超魔球スッポぬけ!
朱川湊人
わくらば日記
斜陽館に行きました
 こんにちは、シュカワです!
 気がついたら、もう十一月。年を食ったら、ホントに時間の経過が早いものです。この間まで暑さにうだっていたのに、上着が手放せない季節となりました。みなさんも体調には気をつけてくださいね。
 ワタシはここのところ、やけに旅づいています。十月は週末ごとに奈良、青森、大阪と飛び回っていました。出不精(デブ症にあらず)のワタシには、けっこう珍しいコトです。
 特に前回の原稿は、青森に向う新幹線の中で手書きしたものをFAXで送って、担当S氏に入力してもらうという荒ワザまでやってしまいました。いろいろな人にご迷惑をおかけして、ホントにすみません。旅に出る前にきちんと終わらせておければよかったのですが、なかなか、そうもいかなくて……あぁ、いつから、こんなダメな大人に。
 ハイ、キーワードが出ました。
 イキナリですが、ダメな大人といえば太宰治。かなり強引ですが、今回は太宰治の話をしましょう。
 もちろん、みなさんが太宰治を知っているという前提で語りますから、知らない人は図書館や本屋さんで彼の本を探して、読んでみてくださいね。特に二十五歳を過ぎて知らない場合は、走って本屋さんに行った方がいいですよ。万事に対してヤル気のないニートは、好きにすればいいサ。
 
 ダメな大人――こんな言い方に抵抗を感じるファンの方もおられるかと思いますが、あの人の場合はダメだから良いのであって、ダメでない太宰は太宰ではありません。ただのお金持ちのボンボンです。太宰本人にとってすれば、そういう幸せもアリだったかもしれませんが、やっぱりダメな人でなければ、あんなに素晴らしい作品を残すことができたかというと、ちょっと疑問です。ご本人には気の毒かもしれませんが、やっぱりダメな大人でいてくれてよかった……と、一ファンに過ぎないワタシは強く思うのでした
 なぜイキナリ太宰治の話かというと、先日、青森県の金木にある彼の生家に足を運ぶチャンスに恵まれ、以来、学生時代に読んでいた文庫を引っ張り出して、ハマリ読みしているからなのでした。
 いやぁ、この年になってから読むと、染みる染みる。
 もともとワタシは精神年齢が幼いので、おそらく若い頃には半分くらいしか理解できていなかったでしょうが、今回改めて読んでみると、けっこうキツイですよ。耳が痛いというか、心臓に悪いというか、もうカンベンしてくださいというか――若い頃とは違う意味で応えます。特に昔はピンと来ていなかった初期作品の痛いことといったら、この上ナシです。確かに、こういう人は長生きできますまい。
 だいたいワタシが太宰治の諸作品に傾倒していたのは、中学三年から高校生の頃でした。
 たいした人生経験もない年頃ですから、今から思えば、おそらくは作品のごく表面的なところに惹かれていたのではないかと思います。もちろん大人になってからもポツリポツリと読んではいたのですが、ホントにどの程度理解していたのか、今となっては、ちょっと怪しい気もします(同じコトを、二十年後にも言っているかも知れないねぇ)。
 けれど熱中ぶりだけは、相当なものでした。
 太宰ファンの人には言うまでもないコトですが、あの人の作品には魔力のようなものがあって、すべてが読者である自分個人に向って発信されているのではないか……と錯覚させるようなところがあります。若かったワタシは、当り前のようにその魔力に絡めとられてしまい、暗い暗い十五歳を送ったのでした。
 思えば、その頃、太宰に出会わなければ、また別の生き方もあったかもしれません。明るく朗らかで、大きな悩みもなく、学校の成績はぐんぐんアップし、体重はドカドカ落ち、驚くほど小顔になり、ロト6は当りまくり……ってコトはないでしょうけど、少なくとも太宰治を読まなければ、小説を書こうとは考えなかったと思います。以前にも書いたように、ワタシが小説を書き始めたのは、単純に太宰気分を味わいたかったからなのです。今はそれが職業になっているのですから、いわゆる結果オーライということになるでしょうか。

