内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)

1967年生まれ。ルポライター、イラストレーター。
屠畜の現場を徹底的に取材した『世界屠畜紀行』(解放出版社/角川文庫)や、愛すべき男たちを描写する『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版、講談社文庫)、38歳で乳癌と診断されてからの心身の変化について綴った『身体のいいなり』(朝日新聞出版・講談社エッセイ賞受賞)など、著書多数。最新刊は『飼い喰い』(岩波書店)。
http://kemonomici.exblog.jp/

 という、幸せに浸ったのもつかの間。帰国したときには、身体はギシギシと音を立てているのであった。ダメじゃん……。ベッドと荷物の問題は大きい。次の取材時には資料は電子化で持ち歩き、腰に当てて寝る板を自作して臨むしかあるまい。
 それにしても痛い。股関節の痛みをかばうために、右半身全体が硬直している。もうヨガでほぐすとか、風呂で温めるとか、そういう次元ではない。だんだん座るのも寝るのも歩くのも痛むようになってきた。
 これは、マジでやばい。完全白旗だ。整体にいくしかない。

 東京の西側にあるS治療院は、以前にヨガで腰(背中に近いあたり)を痛めたときに、インストラクターの先生から紹介してもらっていた。そのときの腰は歩くのが辛いほどだったのに、一発ですっきり治ったのである。そして、昨年の秋にも一度ヨガの月礼拝で腰を反らせすぎて痛めたときにお世話になった。
 月礼拝は、いつもと違うインストラクターの先生のレッスンではじめて挑戦したのだが、太陽礼拝に比べて腰の反りが強かった。立ったまま上半身を後ろに反らせるときに、尾骨を地面に向けるように、骨盤を後傾して行わねばならないのだが、ちと気を許すとこのガードがゆるくなり、てきめんに腰が痛くなる。顎があがってしまったのもよくなかった。しかし痛め方自体はとても軽かったのだ。整体に行くほどでもないくらいだった。

 ところが、痛めた翌日に歩いていたら、いつも家が建っていた場所が取り壊されて更地になっていて、ふと目をやると、端っこに女性が立っていた。それも、身じろぎもせずに、更地に開いた直径三十センチくらいの穴を黒髪を垂らして覗き込んでいたのである。めちゃくちゃ怖い。怖いオーラが道路までにじんできているよ!

 穴の中になにがあったらそんなにじっと穴を眺めるんだろうか。目が離せないまま歩いていて、ドガッと電柱に激突してしまった。旧道なので、道は狭いし電信柱は歩道のど真ん中に立っているのだ。星が飛び、セル眼鏡のツルが折れた。真横を向いて歩いていた証拠である。


 ということで、首も痛くなってしまった。うーん。しかし遠方の治療院におすがりするほどでもないかと、近所の整体に行ってみた。日本語が片言の女性がでてきて、問診もせずに「とんでもない重症の腰痛だ」と言う。いや、経験上まだまだぜんぜん軽いはずなのだが。そして炎症を起こしているはずの腰をぐいぐいと揉みまくられた。つぼに入る痛さならいいのだが、全然違う。やばい、大ハズレだ。

 途中でやめてくださいと言うべきだったが、そこはA型気質、ひたすら終わるのを待ち、逃げるように帰宅した。予想通り、前よりも痛くなってしまった。さらに身体を変にかばって歩くうちに、家の中でも数箇所身体をぶつけてしまう。穴に呪われたのだろうか。
 泣きつくように予約をとり、地下鉄を西へと乗り継いでS治療院に行くと、丁寧に話を聞いて、身体を軽く動かしながら診てくださり、

「驚くほどいろいろなところを痛めてますが、幸いなことにどれも軽症です」と言われた。やっぱり筋肉の炎症レベルであったのだ。よかった……。はじめからここに来れば良かったのだ。遠いけど。もちろん一回施術してもらっただけでウソのように身体が軽くなった。
「あんまり無理しないで運動してくださいね……」と、帰り際に言われた。

 さて、今回の股関節はどうなんだろう。前より念入りに無理を重ねてこじらせていることは確かだ。ご忠告を守れなくて、申し訳ない気分で一杯である。治療着に着替え、これまでの経緯を細かく説明する。
「バレエのバーレッスンは、歴史も長くて、よくできてるから、身体を痛めることは少ないんだよね。むしろヨガのほうが痛める人は多いんだけど……」
 いや、ヨガも歴史は長いんだが、と思いつつ、促されるままに、膝を立てて寝る。左膝が動かないように軽く手で押さえられ、右膝を誘導されながらゆっくり倒していく。半分くらい倒したところで、痛みとともに、こう、力が入らないような感覚になる。身体が反射的にかばうような、なにかを断絶するような、感じ。

「うーん……」先生の顔が曇る。やばそうな雰囲気である。
 目と額を冷やし、腰とお腹は全体に暖めつつ、右足の付け根だけは冷やす。足の付け根を中心に、尻、背中、首、肩と、フルコースで施術していただく。先生との距離が近くて、照れくさいのでいつも目を閉じてしまうので、何をやっているんだかよくわからない。ゼリーのようなものをつけて、ぐっと押しているのは確かだ。痛いというか熱い。
 ところで以前の腰と違って、今回は股関節。つまりは足の付け根である。足の付け根は、まあ、その、有事なので仕方ないのだが、大変センシティブな部分と隣接している。微妙である。

 しかしこの先生は男性でありながら、不快な感じを受けないし、かといって、あらぬ方向に「快」な感じも受けない。勝手にどうぞと、身体を預けられる。ありがたい。人徳なのか、プロだからなのか、ゲイなのか、単なる相性なのか。なんでも構わないが、長く通うには大変重要なポイントである。

 歯科医師、美容師などなど、至近距離でなにかしていただく場合、常にこの問題がつきまとう。以前に受けた施術師の方は、とても良心的にやっていただいたのだが、どうにもこうにもエロくて気まずく、通えなくなってしまった。セクハラではない。こちらが感じる空気の問題である。正直に理由を申し上げることもできず、「良くなりました」とウソをついた。神経質で申し訳ないのだが、施術に集中できないので、こればかりはしかたない。

 一回の施術で、股関節の痛みをかばって凝りまくっていた右半身全体の凝りはとれた。これだけでかなり身体は軽くなった。しかし股関節の痛みはとれない。

「今日はここまでかな。じゃ、ちょっとプリエしてみて」
 はーい。と、治療着に裸足で床に立ち、痛くない程度に足を一番の位置、かかと同士をつけてがに股になって、まっすぐ立ち、膝を曲げていく。

「あーーー!!」

 いつも温和な先生の顔が引きつる。ん、なにか?

「股関節の開きと足の位置がずれてる!!
 こんなことしてたら膝の関節を痛めちゃうよ!!」

 どうやら私は足を外に開きたいばっかりに、股関節を開く以上に、足の位置だけを外開きにしていたのだった。確かに正しくないのはわかりますが、それってそんなにマズいことなんですか??


以下次号……