底辺女子高生 豊島ミホ
第12回あんたらなんかだいきらい
 今朝、高校の夢を見た。
 高校生の私が、同級生のみなさんに向かって腹の底から絶叫する夢である。
「お前らなんか、だいっきらいだああ!」

 目が覚めると二十三歳。故郷の影もない、東京のアパートの畳の上である。
 私は布団から起き上がるより先に、見ていた夢を思い出してもだえた。
 ――うっわあ〜。自分、かわいそー。
 高校を卒業してかれこれ五年半、もう「いい大人」である。それなのに「お前らなんか、だいっきらいだああ!」て。そんなことが心の叫びって、どうなのよ俺? いい加減恥ずかしいですよ?
 ちなみに、こういう「高校時代の叫び」の夢を見ることは珍しくない。宿題をやってこなかったことを化学の先生に責められ、「どうせあたしは、バカですよおお!」と叫ぶ夢も見た。「だいっきらいだああ」のパターンは今朝を除いても2回ぐらい見た。
 もう、「かわいそー」としかコメントのしようがない。泣ける。「泣ける映画」の5億倍くらい泣ける。
 二十三歳にしてなおそんな幼稚な夢を見ていること自体は泣けるが、しかし、いったい何故そんな心の叫びが出てくるのかはわからない。いや、自分ではわかるんだけれども、うまく筋を立てて他人に説明する自信がない。

 私は、高校二年生の九月頃から、教室に行かなくなった。でもそのことを、「どうして」と問われると、今もうまく言えない。
 もちろん、当時もうまく言えなかった。休みがちになった私に、同じクラスの友だちが、ものすごーくタイミングと状況を見計らって「どうして授業に出なくなったの?」と訊いてくれた(それは確実に「訊いてくれた」という感じだった)ことがある。二階の、特別棟に向かう渡り廊下の上で、昼休みだった。私たちはたまたまふたりきりで、長い廊下の前も後ろもしんとしていた。
 彼女の問いに、私は顔を真っ赤にしただけで、ろくにこたえられなかった。
「みんな、私のことバカにしてる」
 言葉にすると、その程度にしかならない。死ぬほどかっこわるい台詞だ、と自分でも思った。でも友だちは、哀れみやさげすみの表情を見せることなく、やんわりと言った。
「そういうふうに、ミホちゃんが思ってるだけじゃなく?」
 じゃない、と私はこたえた。泣きそうだった。こうしてやさしくされてるのに、人にさげすまれたことのないこの子には絶対わからないことだ、と彼女をつっぱねようとする気持ちが自分のなかにあるのが嫌だった。
「……仮にミホちゃんの言うことがほんとだとしても、そんなの気にしないでればいいよ」
 たぶん、彼女はものすごく気を遣いながらその台詞を言ったんだと思う。あくまで上からのものいいには聞こえなかった。でも私は彼女の目を見ないで「気になるんだもん」と返した。そうしてむりくり話題を逸らした。

