底辺女子高生 豊島ミホ
第14回英傑あっちゃん
 あれは忘れもしない、三年生の体育の時間である。梅雨で、球技大会が近く、例によって私は地味女子グループで卓球の練習をしていた。
 授業が終わり、あっちゃん(仮名)とふたりで卓球台を運ぶことになった。たたんだ台を、ふたりがかりでゴロゴロと転がしていく。
 ふと、あっちゃんがこんなことを言い出した。
「ねえねえミホちゃん。うちのクラスの井口くん(やっぱり仮)って知ってる?」
 同じクラスの人間に関して話す時「○○くんって知ってる?」という確認から入るのが、教室内の人間関係の希薄さを思わせるが、ともかく、私は井口くんを知っていた。
「知ってるよお。あの、ビンボーゆすりのひどい人でしょ!」
 私がこたえると、あっちゃんは「え、そう? 気にしたことないけど……」と普通に言った。私がなおも「ひっどいよ、私、四月からずーっと気になってたもん! 授業中ずっとなの!」と言うと、あっちゃんは「ふーん」と言って、それからこう続けた。
「付き合ってるんだよ」
 普通、そこまで聞いたら文脈上、あっちゃんと井口くんが付き合っているということがわかりそうなものだが、私はあっちゃんと親しい=あっちゃんの好みがわかっているという自信があり、また、あっちゃんも地味女子仲間だと思い込んでいたので、その可能性について一ミリも考えなかった。なので訊いた。
「へえ。誰とー?」
「私と」
 返ってきたのは当然、そういう答えだった。
「ハアアアア?!」
 私が叫んでも(失礼な反応だ)、あっちゃんはごく普通の顔をして卓球台を引きずっている。
「い、いつからの話?」
「きのう」
 私はあっけにとられてしまった。どこから突っ込んだら良いのかわからない。その時は「へえ。きのう。きのうかあ」とか反応するのが精一杯だった。
 ――っていうか、あっちゃんと井口くんって、喋ったことあったんか?
 仲良しのはずなのに、そこからしてもうわからない。二人には委員会や部活などの接点はないし、席が隣というわけでもない気がする(クラスの席順も知らない私)。
 ――なぜ……? あっちゃん、何があったのよ?

 あっちゃんと井口くんが付き合っているという話は、一日以内に学年じゅうに知れわたった。うちは理系クラスなのに、文系の端のクラスまで即、話が行った。というか、私が知るより先に、クラスのなかでは十分知れわたっていたらしいのである。
 私たちの学校では、男女交際は「一部の、学年じゅうに顔が知れた男女が行うもの」であり、このようにみんなからノーマークの人間がいきなり付き合い出すということはほとんどなかったのだ。珍しがって、他のクラスから「井口ってどの人よ?」などと言うお客さんが来たりしたくらいだった。
「あたしたちになんか言ってくれてもよかったのに〜」
 と、同じグループのフユちゃん(仮)はがっかりしていた。なにしろ、一緒にお弁当を食べている仲なのに、恋の途中経過を聞かされていないのである。
「だってさー、ハルミさん(仮・派手グループの人)とかのほうが先に知ってたんだよ?『あつこさんと井口くん、付き合ってんの?』なんてイキナリ聞かれて、もうびっくりしちゃった」
 フユちゃんは私より若干、あっちゃんとの付き合いが長いせいもあって、かなりショックを受けているようだった。「ぬけがけ」とは別に思わないまでも、確かに「井口くんってちょっといいよね〜」という話くらいあっても良かったのにな、と私も思う。
 もしかして、私らがあまりに色気のない会話ばかりしているから(前回参照)、そういう話の相手にするには勇気が要ったのかもしれない。
 その頃、私たちは四人でお弁当を食べていた。あっちゃん、フユちゃん、私、そしてこのエッセイによく登場するMちゃんである(Mちゃんもびっくりしていたけれど、むしろ嬉しそうだった)。毎日ランチをともにしながらも、みんなで居る時にあっちゃんが井口くんのことを話すことはその後もなかった。
 しかし、謎である。高校生活において初の「友だちの彼氏」となった井口くん。私は井口くんについて知らなすぎた。ビンボーゆすりの癖は気になっていたが、他には、「成績が良い」ということ以外、知らないに等しい。あとは、植野くん(仮)という男子といつも一緒に居るということくらいか。
 井口くんは井口くんで、女子で固まっている時はこっちに寄ってこない。同じ教室に居るのに、あっちゃんと喋る時は廊下などで喋っている。だから私にとって井口くんは、相変わらず「クラスの口きいたことない男子」のひとりであった。
