底辺女子高生 豊島ミホ
第1回一人称問題
 一九九七年、桜が咲くには少々早い雪国の春、さまざまな期待を胸に、秋田県の某県立高校に入学した私。はっきり言って進学校、同じ中学から来た子はたったのひとりだった。「中学までの私」を清算して、青春コースをランクアップさせるチャンス! さあ新しいクラスのみなさんに自分から声をかけよう!
 ……となったところで、さっそくカルチャーショックに出会った。
 カルチャー。そう、カルチャーが違うのだ。東京都民からみたら秋田県などどこをとっても「なまはげの出る田舎」でしかないのだろうが、秋田県のなかでは市町村ランクが歴然と存在しているのである(あと、なまはげがでる地域は全県の一パーセントにも満たない)。東京で言えば渋谷>町田であるように、秋田県においては、主要三市(秋田・大館・横手)>それ以外の市と一般的な町村部>県境に接する町村(要するに山奥)、というランクが微妙に存在しているのだ。
 私は「県境に接する町村」の出身で……入学した高校は「主要三市」のうちのひとつであった。であるからしてそこにはカルチャーの差があった。相手がちょっと口を開いただけではっきりとわかるカルチャーの差が。
 たとえば新しいクラスメイトたちの、「出身? あたし南中」という一言に。
 その一言だけで、私は戦慄したのである。
 ――「あたし」?
 その一人称は、私の町(要するに山奥である町)で一般的な一人称とは違っていた。
 ――「オラ」じゃねの?
 私の町では、女子はだいたい自分のことを「オラ」と言う。本当に本当の「だいたい」で、学年に六十人の女子が居るとすれば五十五人は「オラ」を使用している。非・東北人はこの「オラ」を「オラ悟空!」(『ドラゴンボール』)のアクセントで読んでしまうようだが、「ラ」にアクセントがつくのが秋田弁に於いては一般的である。「村」「柄」などと同じアクセントだということだ。その辺、留意していただきたい!
 ともかく、関西の女子が「うちなー」と言うように、わが町の女子は「オラよー」と言うのである。別におかしいことでも何でもない。むしろ今思うと、モデル並みに可愛い女子がちょっとこう、首を傾けて「オラよー、昨日よー」なんて言ってるのはたまらなく良い。
 だが、まあそれは「今思うと」という話で、当時の私には自分の「オラ」と周りの「あたし」の差異が、たいへんな衝撃であった。東京に出るとなればある程度心構えをしていっただろうが、まさか、たかが数十キロ移動したばかりで言葉の差が出るとは思っていなかったのである。
 どうすべきか?
 まあ、少しは悩んだ。四月の間はなるべく自己主張を抑え(一人称を使わないため)、どうしても一人称を使わねばならないときは何故か「うち」と言ってみたりした。不自然極まりない。
 そして、梅雨に入る前に私は悟った。
 ――無理。オラには「あたし」って言うの無理。

 多分、日本のほとんどの土地に住む人たちにはわからないだろうが、ある程度の歳になってから一人称を変えるというのは、「難しい」というよりむしろ「恥ずかしい」のである。明日から名前を変えろと言われるようなものだ。
 ――「あたし」って何だよ! 「オラ」は「オラ」なんだ! それ以外の何者でもねー!
アイデンティティーというやつである。「オラ」はオラのアイデンティティー。
 そして私は開き直った。「えー、オラはそう思わね!」などと堂々自己主張をするようになった。「オラ」は微妙に周囲のクラスメイトに伝染し始めるまでとなった。

 しかし青春の日々には問題がふりかかる。
 それは「恋」……!

 いきなり王道っぽいじゃないか、と思われるかもしれないが、とりあえず相手は王道ではなかった。顔には十五歳男子にふさわしいニキビが多く見られ、髪の毛は自然のベクトルのままに伸びており(つまりぼさぼさ)、とうてい「モテ」には届かない男子・Kくん。
Kくんは同じクラスで、放課後教室に残る仲間だった。Kくんはバスを、私は電車を待たねばならなかったので、毎日のように一緒に教室に残って、お喋り混じりの自習をしていたのである(一時間単位で待たないとバスも電車も来ない、それが田舎の現実だ)。
 一体どんなことを話していたのか、今となっては思い出せない。けどまあ、とにかく毎日ゲラゲラ笑っていたことはぼんやりと残っている。はっきり言って、高校三年間で学校に行くのが楽しかったのは、この数ヶ月間のみだ。ベタだけど、教室に差し込む夕陽がたいへん美しかったです……。四階の教室はちょっとだけ空に近くて、手をのばせば飛んでるトンボに触れることもできそうで……ハイ。何だかいつも窓辺に立って喋ってたような気がするなあ。
 やばい、十五の夏にトリップしそう。それが本題ではない。あくまで「一人称」の話。

