内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)

1967年生まれ。ルポライター、イラストレーター。
屠畜の現場を徹底的に取材した『世界屠畜紀行』(解放出版社/角川文庫)や、愛すべき男たちを描写する『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版、講談社文庫)、38歳で乳癌と診断されてからの心身の変化について綴った『身体のいいなり』(朝日新聞出版・講談社エッセイ賞受賞)など、著書多数。最新刊は『飼い喰い』(岩波書店)。
http://kemonomici.exblog.jp/

 いやはや。
 食べたいモノを我慢するということが、こんなに辛いとは知らなかった。小麦と砂糖には依存性があるんじゃないかと思うほど、絶つと、欲しくて仕方がなくなる。
 私はカフェで原稿を書くので、コーヒーを二杯くらい飲む。仕事はじめに乗らなきゃ、コーヒーとともにケーキを食べ、原稿がはかどればどっと脳が疲れるので、栄養補給が欲しくなってケーキを食べる。さすがにひと仕事に二つは食べない。はじめか締めかのどちらかにしていた。
 このたびのダイエットで、ケーキを食べる代わりに、コーヒーに砂糖を入れて脳の栄養分としたのだが、どうにもこうにもケーキへの飢餓感が蓄積する。原稿ができないというほどでもないんだが、それなりにイライラする。
 砂糖だけでは満たされないなにかがあるらしい。砂糖と小麦とクリームとバターと卵。この組み合わせでないとダメらしい。
 でもなあ。いつも食べてるケーキって、特別美味しいものでもなんでもないのだ。駅前ならどこにでもあるカウンターで、コーヒーを頼んで受け取るカフェである。美味いなんて思えたこともない。
 きちんとしたカフェにいけば美味しいケーキがあるのもわかっているが、そういうカフェでパソコン仕事をするのはなんだか申し訳なくてできないのだった。
 しかしそれはまだいい。問題は友人や仕事の相手と夕食に出たときである。
 揚げ物やご飯は……と渋っていると、
「なんでー?! どうかしたの??」と驚愕される。普段の大食いは皆様の心にしっかりと刻み込まれているらしい。
「いや、その、ダイエットしてまして……」
なんて言おうものなら、
「必要ないじゃん!!」
と、呆れられる。
「あー撮影あるんで。レオタード(大人用のいろいろ隠すものはつけるけど)だもんで」
「はあ?  なんでそんな仕事請けるんだよっ」
“そんな仕事”はねえだろ、と思いつつ
「……いやあ、バレエやりすぎで書き下ろしと単行本が進まなくてー。へへへ。」
「内澤さん、なんでそんなに無頼なの!!」
 現金収入がやばい位で、ブライと呼ばれるほどのことではないとは思うものの、自己管理の甘さは認めよう。認めますとも。だから今ダイエットさせてくれたっていいじゃん!!
「明日からすればいいよ。食べようよー」
 ……まあね。私とて世にはびこる、人前で小鳥以下しか喰わない女性を、心の中でちょっと蔑んできましたとも。しかし彼女たちにもさまざまな事情があるに違いないのだ。今わかった。どうでもいいけど。
 
 しかし食べないでいようと思うと、なぜ食べたくなるのだろうか。粉が恋しくてたまらない。結局我慢しきれず、どかっと食べること一月で二回。体重はほとんど変わらず、腹もいつもとあんまり変わらないまま、撮影当日を迎えた。悲しいことに高温期だった。足もむくみぎみですが、しかたない。黒タイツでごまかすしかない。ダイエットをやったというよりは、無駄な我慢をして食欲を刺激しただけ。これならいつもの暮らしでぜんぜん良かった。
 撮影は朝っぱらから行われた。
 まずは基本の立ちポーズ。一番と呼ばれるポジションである。踵をつけて、爪先を外側に向けて立つ。足をアンドゥオール、外向きにするだけで、バランスが取りにくくなるので腰が引ける。そこをぐっと力を入れて、まっすぐにする。へそを引っ込めると、ひゅっと肋骨が持ち上がるのをさらにぐいっと引き上げる。よく先生には背中とおなかをくっつけるようにと言われている。肋骨を下からつぶして押し上げているのと、背中から脇にかけての筋肉で持ち上げているような感じだ。正しいのかどうかわからないけど。で、肩甲骨を下げる。首は上に伸ばす。
 ヨガもそうなんだが、ひとつのポーズをとるのに全身の筋肉を意識してここは上に、こっちは前に、ここは下にと引っ張らねばならない。慣れてくれば自然にとまではいかなくても、すこしは取りやすくなるのであるが(あくまでヨガでの経験だけど)、はじめのうちは全身に意識を向けねばならない。しかもこれ、立ってるだけなんですけど。
 一応四ヶ月やってるとはいえ、あらためて人前でポーズをとるのは難しい。
 K先生のチェックも、いつものレッスンと違って細部にわたって厳しい。そりゃ写真撮るんだから当然なんですが。ほんのちょっと肩の位置、手の位置を動かされ、変えるだけで、筋肉の張り、力の入り具合が変わるのがわかる。
 しかしなにより私の問題点は、足。O脚の足である。内股に力を込めて膝も股もつけてと言われるのだが、どんなにがんばって力を入れようと、ぴったりつくまでにはならない。
 中学生のときには拳二個分離れていたのだ。一個ではなく二個だよ二個!! 拳半分になっただけでもすっごい進歩なんですけど、誰も当時の私を知らないので、褒めてくれない。ただのO脚の人である。ま、いいけど。
「いや、もっと行くはず。ここに力入れて」
 ぎゅうううう。脚がガクガク震える。普段のレッスンならばギャーッとか、ううう、とか声を漏らし、顔もぐしゃぐしゃに歪めているわけなのだが、撮影なので顔の表情まで指摘が入る。
「内澤さん、笑顔、よろしくお願いします」
 指示を出したそばから、カメラのSさんが「うわー、バレエってマゾでなきゃできないですね……」とつぶやいている。ええ、まあ、今日は特にそう思いますよ、ほんとに。
 足を最大限まっすぐにして、腰椎を正しい位置に保てる時間は、恥ずかしながらそう長くない。居直ってる場合じゃなかった。ううう。ともかくきっちりポーズ取れてるうちに早く撮ってください!! ってな具合なのに、いまきっちりできてる!! シャッター音鳴った!!  バッチリ!!  と思うと目をつぶっていたり、白目剥いてたりで、撮り直しと相成る。ううう。モデルってつくづく肉体労働なのだなあ。
 カメラもデジタルの時代になって久しい。こういうスタジオ撮りの場合は、画面の大きなパソコンディスプレイに撮れた写真がすぐに大判で出てくるのである。
 これまでインタビューや対談などでスタジオ撮りをしていただいたことはあるが、せいぜいカメラの画面で出来上がりをちらりとチェックするだけだった。すごいなあ。
 私がぶるぶるしながら立っている間、K先生と編集の林さんとカメラのSさんとで、画像を覗き込んで、ああでもないこうでもないと見ている。K先生は、本来の手の位置はここでいいんだけど、斜めから撮ると、正しい位置にあるように見えないからもう少しずらしましょう、などと細かくチェックしてくださっている。……ありがたいです。ありがたいですが、先生、もう筋肉が限界です。

