ツレ&貂々のコドモ大人化プロジェクト
文・望月昭 絵・細川貂々
その48 三年間という時間
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 いよいよ、である。この文章が公開される頃には、もう来ているのだ。
 息子の三歳の誕生日が、である。
 三歳ということは、三年間の子育てをいたしたのだ。……実際には誕生日から九日間、コドモは相棒と一緒に入院したままだったから、その間僕は病院に通うだけだった。だとすると、この文章が公開される頃は、まだ厳密には子育て三年満期にはなっていないのだな。微妙です。
 いや、どっちにしても、二月の初旬には僕のパパ三年目の通過点がやってくる。「石の上にも三年」。このコトワザは、どんなことでも三年やってみると、それなりに専門家として見えてくることがあるという意味だったと思う。つまり、いままでは素人だったのだ。素人なのに育児エッセイみたいな文章を書き散らしてスミマセンでした。

 今はまだ微妙な立場ではあるが、二月になれば専門家。ぜんぜんそんな自信があるわけではないのだが、自分なりに「ああ三年もやったんだな」と自分を支えることができる。三年間というのは長かったような短かったような。息子もあいかわらずのおバカちゃんだが、三年分は育ったので、自分の足で歩いて、ちらかしながらゴハン食べて、オムツは取れないけど「ウンチしたからかえてもいいよ」と偉そうなことを言ってくる。三年前と比べると、ずいぶん違う。

 物事を習得する節目は、三日、三カ月、三年ということをその昔誰かから聞いた。学校の先生だったかもしれない。自分に合っていないスキルを習得しようとすると、三日で投げ出したくなる。だから「三日坊主」というのだそうだ。きっとその昔、仏門に入りたいと憧れて、三日間だけ修行して「もういいです。拙者には向いていません」と還俗してしまった若者がいっぱいいたのに違いない。きっと僕もそのくちだ……。
 会社で働こうとすると、「三カ月は試用期間です」と言われたことも多かったな。本当はそういうのは労働基準法違反なのだ。でも、三カ月くらいで辞めてしまう人もいるという経験に則っているのかも。僕も三カ月で辞めた会社もありました。
 そして、そんな僕が三年も育児と子育てをやってのけた。その三年の間、寝るときはいつも息子と一緒。一日たりとも離れたことがない。オムツを替えなかった日もない。お風呂に入れて頭と体を洗ってやっている。以前と比べるとぜんぜん違う生活。それが三年。三年も経つと体に子育てパーソン反射のようなものが備わっている。自分ではよくわからないが、他の人とオシャベリをしている最中に息子が「パパー」と泣きながら寄ってきたのを抱き上げて揺すりつつ、頭と口は止まらずにオシャベリに熱中していたら「立派なオバちゃんになったな」と言われた。すごいぞ僕の女脳。

 三年間をざっと振り返ると、いろいろなことがあった、と思う。最初の三カ月は異星人のような乳児との付き合い。連続して寝かせてもらえず、だんだんモウロウとしてくる。泣かれて乳をやり、泣かれてオムツを換え、泣かれてあやして、それでも泣かれてもうなんで泣かれるのかわからない。途方にくれていました。
 そして首がすわり、寝返りしてゴロゴロ転がってくるようになり、ハイハイして離乳食が始まり、つたい歩きが始まって部屋の中のものを棚などに避難させ、ピコピコと歩くようになり、後追いをされ、ベビーカーに乗せることができず抱っこ帯で外出し、いつまでたっても喋れず、一歳半健診のときには発達外来に通うよう指示されたりもする。発達外来に通いつつ、広場や託児を利用し、保育園にもトライして息子の外向きな性格に気づいたり。やがて喋れるようになり、発達外来も卒業。電車が好きになり、偏食のせいかチビだが、まあまあフツウの育ちになってきた。それで三年。息子にとってはゼロ歳から三歳。僕にとっては、うーん、43歳から46歳だ。
 
 どっちにしても、この三年間はそれまでの人生とは違う三年間だったと思う。それはきっと、僕の記憶にはあまり残されていない、僕の人生の最初の三年間を変則的な形で補ったような経験だ。
 
