超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
裸女と文化祭 前編
 こんにちは、シュカワです!
 九月も半ばを過ぎて、めっきり涼しくなりました。台風もやって来ているようで、いかにも秋でございます。こういう季節の変わりめは体調を崩しやすいので、みなさん、十分に気をつけてくださいね。
 さて、今回のタイトルにグッとキャッチされてしまった人、あなたも困ったヒトだなぁ。どうしてそんなに、美女とか裸女とか海女とか未亡人とかに弱いんですか?まぁ、そういうタイトルをつける方が悪いんですけど――今回は、ごく普通に文化祭の話です。

 さて、文化祭の季節の到来です。学校によって時期が違うと思いますが、だいたい九月後半から十月、さらには十一月前半くらいの頃が、文化祭シーズンではないかと思われます。近頃は文化祭をやらない学校も増えているようですが、あんなに面白いものも滅多にありませんので、ぜひ積極的にやっていただきたいものです。運動が苦手なヒトでもスターになれる、数少ない機会でもありますので。
 とは言うものの、ワタシ自身も文化祭の経験は多くありません。
 中学も高校もごく普通の公立学校でしたが、なぜか両方とも一年おきの開催という決まりになっていて、どちらも運悪く一回ずつしかできなかったのです。かわりに文化発表会とかクラブ発表会とか、なーんか煮え切らないイベントをやったと記憶していますが、やっぱり文化祭とは別物ですね。
 クラブなどの発表をがんばるのも楽しいですが、クラスごとの発表というのが、なかなか面白いものです。好みも考え方もまったく違うヒトたちが、寄り集まって一つのものを作り上げる機会なんて、早々あるものではありません。ワタシが高校二年の頃に経験した文化祭は、そういう楽しさに溢れたものだったと記憶しています。
 ワタシが通っていたのは、足立区のはずれにある都立高校です。
 ここがなかなか楽しい学校で、当時の刺激的な出来事をずらりと並べてもいいのですが、後輩たちや同窓生のみなさんの迷惑になってもいけないので、それは自粛しておきます。まぁ、学校の図書室に『五日でタバコをやめる本』というタイトルの本が、当り前に十冊くらい並んでいた……とだけ言っておきましょう。あくまでもワタシが通っていた頃は――の話ですけど。
 誰もが経験することかもしれませんが、若者というのは一時期、とんでもなく不安定になってしまうことがあります。些細なことで激しく落ち込んだり、いろいろなことに思い悩んで心の迷路をさまよったりするのですが、中学を卒業する頃のワタシが、ズバリそれでした。ただでさえ扱いにくいヤツになっていたのに、大好きだった女の子にフラレてしまったショックから立ち直れず、いわゆる『お先真っ暗』状態で、その高校に入学したのです。
 そんな有様でしたから、一年生の頃のワタシは、とんでもない高校生でした。一学期の間こそマジメでしたが、二学期からは遅刻・自主早退は当り前、勝手に祝日を作って休むのも普通、制服姿でくわえタ×コして自転車に乗るのはお約束でした。それで学級委員をやっていたのですから、とんだお笑い草です。まぁ、その程度で「俺も昔はワルだったんだぜ」という気は毛頭ありませんけど、早い話、あんまり学校に行く気がなかった……ということですね。
 学校が面白いと感じるようになったのは、二年生になってからでした。
 というのも、その時のクラスが、なかなか個性派ぞろいの楽しいクラスだったからです。担任のA先生も若くて話のわかる、それでいて、きちっと厳しい面もある、いい先生でした。
 今、そのクラスの連中は散り散りバラバラになってしまい、すでに音信不通になってしまったヒトも多いので、許可なくアレコレ書くわけには行かないのですが、本当に楽しいクラスでしたよ。
 特にワタシと仲が良かったのが、ブンチン、美術部長、ケンケン、ハッパといった連中です。
 いえ、別に石田衣良さんの小説のように、お互いを気の利いたアダ名で呼んでいたわけではなく、実際は苗字で呼び合うことがほとんどだったので、ここで登場してもらうために、とりあえず仮名をつけたのです(ただしブンチンだけは、当時のアダ名そのままです。落語家の桂文珍さんに激似だったため)。
 ワタシは当時、すでに親元を離れてアパート暮らしをしていたのですが、そこがみんなの楽しい溜り場になっていました。よく学校帰りに集まって、洋楽のカセットを聴きながら花札にウツツを抜かしていたものでした。特に後年、地質調査の仕事に携わることになるハッパ(時々地面に発破をかけるらしいので、安直にネーミングしてみました)の強さは鬼のようで、みんなが束になってもかないませんでした。彼は本当は麻雀の方が好きなのですが、頭のユルい連中ぞろいでしたので誰も役が覚えられず(その筆頭はワタシ)、仕方なく花札で盛り上がっていたのです。
 ハッパと特に仲が良かったのがケンケンです。彼はのちにハッパのお姉さんと結婚したという噂を聞きましたが、残念ながら、ワタシはその事実を確認していません。彼の笑い方がアニメ『チキチキマシン猛レース』に登場したケンケンという犬の笑い方にソックリだったので、その名前を借りましたが、見た目は、むしろ可愛らしい感じの少年でした。
 美術部長は、その名の通り、美術部の部長を務めていました。病気で長い間学校を休んでいたため、実際の年齢はみんなより一つ上でしたが、ワタシたちは誰もこだわっていませんでした。というか、かなり後になるまで、誰もその事実に気づきませんでした。イラストが上手で、ワタシの書いたものに彼が絵をつけてくれたノートがあるのですが、それは今でもワタシの宝物です。
 ブンチンは、確かに桂文珍激似の外見をしていましたが、私たちの中では、もっとも学力優秀でした。夏休みにはワタシと某パーラーで一緒にアルバイトしたり、いいことも悪いことも、よく一緒になってやったものです。もし彼が今、悪い大人になっているなら、半分はワタシの責任でしょう(頼むぞ、ブンチン、昔どおりのマジメなヤツでいてくれよな)。

