超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
バンドでGO!
 こんにちは、シュカワです!
 早いもので五月も終わって、六月がやってきました。これから梅雨に入ってジメジメしそうですけど、気分までジメジメしないようにしたいものです。せめて心はいつも青空といきましょうぜ。
 さて前回は、ワタシがフォーク少年だった頃の話をしたわけですが(今すぐバックナンバーへGO!)、今回は、その続きです。親友のホッちゃんと始めたフォークグループが紆余曲折を経て、ちゃんとドラムもベースもいるバンドに成長するまでの話をしましょう。

 さて話は、ワタシが中学三年の頃に戻ります。
 ワタシが通っていたのは足立区のはずれにあるT中学校でした。はずれと書いたのは、別に謙遜でもなんでもなく、本当に足立区のギリギリ崖っぷちの場所にあったのです。校舎のすぐ裏には埼玉県との県境の川があり、まさしく東京のトク俵のような土地に建っていたのでした。もちろん、今でもありますが。
 そのT中の三年生の頃に、ワタシはキリリとした眉の少年と親しくなりました。彼こそが生涯の親友・ホッちゃんなのですが、さらにもう一人の友だちを加えて作ったフォークグループが、たった一回の練習で解散したのは前回お話したとおりです。けれどワタシとホッちゃんは、それを機会に付き合うようになり、気がつけば、ほとんど毎日一緒に過ごすようになっていました。
 何をして遊ぶかといえば、当然、一緒にギターを弾くのです。
 彼は学校のすぐ前のマンションに住んでいて、弟さんと共有の子供部屋も持っていました。お家の人がいない時はそこで弾きまくったわけですが、いらっしゃる時は迷惑をかけないように、マンション屋上のエレベーターホールで弾きました。考えてみれば、そっちの方が音が響き渡って、住人の方にどえらく迷惑をかけていたような気もしますが、「苦情は来なかった」と彼が言っているので、その言葉を信じることにしましょう。
 二人でやっていたのは、主に『かぐや姫』のコピーです。イッタイどうしてなのかわかりませんが、会うたびにワタシたちは『かぐや姫フォーエバー』という二枚組ベスト盤の楽譜本を、必ず頭からやっていました。わかる人限定でスミマセンが、「この秋に」という曲で始まって「好きだった人」まで全二十六曲、一曲も飛ばさずにやるのです。それだけでもずいぶん時間がかかるのですが、やっぱり好きだったんでしょう、全然タイヘンと思うこともなく、喜々として弾いたり歌ったりしていたものでした。
 そういえば夏、エレベーターホールがあまりに暑いので、近くの公園でやっていた時期もあります。今では駅前などでギターをかき鳴らすストリート・ミュージシャンの方も珍しくありませんが、二十七年前にはさすがにおらず、演奏を始めたとたんに子供たちが集まってきたりして、かなり恥ずかしいものでした。キレイな若奥さまが聞きに来てくださった時もありましたけど。
「どうせなら、コンサートとかもやってみたいね」
 そんなことを言い出したのは、生来がお調子者のワタシの方に違いありません。まぁ、ギターでコピー演奏するのも、大きい意味ではクリエィティプな活動です。発表の場が欲しくなるのは人情というものでしょう。 
「でも、どこで、どうやってやる?」
 ワタシとホッちゃんが学校の教室で相談していると、近くの席に坐っている一人の少年が話に加わってきました。小学校の頃から、何度か同じクラスになっていたヨウイチです。
「ギター弾くの? 俺も混ぜてよ」
「おう、いいぜぇ」
 即答しつつ、ワタシは心の中でニンマリと笑いました。
 なぜなら彼はとってもハンサムで、下級生の女のコに絶大な人気があったからです。おまけにギターもうまいので、彼を仲間に入れれば集客力大幅アップは間違いナシです。
 その数週間後、三人で初めてのコンサートをやりました。
 コンサートと言っても、私が住んでいた団地の集会所を借り、お客さんも学校の友だちや後輩のみ……という、とっても慎ましいものです。コンサートというよりは、「友だち集めて、ギター弾いて遊んだ」という方が正しいでしょう。
 けれど、マンガのうまい友だちに作ってもらったチケットをコピーして配ったり、入念にリハーサルしたりと、やっている方は、それなりにマジメだったのでした。
 