 ところで、今回はもう一つの「三年間という時間」の話を蒸し返してみたい。それは僕が39歳から41歳のときだ。それは「うつ病闘病に費やされた」三年間である。
 その三年間も、実際には当初の三カ月、闘病に専念しての三カ月、そのあとの半年、残りの二年……くらいで内容は違う。最初がタイヘンで、だんだん楽になってきたというところも、ちょっと育児+子育ての三年と似ていなくもない。ただ、病気との付き合いは、それがほとんど意識されなくなった三年目の節目に、薬を飲むことを卒業したという形で「終わった」のである(が、子育てはまだまだこれからだ。子育てに関しては、三年で卒業なんて甘っちょろい話はない)。
 それにしても、その病気と付き合っていた三年間は、それ以前とはまったく別の時間の流れの中にいた。そして、その後の時間のこともまったく想像がつかなかった。僕はもう、「自分は晩年を生き始めたのだ」と思っていた。さまざまなことが不自由で、すぐ感情的に目一杯になり、余裕はなく、夢をみてさえ泣いていた……。今から振り返れば、それは病気だった時期であり、ぜんぜん晩年じゃなかったんだけどね。
 
 うつ病の闘病に関しては、コドモが産まれる一年以上前に終わった話なのではあるが、コドモの成長と並行して、相棒が生み出した作品『ツレがうつになりまして。』が世間の中で育ち始めた。それは突然うつ病に陥った僕の当惑と、病気と付き合いながら成長していく夫婦の関係のようなもの(気恥ずかしいのでうまく書けませんゴメンナサイ)、まったく別の人生に踏み出していく僕(その結果が今の子育てパパな形なのだが)。そういうのが、きっとなんか良かったのである。時代的に?
 
 それで、『ツレがうつになりまして。』は、息子が一歳のときにテレビドラマになった。相棒の役が藤原紀香さん、僕の役が原田泰造さん。美男美女になってしまった僕たちだが、でも僕たちの不器用さを見事に演じてくれていた。NHK総合テレビで三週連続放映された。
 僕が病気になる前は、全然売れない漫画ばっかり描いていて、不満タラタラだった相棒だが、僕が非力になったりオバちゃんライクになったりしている間に、テレビドラマにもなるような漫画を描いてしまったのだ。すごいことだよなと思ったのである。

 ところが、『ツレがうつになりまして。』の勢いはそれで終わらなかったのである。
 なんと、今回は映画になることが決まってしまった。東映配給で今年2011年の11月公開予定。佐々部清監督の作品で、主演は宮﨑あおいさん、堺雅人さんである。さすがに今回は「相棒が宮﨑あおいさんで、僕が堺雅人さん……」なんて言うのもオコガマシイ。ちゃんと独立した役名もあるし、撮影している今の時点での出来事ということになっているので、「僕たちと同じ経験をしてしまう若い二人のお話」というような感じだ。
 映画は今ちょうど毎日少しずつ撮影が進んでいるのであるが、伺った話だと、ひがな一日中かけて撮影をして、映画の尺の中で三分ぶんずつ出来上がっているのだとか。確かに撮影日程は四十日ほどで組まれていましたが……。

 実は先週、手だけ出演の相棒にくっついて僕と息子も撮影所に行ってみたのだが、ドラマの撮影所見学のとき一歳だった息子は、今回三歳直前だというのに、おバカ度はぜんぜん変わりなく、というか今のほうがもっと聞き分けがなく、スタジオで騒いでしまうので、ぜんぜん撮影風景が見られないのであった。そのかわり息子と東映撮影所の中を徘徊していて、いかにも怪しいサムシング(「仮面ライダー」か「戦隊もの」の悪の組織のボスが乗るような台)などを触ることができて、そういうのはちょっと面白かったのではあるが。

 今週は一家でエキストラ出演をする予定もあるので、順調に行けば、映画のどこかのシーンで主役のお二人とは似ても似つかぬ中年夫婦とバカ息子が、さりげなく家族連れとして出演しているのをご覧いただけるかもしれません。もしお気づきになったなら、撮影日は息子の誕生日の二日前なので、「あれが三歳直前のちーと君かぁ。やっぱり偏食だから小さいな」「あれが石の上にあとちょっとで三年になるツレか、なるほど動きがオバちゃんだ」などと話題にしていただくのも良いかも。


望月昭&細川貂々プロフィール