車のすぐ近くまで行くと――突然に窓が開いて男の人が顔を出したかと思うと、すさまじい顔で怒鳴ったのです。ワタシは慌てて自転車にまたがり、それこそ一目散にその場を離れました。つまり……その車をホテル代わりにしていたアベックがいた、ということです。
 あの時はひたすら驚きましたが、後になってから考えてみると、そのアベック(特に男性サイド)の努力には涙ぐましいものがあります。バックミラーか何かでワタシの行動を見ながら、その隙を見て、続行していたわけですから――ホントに、ご苦労様でございます。
 他にも民家の玄関先で、習字の大筆くらいの巨大ミミズがのたうっているところに遭遇したり(それも二日続けて)、国道沿いの歩道橋の下の暗がりで、こらえ切れずにズボンを下ろしてしゃがみ込んでいたトラック野郎の悲しい姿を目撃したりもしました。道一本入ったところに児童公園があり、そこにトイレがあることを教えてあげたとしても、すでに遅かったでしょう。
 こんな体験が出来たのですから、新聞を配達することは大変でしたが、貴重な三ヶ月だったとも言えます。もう一度やりたいとは思いませんけれど。
 さて、アルバイトの話を始めると、それこそ紙数がいくらあっても足りません。次回に続く……と言いたいところですが、次回は次回で、別の面白いことに出会ったりしてしまうかもしれませんので、この話題は、ときどき不定期に続けることにいたしましょう。
 そうそう、最後にコマーシャル。
 私のデビュー作である『都市伝説セピア』が、このたび文庫になりました(文春文庫)。お求めやすいワンコイン、カバーイラストも親本とは違う新バージョンです。ぜひぜひ、お手に取ってみてくださいね。
 では、また!

(最後に担当編集者S氏登場)
「このお話、次回に続くんですか?」
「いえ、新聞配達の話は今回で終わりです。アルバイトの話は、ホントに色々ありますからね。とても一回じゃ終わりませんよ。でも、それが五回も六回も続いたら、さすがにみなさん、飽きちゃうじゃないですか。だから、ときどき不定期にやって行こうかと」
「ハッキリ言ってくださいよ、シュカワさん。ネタが切れた時にやろうって言うんでしょ」
「そんな失敬な」
「違うんですか」
「いえ、実は、その通りなんです」
「だとしたら、アルバイトの話の時は……」
「ワタシが血の涙を流しているんだと思ってください」
「うざっ」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。