 こういった連中と付き合い始めて、ワタシの高校生活は楽しいものになりました。いろいろなことがありましたが、その一つの頂点が十月の文化祭だったと思います。
 クラス発表の出し物を何にするかと話し合った時、もっとも票を集めたのが「オバケ屋敷」でした。楽しいことが大好きな年頃ですので、まかり間違っても郷土の歴史研究なんぞに飛びつくはずがないのです。
 けれど、大人はわかってくれない……のは世の常です。ワタシたちの学校の文化祭も、あれしちゃダメ、これしちゃダメ、というルールでガンジガラメにされていました。その中には当然のように『オバケ屋敷禁止』の一文があったのです。
 けれど私たちのクラスは、どうしてもオバケ屋敷がやりたいという方向で、なぜか一致団結してしまいました。今から思えば、なぜそこまでオバケが好きだったのだろうとも思いますが、いやぁ、若い人の考えることはわかりませんな(←すでにオヤジ側の人間)。
「先生……オバケ屋敷がやりたいです」
 ワタシたちは『スラムダンク』の三井くん復帰の名場面のように、先生に直訴しました。普通なら、ダメなものはダメだと突っぱねられてしまうところでしたが、そこがA先生のすごいところです。
「そんなにやりたいんなら、みんなで足並みそろえて、キチンとやってみろ」
 そう言って、私たちがオバケ屋敷をやることを職員会議で認めてさせてくれたのです。
 後年、クラス会で聞いた話によると、そのせいでA先生は別の先生を敵に回してしまい、かなり大変な思いをされたとのことですが、本当にさすがだなぁ……と思います。先生は、ご自分ではおっしゃっていませんでしたが、きっと「取り上げることで学校側が得るもの」と「認めることで生徒たちが得るもの」を秤にかけて、後者の方を選んでくださったのでしょう。なんてカッコイイ先生なんだ。
 そういう先生の気持ちというものは、言われなくても、きちんと生徒に伝わるものです。
 ワタシたちはA先生のためにも、絶対にオバケ屋敷を成功させようと思いました。つまり、それは――半端なく、底抜けに怖いオバケ屋敷を作ろう! ということです。
 何ごとにおいても行動的なハッパをリーダーにし、クラスは一丸となって『最怖オバケ屋敷計画』に邁進しはじめました。

 ……というところで、今回はオシマイです。続きは次回をオタノシミに。
 えっ、裸女はどうなったんだって? だから次回ですよ、裸女は。まったく、どうしてそんなに、美女とか裸女とか熟女とか未亡人とか海女とかカマキリ夫人とかに弱いんですかねぇ。
 最後にコマーシャル。
 九月二十六日、集英社よりワタシの新刊「水銀虫」が発売されます。『読めば読むほど鬱になる』という一文が帯についていますが、まったくその通りの短編小説集です。よろしければ書店で手に取り、さらにはレジにお持ちになってみてください。おかげさまでカバーデザイン、装丁もすばらしいものにしていただきましたので、ジャケ買いもアリかと。
 また十月二日、フジテレビ「世にも奇妙な物語」にて、ワタシの作品を原作にしていただいた「昨日公園」が放映されます。設定や展開が変わっている部分がありますが、ぜひご覧になってみてください。主演は堂本光一さんです。原作との違いを知りたい方は、放映後、文春文庫『都市伝説セピア』をどうぞ。
 では、また!

〔ここで担当編集のS氏登場〕
「シュカワさん、困りますよ」
「えっ、やっぱりコマーシャルが多過ぎましたか?スミマセン」
「それは大目に見てあげますけど、このウェブマガジンは、子供だって読んでいるんですよ。高校生が、制服姿でくわえタバコだなんて感心しませんね」
「いや、これはタバコじゃないですよ。タ×コっ書いてあるでしょ」
「また往生際が悪い。じゃあ何だっていうんですか? 」
「くわえタラコです」
「んなアホな……タラコくわえて自転車乗ってんですか?」
「そう。口から赤いのを、だらーんと下げてんの」
「実在したら、ただの痛いヒトでしょ」
「じゃあ、くわえタイコ」
「ありえませんよ。絵が想像できないし」
「えーっと、くわえタマコ」
「タマゴでしょ。それもヘン」
「実は、くわえ……桑江多喜子」
「誰ですか」
「うちの近所の皮膚科の先生です。妙齢の美女でして」
「ホントに ? 」
「……ウソです」
「救われないなぁ、このヒトも」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。