超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
夏休みの自由工作
 こんにちは、シュカワです!
 八月もとうとう終わり、九月の到来です。今年の夏は、何だか短かったような気がしますね。こんなことを言っておいて、暑さがぶり返したりすると恥ずかしかったりするんですけど、大丈夫でしょうね、木原さん(天気予報の人ね)!
 さて、この夏、自分は何をしていたかと振り返ってみると……恐ろしいことに、仕事しかしていませんでした。夏の娯楽と言えば一回映画を見に行ったのと、東宝ビルトに撮影(前回ご報告した、『ウルトラマンメビウス』の特撮シーンのです)の見学に行ったきりです。特に後者は仕事がらみなので、娯楽と言ってしまうのはいかがなものでしょう。
 それ以外は、ずーっと仕事でした。九月に出る短編集の校正のために出版社で徹夜したり、各誌の連載小説などに取り組んでおりました。もともと体力はある方ですし、好きなことですからグチをこぼすなんてトンデモナイのですが、どこにも出かけられないのはツライです。ワタシはどうも、時々は目的なく歩き回ったりしないとダメなタイプなのでした。

 さて、夏休みの終わりというと、まっさきに思いつくのは夏休みの宿題ですね。ワタシも小学校から大学まで、ホントに悩まされたものです。
 前にも言いましたように、ワタシはお尻に火がつかないと飛び上がらないロケット花火タイプの人間ですので、早めに終わったことなど、ただの一度もありませんでした。自慢じゃありませんが、「七月中に終わらせて、後はゆっくりしよう」と、よくある誓いさえ立てたこともないのです(初めから、ムリだとわかっていたので)。
 ですから中学の三年間は、毎年夏休み終了二日前は徹夜でした。三十一日の夜は完徹で、そのまま寝ないで始業式に出るのが定番です。十代前半といえば、そんなムチャをしても、まったく平気なのでした。
 高校になってからは、もう少し余裕が出たような気がします。と言っても、きちんとやるようになった……という意味では断じてありません。無理に登校初日に提出しなくても、たいていはどうにかなると知ってしまったのです。ダメな人間になる典型的なパターンですが、案の定、「やったんたですけど、ノートを忘れちゃいましたぁ」という、絶対ウソ100%とバレるようなことが平気で言えるようになり、何日も遅れて提出したりしていたのです。数学の夏休みの宿題を十月半ばに提出した記憶さえありますが、先生もよく受け取ってくれたものですよね。
 そんなワタシですが、小学校の間ぐらいは、夏休みの宿題も楽しく感じていたこともありました。というのも英国数のドリルばかりじゃなく、工作や図画があったからです。ワタシは小さい頃から絵を描いたり工作をしたりするのが好きで、親に言わせると「紙とハサミとクレヨンを持たせれば、いるのかいないのかわからないくらい静かだった」そうです。
 そんな子供でしたから、自由工作の宿題には燃えました。同級生に工作の天才というべき人がいて、口には出さなかったものの少しでも彼に近付きたいとがんばったりもしたのです。
 当時の最高傑作といえば、小学館の学年誌の付録にヒントを得た(というより、内部機構をまんまパクッた)オール紙製幻灯機でしょう。ゆとり教育世代の方のために説明しておくと、幻灯機というのは要はスライド映写機です。片側から強い光を当て、その前にある透明フィルムを白い壁やスクリーンに投影する機械だと思っていただければ、間違いはありますまい。
 きちんと設計図を作り、駄菓子屋で買った虫メガネを二つ使った、手間も元手もかかった逸品でした。ピント調節部分にはトイレットペーパーの芯を使い、自由にスライドができるようになっていて、その点だけ見ても、まさしく当時のワタシの技術の集大成です。
 珍しく学校が始まる5日前くらいに完成させて、実際に写してみると、けっこういい感じに投射する ことができました。ちなみにフィルムは薄いセルロイドの透明板で、そこに自分で絵を描きました。
 ところが――かなり上手にできたのが嬉しくて、ワタシはそれで遊びまくってしまいました。
 丁寧に扱ったつもりでしたが、使った紙の厚さがマチマチだったために、やがて力のかかる部分から崩壊が始まりました。「これはヤバイ」と思い、以後はなるべく触らないようにしたのですが、結局、学校に持っていく頃には、ずいぶんオンボロになってしまいました。ちなみに工作の天才少年は、実際の取材までした、緻密な消防署の紙製ミニチュアを制作していました。それは本当に見事な出来で、学校の休み時間ごとに見せてもらったものです。
 しかし、考えてみると図画工作の宿題というのも、なかなか厳しいものです。得意な人はいいのですが、どうしても苦手な人もいますし、そういう人に「何でもいいから一品、作りなさい」というのも酷な気がします。それこそ『おかあさんと○っしょ』のしょ○こおねえさんに、○プーを描かせるようなものではないですか(伏字だらけですが、わかる人にはわかる例です)。

