内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)

1967年生まれ。ルポライター、イラストレーター。
屠畜の現場を徹底的に取材した『世界屠畜紀行』(解放出版社/角川文庫)や、愛すべき男たちを描写する『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版、講談社文庫)、38歳で乳癌と診断されてからの心身の変化について綴った『身体のいいなり』(朝日新聞出版・講談社エッセイ賞受賞)など、著書多数。最新刊は『飼い喰い』(岩波書店)。
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 それにしても。くどいようだがウォーキングというのはなんとも退屈なのだった。
 いや、正しく歩けてもいないのに、えらそうで申し訳ありません。ちょっと調べてみると運動としてのウォーキングは奥が深くて、専門家の指導を受けずに正しい姿勢を保って歩くのはとても難しいそうだ。とりあえずヨガを再開できるまでのつなぎなので、専門家の指導を仰ぐほどでもないんだよなあ。

 姿勢までは気遣わなくてもとりあえず歩いている、という人は周りにとても多い。特に年配男性に多い。仕事の付き合いの、頭脳ワーカーの人々がほとんどだ。
 だいたいみなさん健康診断などでなんらかの数値に問題を抱え、でも運動は苦手だし、ということで歩きはじめるようだ。体重の変化がなくても血中の値など、数字の変化があると楽しいし、達成感を味わえる。これまで運動に縁のなかった人ほど、この達成感にはまる。私もそれでヨガだのバレエだのとやりまくっているので、そのお気持ちはよーくわかる。誰かに話したくなるお気持ちも、こんなエッセイを書いてるわけであるから、よーくわかる。

 というわけで、ちょっとつつくと、みなさん喜んでいろいろ教えてくださる。どうも一日の目安は七千歩らしい。ある方などは一日だいたい二万歩は歩いているという。自宅の最寄り駅を利用せずに隣駅まで歩き、電車にのって会社の最寄り駅より一つ前で降りるらしい。これで相当稼げるのだそうだ。それで普通に鉄筋のオフィスにいてエレベーターを使わなければ、それだけで一日四千歩くらいは歩いているものだとも。

 へー、そんなものなのかしらん。私の場合は通勤というものがないので、そこまでは歩数を稼げないだろうなあ。ためしにiPod shuffleに内臓されている万歩計の機能を使って測ってみることにした。
 茫然自失とはこのことである。
 一日二千歩いかないなんてしょっちゅうなのだ。えええええ。いくら歩くのが嫌いとはいえ、ここまで歩いていなかったとは。そりゃ山手線の内側の、営団地下鉄の駅から二分のところにいるんだから、歩く用事は少ないのだが。鎌倉に住めば、歩く量だけは稼げるのだがなあ。あの歩き自慢の紳士たち、やるじゃねえか。

 ためしに営団地下鉄の駅ふたつぶん歩いてみても、七千歩にならない。やっぱりJRの駅間隔は広いんだなと、妙なところで感心したり。しかも三千歩だってそれなりに時間がかかるうえに、退屈で、筋肉に負荷がかかってる感じがまるでない。もう少し負荷をかけて早く終わらせたいところだ。

 ということで、これまでいろいろ習ってきたことを適当に混ぜて、すぐに疲れるウォーキング方法を編み出した。あとから治療師の先生に思い切り首を傾げられているので、真似しないほうがいいと思う。少なくとも普段の歩き方にするのはよしたほうがいいだろう。私も緊急の運動としてしか、この歩き方をしていない。
 まず足は、一直線上に踏み出す。あの有名な先生のあの歩き方である。普通に歩くにはちと不自然な動きだが、あくまで緊急の筋トレ的な歩きだ。とにかく筋肉に早く疲れてもらうためのものだ。平行に足を出すのに比べると、わき腹の筋肉をよく使うのだ。さらにお腹を引っ込めつつ、骨盤をいつもよりもわずかに後傾させる。これはヨガの先生に教わったのだが、少し後傾させるだけで体幹筋が意識できる。意識できるということは、使っているということかと。

 お腹を引っ込め続けようとすると、腹式呼吸はできないので、胸式、へそから上に呼気を入れる。肋骨を開くようにするとやりやすい。これもヨガとバレエで教わった呼吸方法だ。ヨガの場合は腹にも胸にも入れるのだが、胸郭の開き方を教わった。やってるうちに背中の方にも呼気を入れられるようになった。バレエではお腹を常にへそを背中につける勢いでペッタンコにしなければならないので、腹は動かさないままへそ上だけヨガの呼吸でしのいでいる。それをいただいた。