 何故「一人称」と「恋」が関係あるのか?
 告るとなれば「オラ」ではまずい事態が発生するのである。
 ちょっと「告白」のシーンを想像してみて欲しい。書くのはこっぱずかしい! 書かないけど、どこかで必ず「私」もしくは「あたし」と言わなければならないということがわかってもらえるだろうか。
「好きなの」
「え?」
「私、○○くんのこと好きなの!」
 みたいな。書いちゃったじゃないですか。やだなあ。
 まあとにかく、絶対「私」が入るのだ。日本語に於いても、こういう重要な意志表明には一人称が入る決まりなのである。「俺、プロ野球選手になりたいんだ!」にしても何にしてもだ。

 で、十五歳・夏の私が告白をするとすればこうなるわけである。
「オラ、Kくんのごど好ぎなんて」
「オラ」で「好ぎ」で、極めつけが「ごど」だ。だから断られるとかどうせ断られるとか、そういうことではなくて、もう詩的にダメというか……ダメだろ! 特に「ごど」の辺りがバッドバイブを発している。GO-DO! ヒップホップ系?

 かくして私は、一人称矯正の決意を固めた。
 同じ中学から来て一緒に電車待ちをしている(そして帰りの電車でさんざん恋バナに付き合わせている)Mちゃんに、こうお願いしたのである。
「これから、あ、あたしがもし『オラ』っていう言葉を使ったら、そのぶんだけ放課後に教室で自習すんのナシにして! 図書館で勉強することにして!」
 我ながら、なかなか考えたなと思う。「オラ」使用→教室で自習しない→Kくんとお喋りできない、という仕組みなのだ(放課後以外はあまり彼と話をすることがなかった)。Mちゃんはこの申し出をこころよく受けてくれた。
「……でしゃ、オラよー」
「豊島ちゃん(仮名)、四回目」
 Mちゃんのカウントは正確だった。一度「オラ」を使うと、一日ぶんの教室自習が没収となる。私はMちゃんからの指摘を受けるたび、手帳のカレンダーのマスにバッテンを書き入れた。
 ――今日と、明日と、明後日はKくんとのお喋りおあずけ。
 バッテンは無情にも増えていく。私は「オラ」の「オ」を言いそうになるたびに息を飲む。それでもついベラッと口にしてしまう「オラよー」「オラの!」「オラはなー」。

 そうして矯正プログラムを実施すること一ヶ月。
「あたし昨日ねー」「あ、それあたしの!」「でもあたしはー……」
 完璧であった。十年以上使っていた「オラ」の存在をすっかり忘れてしまったかのように、私は「あたし」になったのだった(そして一人称を直すことで他の言葉遣いも標準語に大幅に寄った)。
 自分でもうOKだと思った頃、私はMちゃんにありがとうを言った。
「もうなじんだ! 『あたし』って言える! Mちゃんのおかげだよー!」
 Mちゃんも私が「あたし」になったことを認めてくれた。そして当然のことながらこう言った。
「良かった! これでKくんに告白できるねー」
「……ん?」
 一ヶ月というのは、私とKくんを疎遠にするのに十分だった、という話である。
 えんえん続いた図書館自習のあと、ふと気が付くともう、空気が違っていた。私とKくんの間の空気が、である。放課後の過ごし方が「教室自習」に戻っても、いつの間にか変わったものはもとに戻らなかった。そして私自身も、気付くと特にKくんのことを好きではなくなっていたのである。
 楽しかったお喋りの感じも、高校生なんだから彼氏欲しーい、という浮かれた気分も、蒸発したようにからっとなくなっていた。私の手元に残されたのは新しい一人称だけだった。
 人は……何かを手に入れるために何かを失っていくわけだよ!

 こうして私は「あたし」もしくは「私」を使えるようになったのでした。
 Kくんは、確か地元の大学に進学したんではなかったでしょうか。「オラよー」って言う彼女ができてたりしてな。
1982年2月秋田県生まれ。都内某大学在学中の2002年、新潮社「女による女のための『R-18』文学賞」で読者賞を受賞しデビュー。著書に『青空チェリー』『日傘のお兄さん』(以上新潮社)、『ブルースノウ・ワルツ』(講談社)がある。今春、無事大学を卒業。『告知板としまhttp://fengdao.exblog.jp/
書き下ろし小説『檸檬のころ豊島ミホ
1470円(本体定価1400円)
23歳! 今、最注目の女性作家による
痛くてまぶしい、青春7ツ。
□□□□□「いっそ痛いと思った、
その痛みだけは思い出せた」□□□□□
初恋、友情、失恋、部活、学祭、進路、受験、上京……。
山と田んぼに囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校の四季を舞台に、誰もが通ってきた「あの頃」の、かっこ悪くて、情けなくて、でもかけがえのない瞬間を、ヴィヴィッドに描き出した傑作青春小説。