底辺女子高生 豊島ミホ
第19回もさもさ
 冬が嫌いだ。日本は四季があるからいいよね、とはよく聞くけれど、私としては三季までしか要らない。常夏の島か四季の列島、どちらかを選べと言われたら迷わず「常夏」を取る。とにかく冬の存在が憎いのだ。美しく雪の降るウィンターソングを聴くたびに「くそっ……なにが『ホワイトクリスマス』だ!」「『降り注ぐ』なんて生やさしいもんじゃねえんだよ、雪はよう!」と心のなかで因縁をつけずにはいられない。
 単純に寒いのが苦手だ、ということもあるだろうが、その他に、雪国に住んでいた頃のトラウマが冬嫌いに関連していると思われる。幼い頃の雪の思い出はさすがに微笑ましいものが多いけれども、高校辺りになればもう、雪に関する記憶はすべて疎ましいものでしかない。
 私が高校まで住んでいた秋田では、降る雪を表現する擬態語として「もさもさ」という言葉が広く使われている。
「はー、今日も、もさもさど降るごどぉ」
「あや、車の上サもさっと積もってらでぇ」
 雪国の雪というのは、フワフワとかきらきらとか、そんなふうに降るものではないのだ。一片一片がとにかくデカく、降る速度が速い。外に座っていたらあっというまに埋もれる。そしてそれが三日とか五日とか止まないのである。秋田の冬に、晴天なし。あの、のっぺりと雲の影さえ判別できないような灰色の空から、無限に雪が降ってくる……思い出しただけでぞっとする。まさに「陽の目を見ない」生活だ。
 気が滅入るだけではない。もちろん、実害が生じる。放っておいたら家から出られなくなるし、さらにはその家も雪の重みでつぶれてしまう(今年はニュースで雪害が報じられているので、あたたかい土地のみなさんもご存知でしょうが)。ので、大人は朝早く起きて雪かきをしなければいけない。積もった雪をシャベルで除けて、川に流すのである。子どもでも、立派な高校生なんかは雪かきを手伝っていることであろう。
 ちなみに私は立派な高校生ではなかったので、雪かきを手伝う気はなかった。冬休みとなれば、居間でごろごろしているとすかさず「オメも雪かぎぐれしぇー」(訳:あんたも雪かきぐらいしなさい)と言われるので、夏休み以上に「勉強しているフリ」を強化しなければならない。それでもうっかり日曜日にごろごろしていようものなら、母親にこう言われて引っぱり出されるハメになる。
「道の前で雪かぎしてれば、通る人みーんな『あすこな家(エ)のミホちゃんなば働き者だごどぉ、嫁コさ貰うべ』って思って見でぐねが。ほれ、手伝え」
 そして嫁に行った先でまた雪かきをするのだろうか。お先真っ暗じゃないか。
 私は(ごくまれに)シャベルで雪をよせながら、自分は最低でも愛媛に嫁ごう、と思った。「最低でも」というのは「最北端でも」という意味である。できることなら絶対雪の降らない国に嫁ぎたい。「むしろブルネイの王家に嫁いでやる」などと考えながら、黙々と雪かきをした。

 家に居るとこのような害があるのだが、学校においてもまた雪の害はある。
 まず、「極寒バス待ち」だ。学校から駅までのバスが、待っても待っても来ない。時刻表では43分のバスが55分になっても来ていない、なんていうことも、雪が積もれば日常茶飯事。その間、私たちはバス停で風雪にさらされていなければならない。
 遅れて来るのがわかってるんだから、ぎりぎりまで教室に居ればいいじゃん、と思われるかもしれない。ところが、このバスが激混みになるのである。少しでも列の先頭に近いところに並んで、席を取りたい。なので、実際バスが来る十五分くらい前から並ぶことにしていた。
