書評:大崎梢著『キミは知らない』

普通の女子高生が“怒涛の運命”と格闘

大矢博子


 小説やドラマで、「大時代的」と表現される舞台設定がある。
 たとえば、ご令嬢と使用人の身分違いの恋。大金持ちの権力者とその跡目を巡る骨肉の争い。出生の秘密ってのも定番だ。
 つまり「大時代的」とは、そういった昼メロや韓流ドラマ、横溝正史のミステリを彷彿させるかのような設定のことを差す。実際にそういう時代が舞台になっているのならいいのだが、これを現代でやると「いまどき?」と感じてしまうのは、まあ、否めない。
 しかしドラマとしてそんな舞台が魅力的なのもまた事実。だとすれば、現代を舞台に「大時代的」なものを成立させるにはどうすればいいか──そこが作家の腕の見せ所になる。
 そしてそういったアレンジが実に巧いのが、大崎梢なのだ。
 『片耳うさぎ』(光文社文庫)を読めば、その技術が分かる。古い日本家屋、数十年前に起きた残虐な事件、謎の老婆……そんな横溝ばりの設定を大崎梢は無理なく現代に成立させている。いや、成立させているだけではない。大時代な設定を取り込みながら、それを著者の持ち味である明るさや暖かさでふんわりとくるんでいる。大時代という衣類を最新型の洗濯機で洗い、手触りがよくなる柔軟剤を加えお日様に当てた、そんな作風だと思ってもらえばいい。
 そんな大崎梢型全自動洗濯機(柔軟剤入り)がまた存分に機能した新作が出た。それが『キミは知らない』である。
 主人公は高校二年生の水島悠奈。彼女は幼いときに歴史学者だった父を亡くして、母親と二人暮らしだ。彼女が通う高校の図書室には亡父が書いた本があり、それを紐解くのが彼女の楽しみ。
 亡父の本について悠奈の話し相手であり、よき理解者なのが数学の非常勤講師、津田だった。ところが津田は突然学校を辞めてしまう。しかもそのあとで津田と亡父に何やら繋がりがあるらしいことがわかり、不審に思った悠奈は津田を追いかけるが──。
 その後、悠奈は父の死について意外な事実を知ることになるのだが、その展開がすごい。悠奈が津田を追いかけていく直前までは、まさに甘酸っぱいジョシコーセーのセーシュン小説の様相だったのだ。それがいきなり、酒と煙草の香りが渦巻く店に連れ込まれたかと思うと、黒ずくめの男たちに拉致され、大きなお屋敷に連れて行かれ、当主からおまえは自分のひ孫だと言われ、財産を譲ると宣言され、命を狙われ……おっと、この調子でいくとストーリーを全部書いてしまいそうなのでここまでにしておくが、とにかく大金持ちの権力者だの、主のためには犯罪も辞さない側近だの、家どうしの対立ゆえに引き裂かれた恋人だの、「いまどき?」というような怒涛の大時代的展開が待っているのである。なんだこれ! 面白いけど、確かに面白いけど、ありえないだろ──!
 さあ、ここからが大崎梢型洗濯機(柔軟剤入り)の真骨頂だ。
 ありえないだろーと思うのは読者だけではない。当事者の悠奈もまた、ありえないだろーと感じるのである。ここがミソ。
 親に心配かけたくなくて秘密が増えるとか、ケータイが手元にあるだけで安心したりとかのエピソードでわかるように、彼女は極めて普通で真っ当な女子高生なのだ。大時代な事件の中にあっても、こちら側の現実的な視点を忘れない。そこにユーモアとリアリティが生まれる。つまり悠奈の存在が、大時代的な設定と読者を結ぶ架け橋になっているのだ。これが大崎梢製造の柔軟剤である。
 それで読者はすんなり物語に溶け込める。溶け込みさえすればもう、こんな派手なドラマが面白くないわけがない。身近なヒロインを怒濤の展開の中でハラハラしながら見守るスリル。敵が味方で味方が敵でという一ページ先が読めないサスペンス。
 それだけでも充分なのだが、ある人物のセリフに注目。
「地位も名誉も財産も、ほしかったら自分で手に入れればいい。いつだって、一から始めてやるよ」
 大時代な設定というのは、既得権益や古い価値観にしがみつく人々を描くということでもある。それに対するアンチテーゼがこのセリフだ。そしてこの考えは決して大時代ではないことに留意されたい。手の込んだ舞台設定はこれが言いたいがためのものなのだ。
 五日間の冒険の前と後では、確実に悠奈の中に変化が生まれる。そういう意味では本書は濃密なビルドゥングスロマンでもある。悠奈はその変化を受け入れた上で日常へ戻っていくのだが、その通過儀礼の仕上げをしたのがこのセリフだ。洗濯で言えば、非日常という飾りを取り去る濯ぎの工程である。しかも泡切れは抜群。
 大崎梢型全自動洗濯機(柔軟剤入り)の性能を“キミは知らない”なら、ぜひこの機会に試してほしい。洗い上がりの柔らかさとお日様の匂いに、きっとご満足戴けるはずだ。