 ワタシが今まで見た小学生の夏休みの宿題で、強力なインパクトを放っていたものが三つあります。作品名は、それぞれ『でんごんばこ』に『赤いかびん』、『馬の親子』で、その中のどれが一番と決めることはできません。とにかく、作者の“俺、こういうのってダメなんだよね”感が前面に押し出された名作でした。
『でんごんばこ』は、見た目はただの草加せんべいの紙箱です。裏返すと、箱の底右寄りの場所にビニール紐が通してあり、壁に取り付けたヒートンなどに掛けることができます。箱なんか壁に掛けて、どうする……と思う人もいるでしょうが、秘密は、その箱の中にあるのです。
 箱のフタを取ると、そこにはメモ帳(一枚ずつはがせるタイプ)が底板の部分に貼り付けてあり、そのすぐ横には、お尻の部分に紙紐をくくりつけられた鉛筆が、ぶら下げられています。それで何をするかというと、その用意されたセットで伝言を書いておくという、要は“簡単に置手紙が書けるセット”なのですが、それって結局、使いにくくないですか。何より、いかにも三分で作りました……という感じムンムンで、それを宿題として提出する勇気にワタシは大いに感服したのでした。
『赤いかびん』、『馬の親子』も同様です。前者は花瓶とは銘打ってあるものの、どう見てもガラス製の牛乳ビンに赤いペンキを塗っただけのもの(それもフォビズム的な、荒々しいタッチで)、後者は工作用のキビガラという軽い素材に竹ヒゴを突き刺し、お盆のナスやキュウリの牛馬と変わらないレベルのものが作ってあるのでした。さすがにあんまりだと思ったのか、大小二つつくって親子としたのは、なかなか技アリの発想といえるでしょう。いずれも実質制作時間は、五分もかかっていないのではないのでしょうか。
 ヤクルトの容器を集めて作った大型の船や、卵のカラを着色して作ったモザイク絵などの力作群の中で、それらの諸作品はホントに妖しい光を放っていました。作者の、ある意味捨て鉢な緊張感までが、よく伝わってくる名作です。まぁ、苦手なものは仕方ないですよね。『みんな違って、みんないい』という金子みすゞさんの言葉を思い出しつつ、それ以上は言わないようにいたしましょう。
 最後にクイズ――今挙げた三点の中に、私の実兄の作品はいくつあるでしょう?(答え・ぜんぶ)

 〔ここで担当編集のS氏登場〕
S「シュカワさん、ウルトラマンの撮影、見学に行ったんですね」
「えぇ、念願かなって、特撮現場を見てきました」
S「これが写真ですね……あぁ、ホントに嬉しそうな顔してる」
「ここに載せられないのが残念です」
S「おっ、怪獣の着ぐるみと一緒に写ってますね」
「それがワタシのお話に登場する怪獣です。カッコイイでしょう」
S「怪獣はカッコイイです」
「何かトゲありますね、Sさん」
S「この怪獣にもトゲがありますし」
「何それ? うまいこと言ったつもり?」
S「……別に」
「……」
S「怪獣の名前、なんていうんですか」
「ゾアムルチといいます」
S「……そうですか」
「今、何かうまいこと言おうとして、思いつかなかったんでしょ」
S「……別に」
「……」
S「ちょっと『……』が多過ぎますよ」
「……すみません」
S「懲りない人だな……」
「Sさんもね……」
S「……」
「……」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。