 この十五分が死ぬほど長い。道でみかける女子高生たちはいつも元気にお喋りしているような気がするのだが、この「極寒バス待ち」に於いて、私たちは口を開く気力もなかった。私は一年生の間、一緒の電車で通学するMちゃんとふたりでこのバス待ちをしていたわけだが、本気で「寒いね」以外ろくに喋らなかった気がする。「寒いね」「うん」と言って五分後くらいにまた、どちらかが「寒いね」と言う。
「あたしたちさっきから『寒いね』以外言ってないよね」
「うん」
 そんなやりとりもよくあった。わかっていてもまったく他の会話ができない。最早、寒さのせいで頭が働かないのである。
 そうして、口を開かずじっと耐えている間にも、私たちの前方には何故か人が増えていく。校門を出てきた人が、列のなかに友だちを見つけると「おー」「今帰るの?」なんて言いながらさりげなく割り込んでくるからだ。みんなちょっとでも列の前につきたいので、平然とこの不道徳をやってのけるのである。鬼のごとき寒さと、いつまでも来ないバスに苛立っている私は、それを見ると、腹が立つのを通り越して世の中を呪いたい気分になった。が、どうしても注意できないのである。
 私は一度「列の全体が何人か」と「何人が前に割り込んできたか」を数えてみた。一本のバスを待つために六十人以上が並んでおり、そして私の前に割り込んできた人数は三十人だった。単純計算で、バス待ちの生徒の半分は割り込みということになる。しかし上級生も男子も混じった「半分」に対して、カリスマ性を欠く私が注意などできるわけがない。ただMちゃんと並んで、じっと傘につもる雪の重みを感じながらバスを待つ。一種の苦行である。
 そして極めつけに冬のトラウマとして存在するのが「スキー授業」だ。
 体育の授業は週三コマと決まっているが、ウチの高校では冬の間、この三コマを一箇所に集めて(つまり特定の曜日の午後を全て使って)、毎週スキー授業を行うのである。雪のない地方の人にとっては、うらやましい話かもしれない。
 が、このスキー授業、移動が徒歩なのである。
 最初にその話を聞いた時、私は呆然とした。スキー場は決して近くない。どう考えても、歩こうと思う距離ではない。しかもその道のりを、スキー靴だのなんだのを背負って歩けというのである(スキーは現地の小屋に置いておくのだが、それにしても初回と最終回は持ち運ばなければならない)。
 一年生の最初の授業で、私はスキー場に着いた時点で息を切らしていた。他人より一段体力が劣るとわかっているので教室を一番に出てきたにもかかわらず、着いた時はドンジリだったのである(四十五分くらいかかった)。へろへろだ。しかもこれから授業をして、あげくの果てにまた歩いて帰れというのである。 鬼だ。悪魔だ。
 実はスキー場まで「近道」なるものが存在していて、そこを歩くとかなり時間が短縮されるのだった。慣れてくると、前の集団にくっついて「近道」を通ったのだが、そっちはそっちで過酷だった。住宅街を分け入り、道のどん詰まりから他人の家の裏にまわる。その後に待ち受けているのは道路でもなんでもない、道なき道だ。雪のない状態では田んぼなのか畑なのか知らないが、とにかく吹きっさらしの雪原を、前の人の足跡だけを頼りに進んでいくのである。
 さえぎるものがなにもないので、吹雪くともろに風が当たる。ひどい天候の時、ふと顔を上げたら辺り一面真っ白で、すぐそこにあるはずの山さえかげっていて、前を行く人の背中以外なにもなかったことがある。道幅はひとりぶんしかなく、一列に並んだ高校生はまったく口を開かない。ただ黙々と雪のなかを進む行列のうちのひとりに、自分もなっているのだった。
 ――これ、「雪中行軍」ですか?