 ホッちゃんがドラムを始めたのは、高校一年生の冬ごろだったのではないかと思います。
 その頃、ワタシたちは別の高校に通っていましたが、家が近いこともあって、しょっちゅう一緒に遊んでいました。相変わらずギターを弾いていたのはもちろんですが、ワタシが作詞、ホッちゃんが作曲を担当してオリジナル曲を作ったり、活動内容は一応深まっていたと思います。
 この時に作った曲はワタシの宝物ですが、ホッちゃんに至っては、ワタシが書いたすべての詩の実物を、今でもキッチリ持っているそうです。いやぁ、彼が気まぐれに人に見せないことを、心から願わずにいられませんが、ちょっと物持ち良すぎないか?
「俺、ドラムやりたいな」
 高校でも軽音楽部に所属していた彼は、ある時、そう言い出しました。もちろん、わたしは大賛成です。
 今でもそうかもしれませんが、ドラムとベースギターをやっている人には希少価値があります。バンドには絶対必要なパートなのに、やっている人が少ないのです。ホッちゃんがドラムをやれば、それまでより、もっとちゃんとした音楽活動ができるのは間違いありません。
 ワタシとホッちゃんは、さっそくドラムを買いに行きました……と言いたいところですが、ドラムセットは初心者向けの者でもけっこう値が張るものです。十五歳の少年に、ポンポン買えるものではありません。
 ホッちゃんは、愛用のエレキギター(当時、Charが使っていたことで有名だったフェンダー・ムスタング)を処分して資金にするつもりでした。それなら……ということで、そのギターを買い取ったのがワタシです。もちろんワタシもビンボーでしたので、冬休みに近所のアラレ工場でアルバイトした給料を丸々つぎ込みました。
 そこでようやくドラムを買いに行ったのですが、こともあろうに、ホッちゃんがお金の入ったブリーフケースを落としたのには慌てました。楽器屋に向って歩いている途中、彼がどこか困惑したような顔で、けれども妙に冷静な声で言ったのです。
「やべえ……俺、金落としちゃった」
 一瞬、ワタシは担がれているのかと思いましたが、確かに彼が脇に挟んでいたはずのブリーフケースがありません。少なくとも見かけの上では、彼よりもワタシの方が慌てました。
「うおーい、シャレんなってないっスよォ」
 ハッと振り向くと、ブリーフケースは二十メートルほど後ろの横断歩道の上に落ちていました。急いで取りに戻り、車に盛大なクラクションを鳴らされたのも、今となっては楽しい思い出です。
 ワタシはかねてからバンド活動に憧れていましたが、ホッちゃんがドラムを始めたことで、その夢が一気に現実感を帯びてきました。ギターをワタシとヨウイチでやるとして、あとはベースギターです。けれど、こっちの方には、ちゃんとアテがあったのでした。しかも二人――おそらくフォークギターに関しては同級生で一、二を争うほどうまく、また音楽理論がバッチリ頭に入っているマルちゃんと、いつも冷静で柔和なのに、エレキギターを持たせると人格が変わるホリさんです。そのどちらかにベースを頼もうと思い、ワタシは二人に声をかけました。
 そこで嬉しい誤算が起きました。二人とも話に乗ってくれたのです。
「じゃあ、ホリさんにはギターを頼めばいいじゃん」
「すげえっ、ヨウイチとホリさんのツインギターだったら、怖いものナシだ」
「レベルがグーンとあがったなぁ」
 ワタシとホッちゃんが喜んだのは言うまでもありません。けれど遅まきながら、ワタシはあることに気がついたのです。
「ホッちゃん、二人がギターだったら、俺は何をすればいいのかな?」
「やっぱり……ボーカルじゃねぇの」
「いや、それは有り得ないから」
 いろいろ言ってはみても、やはりボーカルはバンドの顔です。ワタシは自分の歌唱力と外見に相当な難があることを、かなり早い時期に気づいていました。
「ボーカルがイヤだったら、あとはリコーダーぐらいしかないなぁ」
「リコーダーって、学校のタテ笛でしょ? どんなバンドだよ」
「じゃあ、カスタネットとかトライアングル」
「もっとワケわからんよ」
 喫茶店での熱いミーティングの末、ワタシはボーカルを承認せざるを得ませんでした。だって、ホントにやること残ってないですから。
「しっかりしろよ、根性ナシ!」
「恥ずかしいと思うからダメなんだよ!」
 なおもグズグズ言っているワタシに、メンバーからの暖かいエールが送られました。
「わかったよ、でもヘタでも文句言わないでよ」
 そういうワタシに、ホッちゃんが不安げに言いました。
「俺は、よくわかんないんだけどさ……このオチ、前回と同じだけど、いいの?」
 すみません、これはウソです。

(次回に続きます!)
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。