 地味女子グループからある日出てしまった英傑、あっちゃん。彼女がどうやって恋をつかみとったのか、私たちにはまるでわからない。
 ――が、やっぱり「わからない」で済むわけがない。気持ち悪いじゃないか。
「っつうかさっ、あっちゃんって、そもそもなんで井口くんと接点あったの?」
 私は思い切って、あっちゃんの部屋に遊びに行った時に訊いてみた。あまりにもお付き合いの内実を話さないので、あっちゃんは突っ込まれたくないのかなあと思いつつ、ダメもとで言ってみた。
 ……のだが、あっちゃんは案外嬉しそうに答えてくれた。
「前から一緒に帰ってたんだよ」
「ハアアアア?!」
 またぶっとぶしかない返答。井口くんは電車通学、そしてあっちゃんは徒歩通学。電車の人たちはだいたい、自転車かバスで駅まで行く。徒歩だと駅まで四十分かかるのだ。帰り道でたまたま一緒になったりするわけがない。
 あっちゃんの話はこうだった。
 ちょっとしたきっかけで、放課後残って勉強する時に井口くんと話すようになった。その頃ちょうど諸事情もあり、ひとりの帰り道が心細く、井口くんに毎日途中まで一緒に帰ってもらうことにした。で、ますます仲良くなった。
 これらすべてが、四月から時間をかけて水面下で進行していたのである(私なら一緒に帰ってる時点で友だちに言っちゃうなあ)。呆然としながらも、私は訊いた。
「で、告白はどちらから」
「なんかの話で、井口くんが『俺、一年の時から植野と一緒に居るじゃん? 植野のほうがかっこいいし、目立つから、なんかたまに損してる気がする』とかって言い出して。それで私が『そんなことないよ!』って」
「えっ」
 ちなみに植野くんの特徴は制服のズボンを改造していることで、これに気付いたのはフユちゃんだった。「見て、ミホぷー! あの人ラッパズボンだ!」「ほんとだ、うふふふ」という会話が私とフユちゃんの間でなされている。というわけで植野くんは、地味男子グループのなかでは確かに、制服に気を遣ったりしている、若干目立つ人なのである。それは否定しどころのない気がするのだが、あっちゃんは続けた。
「『井口くんのほうがかっこいいと思う!』って言っちゃって。つい。告白する気なんかなかったんだけど〜」
「へえ〜」
 あっちゃんはひかえめにはにかんでいる。結構、というか相当、井口くんのことを好きらしい。
 ――いいな〜……。
 私は心底うらやましくなった。同じ学校に居て、同じ教室に居て、そして同じ地味グループに属しているのに、あっちゃんはちゃんと恋をすることができたのである。
 それに比べて私と来たら。「井口くんって知ってる?」って訊かれて一番に「ビンボーゆすりのひどい人でしょ!」なんて、けなし言葉しか出てこないのかよ。きっと、自分が嫌われてるからって、他人のアラ探ししてプライド守ってんだ。みにくいことじゃないか。
 あっちゃんと井口くんは、きっと「プライド」なんかよりデカいものを持っていたのだ。
 ――すごいよあっちゃん(&井口くん)!

 その後もあっちゃんは、井口くんとの交際について私に報告してくることはほぼなかった。ふたりがどこでデートしたのか、ケンカをしたりはしなかったのか、私はまるで知らない。廊下でお喋りしているのを見かける日々だけ、季節が変わってもずっと続いた。
 あっちゃんの誕生日に、井口くんが廊下の隅でこそこそと厚みのある紙袋を渡すのを見た。
「ねえあっちゃん、井口くんに何もらったの?」
「手袋」
 確か私はそのプレゼントを見たと思う。毛糸編みの、白い手袋だった。それを見て私は、「なんていやみのないカップルなんだろう」とつくづく思った。
1982年2月秋田県生まれ。都内某大学在学中の2002年、新潮社「女による女のための『R-18』文学賞」で読者賞を受賞しデビュー。著書に『青空チェリー』『日傘のお兄さん』(以上新潮社)、『ブルースノウ・ワルツ』(講談社)がある。今春、無事大学を卒業。『告知板としまhttp://fengdao.exblog.jp/
書き下ろし小説『檸檬のころ豊島ミホ
1470円(本体定価1400円)
23歳! 今、最注目の女性作家による
痛くてまぶしい、青春7ツ。
□□□□□「いっそ痛いと思った、
その痛みだけは思い出せた」□□□□□
初恋、友情、失恋、部活、学祭、進路、受験、上京……。
山と田んぼに囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校の四季を舞台に、誰もが通ってきた「あの頃」の、かっこ悪くて、情けなくて、でもかけがえのない瞬間を、ヴィヴィッドに描き出した傑作青春小説。