超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
フォーク少年の頃
 こんにちは、シュカワです!
 ゴールデンウイークも終わってしまいましたけど、みなさん、いかがお過ごしですか? 連休ボケで今ひとつ仕事に身が入らない人、五月病にかかって人生虚しくなっている人、早くも夏休みを心待ちにしている人、涙の数だけ強くなった人など、今の時期は本当にいろいろだと思いますが、お互い、気合を入れてがんばりましょう。えっ?ヒキコモリのニートだから連休なんか関係なかった? だから、働けって。『さよなら、青い鳥』(幻冬舎刊)読めって。
 七連休とか九連休というわけには行かなかったのですけど、ワタシもそれなりにお休みしました。特にどこか出かけるということもなかったのですが、まぁ、家でゴロゴロを中心に、ゴクゴク飲んだりパクパク食べていたりしていたわけです(文字にすると寂しい……何だか無性に)。
 その合間に、昔なじみの友だちと集まる機会がありました。
 高校時代に、一緒にバンドを組んでいた仲間たちです。当然のように昔話に花が咲いたのですが、そのメンバーの一人、ベース担当のマルちゃんが、たった一度やったコンサートの様子を録音したテープをCDにしてプレゼントしてくれました(物持ちいいなぁ)。さっそく家に戻って聴いてみたのですが――若い自分がシャウトしているのを耳にするのが、あんなに心臓に悪いものだとは知りませんでしたよ。ワタシは反射的に過呼吸の発作を起こし、脂汗を流しながらコンビ二袋を口に当ててスーハーしていたのでした(チョイ嘘)。
 けれど聞いているうちに、みんなで楽しくドンチャカやっていた頃を思い出していたのも事実です。今日は、その頃の恥ずかしい話をしましょう。

 ワタシには、二人の兄がいます。
 きっちり二歳ずつ離れているのですが、弟というものは、どうしても上の兄弟の影響を受けて育つものです。特に四つ上の兄は性格のいい人なので、けっこう仲良くやっていました。ちなみに二つ上の兄は体格のいい人なので、やたら怖かったです。
 この四つ上の兄というのが無類のフォークソング好きで、中学くらいの頃から吉田拓郎や井上陽水などを聴きまくっていました。当時は当然レコードですが、なぜか兄には『音楽鑑賞時は室内を暗くせねばならない』という作法があり、ワタシが本を読んでいようがマンガを描いていようが、強制的にそれに付き合わせたのでした。団地だったので、すべての部屋が繋がっていたのです。
 初めのうちは迷惑に感じてブーブー言っていたワタシでしたが、やがてその世界の魅力に取りつかれ、一緒にフォークソングを聴くようになりました。兄はどちらかというと拓郎派でしたが、ワタシはむしろ陽水派で、『もどり道』と『氷の世界』というアルバムが特にお気に入りでした。ホントは、その二枚しか持ってなかったんですけど。
 何せ当時、LPレコードはだいたい二千四百円くらいしたので、小学生のワタシには、簡単に手が出せるシロモノではなかったのです。シングルであるEPは五百円くらいだったはずですが、二曲で五百円出すなら、お金を溜めて平均十二曲くらい入っているLPを買った方がいい……と考えてしまうのは、ちょっとセコいでしょうか。
 そうなると、どうしても兄のコレクションを聴くことになるのですが、兄はギター一本で弾き語るスタイルのものが好きで(数年後に、なぜかミッシェル・ポルナレフに転向しましたが)、自分でもギターを弾いていたものです。今はすっかり離れてしまっているようですが、歌はともかくギターの技術はたいしたもので、レコードと同じ音を出せる兄がまさしく神に見えたものです。
 弟のワタシが、それに影響されないはずがありません。
 兄は優しく弟にギターを教えてくれるようなタマではなかったので、教則本を片手に自分で練習しました。確か小学校の六年の頃だったのではないかと思います。
 初めて弾けるようになったのは、井上陽水の「夢の中へ」です。
 途中で転調するのを無視すれば、コードは三つか四つしか出てこないばかりか、ビギナー最大の鬼門Fを使っていないのでした。コードを押さえてジャカジャカやれば、何となくサマになります。
 こいつはイカスぜ、シビレルぜ――さすがにそういうアタマの悪い言い回しはしませんでしたが、一曲演奏できるようになると、ワタシはその面白さのトリコになってしまいました。やっぱり何ごとも初めからキッチリやろうとするより、楽しむことが大切ですな。
 そうなると俄然やる気が出てきて、コードを押さえてかき鳴らすコード・ストロークばかりでなく、弦を一本ずつ爪弾くアルペジオやスリーフィンガー奏法にも挑戦したくなるものです。もちろんFだろうがBmだろうが(人差し指を立てて、すべての弦をしっかり押さえる技術が必要です)、克服してやろうというガッツも出てくるわけです。
 ワタシは家にある教則本を頼りに、それらの技術を一つずつ練習しました。
 アコースティックギターをやったことのある人は判ると思いますが、ギターの弦はスチールなので、あまり長い時間やっていると、初めのうちは左手の指先が痛くなってくるものです。兄のギターは基本的に柔らかめのもの(ライトゲージ)が張ってありましたが、それでも初心者にはきつく、ワタシはときどき左手首を押さえては、大リーグボール三号を投げ過ぎた星飛雄馬のような苦悶の表情を浮べていたものでした。そのうちに指先が硬くなって、ちょっとやそっとでは応えなくなったのですが。