 そんな風に太宰が大好きだったワタシですが、今まで青森を訪れる機会はありませんでした。
 学生時代、どうしても行ってみたくなって、かなり具体的な計画まで立てたのですが、諸般の事情により果たせませんでした(早い話、ビンボーだったのですね)。ですから今回、仕事で青森に行くことになった時、ちょっとワガママを言って、金木まで足を延ばさせてもらったのです。
 太宰の生家である『斜陽館』は、ハッキリ言って、とてもデカイ家でした。
 知らない方のために書いておきますと、『斜陽館』は太宰治の生まれ育った場所で、二階建てで部屋数は十九、蔵や庭を含めた総坪数が六百八十もあり、小作争議に備えて約四メートルのレンガ塀が周りを取り囲んでいる、見た目にもモダンな感じのする豪邸です。パンフレットによると、大地主だったお父さんが明治四十年に建てたもので、一時期は旅館になっていましたが、今は太宰治の文学記念館になっていて、愛用の机やマントなどが展示されています。  
 いやぁ、彼が青森のお金持ちのボンボンとは知っていましたが、実際にその目で見てみると、すごくリアルに実感できますよ。明治大正期にあの家に住んでいたというのは、ちょっとやそっとのお金持ちではないでしょう。少なくともワタシが今まで移り住んできた家のすべてが、あの家の中にスッポリ入って、お釣りがタップリ来ることは間違いありません。入り口のすぐ近くにある土間だけで、今のワタシの仕事場が全部入ります。
「どこを見てもスゴイなぁ」
 下町に生まれ育ったワタシは、見るものすべてに圧倒されるような気分で、一階をウロウロと歩いていました。ちょっと興奮していたかもしれません。
 やがて、大きな庭が見渡せる場所に来た時。
「あっ、ここはっ!」
 ただのミーハーになりきっていたワタシは、思わず叫ばすにはいられませんでした。
 その庭そのものも彼の作品には何度も登場していますが、何より、あの有名な写真――少年の日の太宰が、親族の女性たちと並んで写っている写真を撮った場所だったからです。例の『人間失格』の冒頭部で紹介されている、奇怪と評されている写真の一枚です。
『一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹(いとこ)たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞(しま)の袴(はかま)をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。(中略)
 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔でない。この子は、少しも笑ってはいないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこかけがらわしく、へんにひとをムカムカさせる表情の写真であった(後略)』 【太宰治 『人間失格』】
 この写真は実際にあって、太宰治の研究所などによく掲載されています。その写真を撮った場所が、まさに目の前にあるのです。
 太宰のファンだというのなら、できるコトなら同じ場所に立ってニッコリ微笑み、ちょっと小首を傾げてみたいと思わない人はいないでしょう。ワタシの場合、素で「猿の笑顔」になり、ナチュラルに「ひとをムカムカさせる」写真になるかもしれませんが、それはそれで仕方ありません。
 けれど、同じように考える人が多すぎるためか、庭には出られないようになっていました。みんなが入れ替わり立ち代り「猿の笑顔」の記念写真を撮っていたら、係りの人は一日中ムカムカしていなければならないので、やむを得ない処置かとも思います。でも、やっぱり残念。
 その後、ジックリと時間をかけて斜陽館を見学しましたが、とても貴重な体験をさせていただいたと思います。やはり何ごとにおいても、自分の目で実見するというのは大切ですね。それまで“何となく、わかっていた彼の世界”が、とっても具体的に感じられるようになりました。実際の家を見ることで、初期作品の『思い出』や『人間失格』、『津軽』などの映像が、今までにないほど細密に見えてくるようにもなったのです。
 それをキッカケに太宰作品を再読しているこの頃ですが、やはり、大きい人です。ワタシもがんばって、せめて、その足元に近づけるような作品が書ければと思っているのですが――さてさて、いったいどうなることでしょう。
 
 最後にお知らせです。
 以前、ここで紹介した『ウルトラマンメビウス』ですが、ワタシが脚本を書いた「怪獣使いの遺産」(監督・八木毅)が、十一月十一日に放映されます(地域によって異なります)。ご興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。『帰ってきたウルトラマン』第三十三話「怪獣使いと少年」というエピソード(脚本・上原正三、監督・東條昭平)の続編として書きましたので、あらかじめ、そちらを見ておいていただければ、いっそう楽しめるかと思います。
 ちなみにワタシが書いた脚本は三本あり、残り二本は来年始め頃になる予定です。うち一本の中心キャラクターを人気女優の美保純さんに演じていただき、とても楽しいものになった……と監督の小中和哉さんがおっしゃっていました(ワタシも、まだ見ていないのですが)。そちらの方もオタノシミに。
 また十一月五日の日曜日、午後一時より稲城市中央図書館にて、ささやかな講演会を開催する予定です。『物語りと私』というタイトルで、九十分ほどお話しする予定ですので、お近くの方は、お越しいただければと思います。
 では、また!

〔ここで、担当S氏登場〕
「シュカワさん、そもそも青森には、何しに行ったんです?」
「実は、下北半島の恐山に行ったんです。某文芸誌の取材で」
「恐山ですか……やっぱりイタコさんとか、いました?」
「いましたよ、もちろん。ちょっとラップっぽい話し方をする、イカした人でしたね」
「誰かの霊を呼び出したりしたんですか?」
「えぇ、それが……おっと、いけない」
「どうしたんです、急に?」
「詳しいことは、『小説すばる』(集英社)二月号を見てください」
「あ、オトナの事情ってヤツですか?」
「そういうコトです」
「だったら、具体的な誌名を出すのもどうかと思いますよ。ワタシたちにも気を使ってもらわないと」
「そうでしたね、すみません……そういえば、恐山には日曜日に行ったんです」
「それがどうしたって言うんです」
「下北半島に日曜に行ったから……」
「もしかして『下北サンデーズ』(_石田衣良)とか言うんじゃないでしょうね」
「幻冬舎刊」
「……そろそろ、このヒトと付き合うのも疲れて来たなぁ」
「えっ、Sさん、今、何ておっしゃいました?」
「いえ、別に」
「……」
「……」
朱川湊人(しゅかわ・みなと)プロフィール
1963年1月7日大阪府大阪市生まれ。81年東京都立淵江高等学校卒業。86年慶応義塾大学文学部国文学科卒業。出版社勤務を経て文筆業に。平成14年「フクロウ男」(『都市伝説セピア』文藝春秋刊=第130回直木賞候補所収)で第41回オール讀物新人賞を受賞し、デビュー。平成15年には「白い部屋で月の歌を」で日本ホラー小説大賞短編賞を受賞、平成17年に「花まんま」で第133回直木賞を受賞した。他の著書に『さよならの空』(角川書店)、『かたみ歌』(新潮社)がある。