内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)

1967年生まれ。ルポライター、イラストレーター。
屠畜の現場を徹底的に取材した『世界屠畜紀行』(解放出版社/角川文庫)や、愛すべき男たちを描写する『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版、講談社文庫)、38歳で乳癌と診断されてからの心身の変化について綴った『身体のいいなり』(朝日新聞出版・講談社エッセイ賞受賞)など、著書多数。最新刊は『飼い喰い』(岩波書店)。
http://kemonomici.exblog.jp/

 女性誌である女優がインタビューで、ダイエットには大きな鏡が有効であること、毎日体型をチェックするのが大切であることを語っていたのを思い出したのは、鏡が届いて数日後のことだ。

 なるほど、こういうことだったのか。
 ひょっとしたら私は身体を映すのが嫌いだったんではなくて、単に鏡がないから見なかっただけなんじゃないかというくらい、身体を見るようになった
 なにしろ場所がちょうど着替える場所にあるし。毎日服を着るたびに、外出用のタイツを履くたびに、全身を眺めることとなる。
 ヨガを数年やるようになって、猫背はそこそこ治って来ていたし、激しく酷いO脚も改善されつつあったことも、大きいかもしれない。嫌悪感はほとんどなかった。いや、嫌悪感よりも、チェック欲が勝ったのだ。

 しかしまあ、ともかく、件の女優さんがどなたか忘れてしまって申し訳ないのだけれど、彼女は正しい。ヨガスタジオでは、人目もあるから鏡で自分の体型チェックはさすがに誰もしない。鏡を眺める自分ってのは、かなり恥ずかしい姿なのだと、みなさんわかってる。
 レッスン前にも見るときだって、開脚前屈ストレッチをして、腰の入り具合を見るとか、あくまでもヨガに関することくらいで。壁一面鏡であろうとも、映す自分は、見る自分は、ほんの僅かなのだった。

 それが自室の鏡で、自分だけの空間で向き合うとこうも違うものかと、驚嘆するほど見るようになった。すると、これまで気にはしていたけれど、よく見えないからどうでもいいか、と思っていた部分が気になるようになってきた。それは、尻……。




 日本は戦後をいつやめたのだったっけ。もうさすがに戦後じゃあないよねと、テレビや新聞がいいだしたとき、私はまだとっても若者だったはずだが、へえっと驚いた。
 こういうものって自分でやめると宣言してしまえばそれで終わるものなのか。

 いや、言語が常に事象の区切りをつけるとは限らない。先月出された原発事故収束宣言に同意したひとは、そう多くはないだろう。全然終わってねえよ、と怒りを新たにした方も多いかと思う。私自身も終わったとはまるで思っていない。
 癌という疾病には完治という終息宣言は出されない。寛解((かんかい)という言葉を使う。病気そのものは完全に治癒していないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失する、という意味だ。数年後、いや十年経ってもひょいひょいと再発したり転移したりするからなんだろう。


 私は2005年5月から2008年6月までのあいだに、乳癌を部分切除したり全摘出したりシリコンで形成したりと合計四回、身体を切り貼り続けてきた。このへんの詳細は、拙著『身体のいいなり』(朝日新聞出版)に書かせていただいたので、読んでいただければ幸甚です。この本で講談社エッセイ賞というとても光栄な賞もいただきました。

 『身体のいいなり』の連載を終えたのは、2010年8月。当時の私は再発原発の可能性を常に頭の隅っこに置いたまま、ずんどこ変化していく自分の身体に慄いていた。ビビりまくっていた。
 深い睡眠が可能になり、寝起きが爽やかになり、飲酒が可能になり、月経不順が治り、という、身体内部の変化も十分信じられなかったが、外側、つまり自分の見てくれの変化にはさらに腰が引けていた。そうそうなにもかも割り切っておっぱい入れた訳ではなかったところに、長年の悩みだった太い脚とO脚が改善されてきた。ある朝起きたら全部夢で、病床にいるんじゃないかと、何度も思った。

 心のどこかでまだ自分は「病後」「病み上がり」なんだと思っていた。他人様からあまりにも元気になって目を剥かれようが、再検査でひょいっと引っかかって、また手術生活に戻る自分を、常に想定していた。
 それは実のところいまも変わらないのだけれど。

 鏡に映る尻のシルエットが気になって、ヨガのポーズで尻と太ももの境目を一番使うポーズはなにかしらんと考えるようになって、はたと気がついた。ああ、もう私は自分の身体が健康でさえあればいい、気持ちよく巡りよくあれば、それだけでいい、とは思っていないのだ。これを増長と言わずしてなんと言おうか。

 もう、いいかげん自分が「病み上がり」でないことを認めよう。
 癌になる前までは、ダイエットすらしたことないというのに、身体を自分の手で変える快感に、目覚めてしまった。世間じゃ本来ババアと呼ばれておかしくない歳なのに、いまさら「美容」か。十年前ならまだそれなりにかわいげもあろうというものだが。ああ、人間ほっておくと欲深くなるもんだ。

 しかし世間の同年代女性はたくましい。四十代になって「美容」を、いやもっと突き詰めて言えば「女」とさっくり距離を持とうなんて思ってる人は、いない。
 自分が二十代のときにお付き合いしていた四十代の先輩女性たちを思い出してみるにつけ、なんかこう、もっと落ち着いた、ちょっと枯れた関係を持っていたようにも思うのだが。

 二十代からずっと「女」を張って来た女性ならば、今四十代になって、それでなんでいきなり枯れなきゃならないのさ、むしろこれから金も手もかけて維持するのよっ!!といきまくこともできよう。
 しかしくどいようだが私は38歳まで、そんなもなあ、犬にでもくれてやる、と思いやさぐれて生きてきたのである。発酵熟成そして腐敗させてきた自意識が、黙っちゃいない。
「いまさらみっともないことするんじゃねえよ!!」と騒いでいるんだが、どうにもならん。だって適切な運動をすれば体型は変わると知ってしまったのだから。筋肉は、四十代でもつくものだと、身をもって知ってしまったのだから。この事実を前には、私の腐り果てた自意識も、尻尾を巻くしかないのだった。お恥ずかしや。

 ただいま2011年12月。
 7月からヨガに加えて、クラシックバレエを習い始めるにあたり、ようやく居直った。心の底から居直った。もはや病み上がりの養生でもなんでもなく、私は自分の肉体に過剰に手を入れ始めている。美容と言い換えてもよい。動けりゃ十分だった、深く眠れれば十分だった私よ、さらば。
 年寄りの冷や水と呼ばれようが、なんだろうが、一向に構わん。どうとでも呼んでくれ。

(以下次号)