 いやはや。普段のレッスンでちゃんとやってるつもりでも、厳密にはできてなかったのだなあ。
 この日に撮ったポーズは、立位のほかに二つ、グラン・プリエとポールドブラ。
 ごくごく基本の、本当に基本の動きである。グラン・プリエは、足を離して立ち(もちろん爪先は外向き))、そのままぐっと片腕を前に伸ばしつつ、膝を折って腰を落としていき、そのまま腕を上にあげる。
 私は長らく腰痛持ちであり、今もやわらかいベッドに寝れば必ず発症する。長らく股関節をいじらないように生きてきたため、異様に腰が硬い。
 ヨガとバレエのレッスンの後のストレッチで、少しずつ伸ばしているところであるが、開きは人より大変悪い。足を開けるだけでも開いて膝を曲げていくと、すぐ腰が引けて出てしまう。まっすぐ状態を立てながら開脚の膝を曲げて腰を落としていくだけで、当然腹も引っ込めたままだ。下半身ブルブルである。
 ポールドブラは五番といって、足を外向きのまま交差させて立ち、上半身をぐるりと回す。三つの中では比較的脚がブルブルはしなかったけど、腕の位置が辛い。本来は腕もきちんと使わねばならないのだが、今の私では普段のレッスンでも足と身体の動きを考えるだけで精一杯だったのだ。
 連続した動きの途中で静止して撮影しなければならなかったこともあり、上半身の筋肉も、震えはしないものの、ぎしぎししてきた。

内澤旬子 冷や水の女 第六回 減らさねば削らなきゃ願いが 飢えを喚ぶねじれ、不惑も半ばで初体験
 

 村上春樹の「1Q84」を読んだとき(村上春樹のファンだというわけではないのだが、彼の小説には妙に細部の設定が心に残る場合が多い)、主人公の殺し屋女性が、全身の筋肉をたった二十分で完全にすみずみ限界まで動かせるストレッチを、自分で編み出して実践しているというくだりがあり、そんなストレッチがあったら自分もぜひやりたいもんだと思っていた。
 小説だからさらりと書けるのかもしれないけれど、身体を動かすことに魅入られた人間にとって、自分にとっての理想のストレッチは、魅力的である。
 ヨガでも不可能ではないかもしれないけれど、いまの自分の知識と経験では、呼吸を整えるところから始めると、最低四十分はないと難しい。筋肉を限界まで動かすにしても、ヨガの場合はリラックスと抱き合わせでやらねば意味がないので、やっぱり一時間はないとだめかなあ。いや、そっちのが絶対健康的なんだが、ちゃちゃっと全身の筋肉をパンプアップさせたい気分のときだって、あるのだ。
 しかし今回の撮影でわかったが、バレエのバーレッスンは、まったく妥協せずにきちっと全身気を配ってできるようになれば、二十分でかなりへとへとにできるような気がしてきた(普段のレッスンはバーレッスンのあともいろいろあるので一時間強くらい)。 
 今のレッスンでも十分運動になるのであるが、もっときちんとできるようになれば、さらにいろいろな部分の筋肉をがっつり動かせる。
 問題はバーレッスンは、バーと鏡がないと、できないってことだ。どこでもいつでも、というわけにはいかない。椅子の背などで代用できたとしても、難しいんじゃないだろうか。なにより今の私の状態ではまだぜんぜん身体が覚えていんで、まずは動きを脳と身体できっちり覚えてから、なのであるが。

 撮影の翌日には、全身筋肉痛に見舞われた。とくに腿はすごかった。たった三ポーズつけただけなのに。いやもういかに普段のレッスンで、きちんと身体に力を入れていないのか、動かせていないのかということがわかった。ま、みなさんの動きについていくだけで精一杯のレベルなんだから、仕方ないともいえますが。これからはもう少し意識して動かしてみるか。
 とっても辛かったけど、得るものも多い撮影であった。撮影のほかに対談までさせていただいたのだが、紙数が増えすぎたのでそれは次号に。


以下次号