 そう思ったけれども、後ろを振り返って友だちに言う余裕もない。前の人についていかないと、死ぬ。
 そのようにして道のりが命がけである上、スキー授業自体も、まったく面白くない。スキーといえば、照り輝く純白のパウダースノウのイメージがあるけれど、実際にはスキー場は雪が降っていることが多いのである。さっきも書いたように、吹雪いていることもまちまちだ。頬を切るように叩き付ける雪、止まらない鼻水。しまいには睫毛にまで雪がまとわりつき、視界がにじんでくる。
 しかも私は「五班」だ。スキー授業はクラスに関係なく能力別に班を組むのだが、足をそろえてカーブできない人たちが集まる最下級が「五班」である。リフトに乗らず、カニ歩きでヨチヨチと山をのぼり、下のほうで練習するのだ。
「はーーい、曲がるときは外側にストックをついて、山側に体重をかける! そうすれば足閉じてても曲がるから!」
 小学校から飽きるほど繰り返された先生の説明を聞きながら、超スロウに滑っていく。曲がる時は生真面目に「山側……山側……」と体重を意識する。でも私はうまれつき右膝が曲がってついているので、どうしようが足をそろえて滑れるようになんかならない。そうやってよろよろやっていると、遥か上のほうから「苗場スキー場のCM」みたいな一団=「一班」の人々がジグザグを描きながらハイスピードで滑ってきて、ようやく坂を下り切った私ら「五班」のほうに思いっきり雪の粉をまき散らすのだ(被害妄想入ってます)。
 最後の十五分くらいは自由時間になるのだが、私の友だちというのがだいたいスキーがうまいもんだから、一緒にリフトで上にのぼっていっても、必ず置いていかれる。「待ってよお〜こんな急なところ滑れないよお〜」と半泣きで叫ぼうとも、「大丈夫だよー」という友だちの返事は風に呑まれ、あっというまに遠ざかっていく。彼女の背中はすでに点にしか見えない。私は半泣きのまま急坂に突入していく。あのカーブ曲がりきれないで斜面を転がり落ちて死ぬんじゃないか、と何度も思った。
 帰り道では指先が冷えきって動かない。私は友だちにスキー教室の愚痴をぶちぶち言いながら歩く。途中の自販機で必ず紅茶花伝のロイヤルミルクティー(あたたか〜い)を買い、それをほっぺただの指だのに当てながら、学校までの坂をのぼっていく。学校に着くまでは絶対缶を開けない。ぎりぎりまでカイロとして活用したいからだ。
 教室に着くと、安心してミルクティーを飲み干す。それはもうだいぶなまぬるい。なまぬるいミルクティーを飲むと、「ああ、生きて帰ってきた」と思い、そして「でも一週間したらまたコレか……」と暗澹たる気分にさせられたものだ。
 スキー授業は二年生までで終わりである。受験生はスキー授業なしが一般的なのだ(「滑る」と縁起が悪いから、と先生たちは言うが、まあ、骨折などされてはたまらないから、というのが定説である)。
 二年生の最後の授業が終わった日のことは忘れられない。私は例の「道なき道」を歩きながら解放感で胸をいっぱいにしていた。
「嬉しいよう。あたしもう二度とスキーなんかしない! ていうか雪国にも住まない! 誓う!」
 ろくに口をきかず往復してきたその道の上で、私は喜々としてMちゃんに語った。Mちゃんは「二班」なので共感してもらえるはずはないのだが、誰かに喋らずにはいられないほど嬉しかったのである。

 そしてそれから、私は本当に一度たりともスキーを履いてない。それどころか、冬はできるだけ実家に寄り付かないようにしている。正月も、雪がある年は帰らない。
ふるさとは遠きにありておもうもの。東京に弱々と降る雪を見ているくらいが、一番郷愁をそそられるのである。あの「もさもさ」降る雪を見てしまったら、私は本当に愛媛辺りに引っ越してしまうかもしれない。
1982年2月秋田県生まれ。都内某大学在学中の2002年、新潮社「女による女のための『R-18』文学賞」で読者賞を受賞しデビュー。著書に『青空チェリー』『日傘のお兄さん』(以上新潮社)、『ブルースノウ・ワルツ』(講談社)がある。今春、無事大学を卒業。『告知板としまhttp://fengdao.exblog.jp/
書き下ろし小説『檸檬のころ豊島ミホ
1470円(本体定価1400円)
23歳! 今、最注目の女性作家による
痛くてまぶしい、青春7ツ。
□□□□□「いっそ痛いと思った、
その痛みだけは思い出せた」□□□□□
初恋、友情、失恋、部活、学祭、進路、受験、上京……。
山と田んぼに囲まれた、コンビニの一軒もない田舎の県立高校の四季を舞台に、誰もが通ってきた「あの頃」の、かっこ悪くて、情けなくて、でもかけがえのない瞬間を、ヴィヴィッドに描き出した傑作青春小説。