 今はどうなのかわかりませんが、当時はいい教則本がいっぱい出ていたので、二冊ほどみっちりやれば、何となく、それらしい演奏ができるようになりました。
 けれど、しょせんは独習なので、難しいことは置きざりにして先に進んでしまいがちです。できると言っても、いわゆるコードを押さえて型通りの演奏をする……というのが、ワタシの限界でした。やっぱり楽しいだけではダメで、キッチリやろうという姿勢が人間には大切ですな。
 ですからワタシは、いわゆるリードギターというのは一切できません。楽譜も読めません。難しいものはTAB譜(ギター用に作られた、天才的な発明)命です。けれどそれでも、ギターを弾いて歌うというコトはできるのでした。
 そうなると、生活はフォーク一色です。
 そのうちにワタシは中学生になりましたが、学校から帰ってくると、必ず二時間はギターを弾いて遊んでいました。好きなアーチストのレコードもお金を溜めて買うようになり、どっぷりと音楽の世界にはまり込んでいました。その頃特に気に入っていたのは、「精霊流し」や「無縁坂」の大ヒットで知られるフォークデュオの『グレープ』、南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの三人組の『かぐや姫』です。もちろん、その他のアーチストも、いいと思えば何でも飛びつきましたけど。
 けれど、その頃は、いつも一人でした。同じようにギターを弾いていた人もまわりには何人かいたのですが、たいていワタシよりレベルが高く、正直、適当プレーヤーのワタシにはついていけなかったのです。
 やがて中学三年生の頃のクラス替えで、キリリとした眉毛の、なかなかハンサムな少年と一緒になりました。確か小学校の時にも同じクラスになったことがあったのですが、その頃は、それほど仲良くした記憶はありませんでした。
 彼と席が近くなり、何気なく話しているうちに、彼も音楽が好きでギターが弾ける(おまけにピアノまで!)ということがわかりました。
「じゃあ、いっぺん一緒にやってみない?」
 たぶんワタシから話を持ちかけたのだと思います。たまたま席が近かった別の友だちを混ぜて、何となーく、フォークグループを作る方向に話が流れて行きました。
 ワタシの担当はサイドギター、キリリ眉の友だちはリードギターで、そうなると残りはベースギターとなるのが普通です。けれど、もう一人の友だちは楽器は何もできないというヒトだったので(本人の希望もあって)ボーカルをとらせることにしました。お互いが知っているものということで、かぐや姫の「アビーロードの街」という曲を、とりあえずやってみることにしました。
 気兼ねなく音を出せるような場所がなかったので、日曜日に中学校に押しかけ、守衛さん(当時は機械警備でなく、夜や休みの日には、必ずそういう人がいたのです)に頼み込んで教室を貸してもらい、初めての練習をしました。
 ところが、その一回めの練習で、ボーカル担当の友だちはアッサリと挫折してしまったのです。
 彼はどうしても、人前でマジメに歌うことができなかったのでした。
「しっかりしろよ、根性ナシ!」
「恥ずかしいと思うからダメなんだよ!」
 ワタシとキリリ眉の友だちは温かい言葉で励ましたのですが、ボーカルの友だちは、やはり歌えませんでした。
 考えてみれば、無理のない話でしょう。きっと今では彼もカラオケを楽しんでいるはずですが、当時は人に歌を聞かせる機会などなく、音楽の授業で歌声を聞かれることさえ恥ずかしかったのですから。
 こうして初めてのフォークグループはわずか一日で解散したのですが、その時の練習で、キリリ眉の友だちのギターの腕が、かなりのものであることがわかりました。そればかりか彼は、とても『いいヤツ』だったのです。
 自然と、これからは二人でやっていこう……という話になりました。それがワタシの生涯の親友、ホッちゃんとの出会いです。
 彼とのコンビを中心に何度かのメンバーの加入脱退が繰り返され、高校生の頃にはベースもドラムも揃っているバンドに成長しました。まさしく感慨無量でしたが、同時に大ピンチの襲来でもありました。ワタシなんかよりも遥かに上手なギターが二人もいたため、自然とワタシの仕事がなくなってしまったのです。
 残っていたパートは――ボーカルのみ。
 冗談きついっすよ、絶対ムリ、と反論したのですが、帰ってきたのは、いつか自分が吐いた通りの言葉です。
「しっかりしろよ、根性ナシ!」
「恥ずかしいと思うからダメなんだよ!」
 やっぱり、どんな時でもヒトには優しくしないとダメだな……とワタシはつくづく思ったのでした。

〈ここで担当編集者のS氏登場〉
「シュカワさん、バンドの話は次回に続くんですね?」
「そうです。ちょっと紙数が尽きちゃいましたんで」
「それにしても、シュカワさんも若かったんですね。バンド組んでたなんて」
「若かったあの頃は、何も怖くなかったですからね。ただ、あなたの優しさが怖かった」
「あなたって誰ですか?」
「そうやって、駄ギャグをいちいち拾わない」
「コンサートとかもやったんですか?」
「あぁ、やりましたねぇ。コピー機でチケット作って、友だちに配ったりして」
「まさか空き地とかで?」
「ワタシはジャイアンですか」
「フォルムは似てると思うんですよ」
「……」
「フォルムだけですよ」
「……」
「あと、妹思いのところも」
「妹いないです」
「……」
「……」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。