 そして上半身。まっすぐ伸ばすのは当然として、ここはバレエで常に注意されているように、背中にしわを作るくらいの気持ちで肩甲骨同士を真ん中に寄せつつ、肩甲骨の下端を骨盤にくっつけるように下げる。上半身だけ意識していると、肩甲骨を下げるのにつられて骨盤が前傾しそうになるので、ここはぐっと腰の位置をキープ。
 で、なるべく手を後ろに大きく振って、手の振りに合わせて身体を交互に捩じりながら歩くのだ。これはちょっと肩こり対策でもあるが。姿勢を保つのはめちゃくちゃ大変だが、あっという間に腹筋が痛くなる。シメシメ……。痛くなってから、しばらくそのまま歩いて、終了。普通に歩くよりはずっと少ない歩数でいい(たぶん)。

 二週間ほど夜中に歩きつつ、治療に通ううちに、酷い痛みはとれてきた。膝を立てて寝て、足を床に向けて開いていっても、痛覚がぶち切れになってしまうことはなくなった。開ききる前に痛みが走る。痛みが走るだけマシになったらしい。腰の痛みもほぼとれて、まともに筋肉が働くようになったようだ。仰向けに寝かされ、腰のカーブに両手を入れたT先生の顔がちょっと明るい。
 じゃ、ヨガはもうはじめて大丈夫ですかね、T先生? 背中のマッサージを受けながらたたみ掛ける。

「まあ、わかってると思うけど、無理のない程度にね。だいたいさあ、筋肉の束が細くて硬いんだよねえ。こう、付け焼刃的っていうか……。」

 付け焼刃な筋肉!!

 さすが数々の身体を触って治してきただけのことはある。うまいこと言うじゃないか、くそう。まさに言い当てられてしまった。触られながら言われるとぐうの音もでないと言いたいところだが、口だけは減らないので、言い返す。

 あったりまえじゃないですか。あのねえ、T先生。私は生まれてから四十近くまで、まっったく運動してこなくて、筋肉なんてつけたことなかったんですってば。ゼロですから。こんな中年になってヨガはじめてバレエはじめて、筋肉がついただけでありがたいって話なんですよっ。ひっ、あてててて……。

「ふーん。あ、ここ痛む?……。一流スポーツ選手の筋肉ってさあ、ふわっふわなんだよねえ……。こう、指がグッて入るくらい柔らかいんだよ。それでいて、いざ使うときだけはぎゅっと硬くなるんだ。だから身体も柔らかいしねー」

 T先生、思い出すだけでもうっとりすると言わんばかりの声音である。筋肉オタクなのか?? ケッ。悪かったな、カチカチで。

 ふわふわの筋肉。

 もはやどう羨んでも、もう一度生まれてみない限り、手に入らない代物である。いやたぶん適正な訓練以外にも先天的な要因もあるだろうから、生まれ変わったって手に入るかどうか。
 実は身近にこのふわふわの筋肉の持ち主がいる。ヨガインストラクターのR先生(女性)である。よく専門家に褒められるんだとか。なんともマニアックだが、見る人が見ればわかるらしい。筋肉も才能のうちなのだ。
 ところがR先生にとってはこのふわふわな筋肉が気に入らないらしい。そう、本当に見た目もふわふわなので、肉のように見えなくもないのだ。

「すっごいコンプレックスよお。なんかシェイプが丸いでしょ。痩せようったって痩せないし。ジュンコさんみたいにすらっとしたいよおー」

 いやR先生、わたしの筋肉は付け焼刃で(居直って自称することにした)、固くて痛めやすいんですってば。第一R先生、痩せる必要なんてないし。その腰と腰周りの筋肉の柔らかさのほうが、断然羨ましいんですが……。

 R先生の腰の柔らかさといったら半端ない。立位前屈すると本当に隙間なく、紙を二つに折ったようにぺったりと腰から折れる。お世話になっているヨガインストラクターの中でも屈指の柔らかさ。惚れ惚れする。本当にこんな身体になれたらどんなにいいかと思ってるのになー。

 ま、他人の身体を羨んでもはじまらない。いや、実のところ本気で羨むほどの熱はないのだ、もう。なぜなら歳が歳だから。ああー本当にラクでいいな、中年は。ともあれ、付け焼刃な筋肉をおもいきり動かせるように、痛みをとらないとな。

 T先生の治療室で、三回目の治療が終わったとき、仰向けに寝かされた。身体のどこにも力を入れずに足を内外に回すようにといわれた。はあ、そんな地味な動きでなにが? と思ったのだが、十回もやると足が疲れてきた。え? あれ?

「意外と筋肉使うでしょう。膝も回るようにね。立って踵を床につけちゃうと、膝の角度とずれちゃうから、寝てやったほうがいい。地道な動きだけど、毎日やっていくうちに、股関節まわりの軟骨も育つから。コツコツやってみて」

 というわけで、右股関節を開いたり負荷をかけるポーズを休みつつヨガを再開し、家では足を地道に回す日々がはじまった。バレエ教室に復帰できる日は来るのか。先生はできるようになると言ってくださってはいるものの、期待は禁物。

 ちまちまやるしかあるまい……。