 ただ漠然と「みんな」のことがだいっきらいで、一緒にいたくなかった。ひとりひとりとして憎たらしいのではなく、カタマリとしての「みんな」が憎たらしかったのだと思う。
 どうしてそうなるのか。一体なにをされたのか。
 挙げてみると、たいしたことじゃない。別に、トイレで蹴倒されて床をなめさせられたとか、あくびしているアホづらの写真を携帯で撮られたあげくその画像を自分以外のクラス全員に回覧されたとか、そういうひどい話はいっこもない。ただ単に、日々よくない扱いをされていたというだけの話である。
 一日に三個購買のプリンを食べるので、購買帰りにすれ違う男子に「プリンちゃーん」とバカにされたりとか、同じクラスの二年目の女子に、名前も呼びたくないんですけど、という感じで「ちょっと!」と声をかけられたりとか、例によって体育で失敗して舌打ちをくらったりとか、そんな程度のものだ。被害妄想じゃないの? と言われるとそれまで、である。
 でも、そういう細かいことの積み重ねが許せなかった。積極的にいじめられているわけではなかったけれど、逆に「若干オモチャだけど、ま、基本的にどうでもいいし」と思われているのが嫌だったのである。
 その「どうでもよさ」を一番感じるのが、放課後の掃除の時間だった。教室なんかはまだしも、特別教室の掃除だと、相当な数の人がサボったりする。そうして残されるのは、私と地味男子ひとり。
 いや、サボることにある意味悪気がないのはわかる。自分らが遊びたい・ラクしたいから帰っているのであって、なにも私たち(地味女子&地味男子)にわざわざ掃除を押しつけているつもりはないのだろう。
 でも、サボる側のほうは、私たちが真面目に掃除をするのをわかっているはずなのだ。私らが、先生にチクりもせず、うんざりしてサボることもせず、きちんと掃除を遂行してから帰ることをわかっていてやっているのだ。
 ――「誰かやってくれるでしょ」じゃなく、「あいつらがやってくれるでしょ」っつー意識でサボってる! 絶対!
 押しつけているのと同じだ。むしろ、コミュニケーションを取らずに押しつけているぶん悪質だ。
 そう思うと、腹が立って仕方がなかった。じゃあ自分もサボればいいじゃん、と思われそうだが、そうすると、地味男子くんがひとりで残されてしまう。自分も地味くんに「押しつけた人」になるのだ。それだけは嫌だ。
 というわけで、私は日々、地味男子と一緒に黙々と掃除をした。
 ……だから「みんな」のことが嫌いになったって、おかしいですか。おかしいよな。
 こう書いてみても、ちっとも伝わらない気がする。同級生を刺し殺した高校生が、何故そんなことをしたのかと問われて、「あいつが掃除をサボったから」とこたえたら、私でも「うわ、高校生って怖いのね〜」と思ってしまうだろう。
 行為ひとつひとつは、たいしたことじゃないのだ。帰りのバス停で、前から二番目に並んでいたはずなのに、気付くと
前に三十人いたとか、表面的にはどうってことのないことばかりだ。
 でも、そういう「どうってことのないこと」の裏に見える意識が許せなかったのだと思う。こいつにはなにをしたっていいのだ、こいつがどう考えようと関係ない、と思われていること自体が耐えられなかった。たとえば私が、掃除をしないで帰ろうとする人たちを引き止めて「サボるなー」と言ったところで、彼女ら(彼ら)はただ、顔を見合わせてにやにやして、何も聞かなかったように帰ってしまっただろう。それが目に見えてわかるから、腹立たしいし、悔しかったのだ。
 しかも、そういう人たちが特別冷血漢で想像力がないというわけではなく、きっと自分らの中ではいろいろ精一杯で、付き合ってる人とうまくいかなくてせつなかったり、部活の人間関係に悩んだりしているであろうことが、お喋りの端に透けて見えるのがまた、憎らしかった。
 ――人のこと踏みつけといて、でもそれと全然別なとこで青春謳歌して、そっちだけが将来「高校時代の思い出」になるんだな。
 私はこの人たちの世界の中にいない。ほんとうに、嘲笑以外は向けられない、私が一生懸命なにかをはたらきかけても、この人たちは絶対にこたえないだろうということが、心底悔しかった。
  そんなにバカにされて、それでも気にしないで毎日いい顔で学校に通っていたりしたら本物のバカみたいだから、教室に行かなくなったのかもしれない。あえて言うならば、そうだ。

 実際には、バカにされても涼しい顔でいられる人のほうがはるかに賢いのだろう。教室には、休み時間にじっと机を見ているだけのような男子が数人いた。でも彼らは休まないで学校に来ていた。むしろ皆勤だったんじゃないかと思う。
 でも私は、「傷ついてるんですぅ」というポーズを取る以外に、反抗のしかたを知らなかったし、反抗しなければ気が済まなかったのだ。
 友だちの気遣いもはねのけて、私は保健室にこもった。こもったコマは、卒業までに五百を超えてしまった。
1982年2月秋田県生まれ。都内某大学在学中の2002年、新潮社「女による女のための『R-18』文学賞」で読者賞を受賞しデビュー。著書に『青空チェリー』『日傘のお兄さん』(以上新潮社)、『ブルースノウ・ワルツ』(講談社)がある。今春、無事大学を卒業。『告知板としまhttp://fengdao.exblog.jp/
書き下ろし小説『檸檬のころ豊島ミホ
1470円(本体定価1400円)
23歳! 今、最注目の女性作家による
痛くてまぶしい、青春7ツ。
□□□□□「いっそ痛いと思った、
その痛みだけは思い出せた」□□□□□
初恋、友情、失恋、部活、学祭、進路、受験、上京……。
山と田んぼに囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校の四季を舞台に、誰もが通ってきた「あの頃」の、かっこ悪くて、情けなくて、でもかけがえのない瞬間を、ヴィヴィッドに描き出した傑作青春小説。