内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)

1967年生まれ。ルポライター、イラストレーター。
屠畜の現場を徹底的に取材した『世界屠畜紀行』(解放出版社/角川文庫)や、愛すべき男たちを描写する『おやじがきー絶滅危惧種中年男性図鑑』(にんげん出版、講談社文庫)、38歳で乳癌と診断されてからの心身の変化について綴った『身体のいいなり』(朝日新聞出版・講談社エッセイ賞受賞)など、著書多数。最新刊は『飼い喰い』(岩波書店)。
http://kemonomici.exblog.jp/

 当時はそんなことも、なにひとつ分からなかったし、説明してくれるひともいなかったから、いろいろひとりで挑戦しては敗北感を味わい続け、心を腐らせ続けていた。
 子ども向けのバレエ教室でも、プリマをトップにすえたピラミッドヒエラルキーを作らずに、身体の筋肉をバランスよく鍛えるエクセサイズとしての要素が強い教室があればいいのに。肥満に悩む女の子や、猫背の女の子が、加減は難しいだろうけど、あんまり劣等感を感じずに全身の筋肉を健やかに動かして、姿勢良くきれいに歩けるような教室があったらなあ。
 劣等感に負けて運動不足を募らせ、成長期に筋肉を失っていった自分としては、ほんとに悔しい。
 その後、O脚に関するコンプレックスは、大人になって自由に服を選べるようになってから、ごまかすことを覚え、そのうちに勃発した腰痛とアトピー性皮膚炎により、元気で普通に動いて化粧できることすら危うくなったため、気に病むことも少なくなった。
 あれは十年くらい前だったろうか。新聞のテレビ欄を見ていたら、O脚矯正に朗報みたいなことが書いてあって、見る気になった。爆笑問題の太田光が出ていて、何人かの一般被験者にO脚矯正体操を一定期間続けてもらって、効果をスタジオで見せるというものだった。
 基本的には脚の内側をストレッチでよく伸ばすことと、内転筋を鍛える運動をすることであった。その場でストレッチだけをためしたタレントも、膝がつく人がいた。
 私のO脚は重度だから無理だろうと思ったのだが、テレビの前で試してみた。するとストレッチだけでたしかに膝同士がつくまでは行かなくても、距離は縮まったのだ。なにをやってもダメだったのに!!
 これまでO脚対策に筋を伸ばすという発想がまるでなかったので、衝撃だった。
 しかし長年の癖は、一時的なストレッチくらいではどうにもならない。すぐにまた曲がってしまうのである。家でひとり行う筋力トレーニングにも限度がある。いや、根性のあるひとはどうにかなるのかもしれないけれども、筋肉がほとんどない、そのことで魂まで腐っていたどん底レベルの人間には、手ごたえのまるでない体操を自力で続けることは、本当に本当に難しかったのだった。
 今は違う。魂はいまだ腐っているものの、乳癌で一度体力も気力もゼロまで落ちたために、なにをやっても続かない私がヨガを始め、ゼロから腹筋と背筋を育てることができた。体幹筋とてついたと思う。猫背も治ってきた。
 バレエをはじめてからは、姿勢もさらに良くなったし、脚の筋肉だって、内転筋肉を除けば育ってきている。脚の筋もかなりストレッチされて、力をいれて必死にがんばれば、決してつくことのない膝が、いつのまにかつくまでになったのだ。
 ただし無意識に立てばすぐに膝は開いてしまう。それでもまあここまで来ただけでも、すげえ進歩なのである。
 筋肉が足りないからこそ、痛めてしまったのであるが、そこを使う動きをしているとも言えるのだから、無理な負荷をかけないようにしながら少しずつやっていけば、内転筋も、育てられるはずだろう。たぶん。
 付け焼刃であろうが、ガラスのように硬かろうが、筋肉は動かさねばさらに退化する。前進あるのみ。ああ、なんでこんなに前向きなんだろう、自分。
 
 右股関節の痛みはなかなかとれてくれなかった。日常生活にはほとんど支障なく立ち座りもできるようになったのだが、バレエ復帰は難しい。足を外旋させてプリエ、膝を折り曲げると痛むのだから、すべての動きを封殺されたようなもの。
 かといって股関節の復帰を待って動かなければ、筋肉はサラサラと砂の城のように消えてしまう。
 しょうがないので、ヨガに行く回数を増やすことにした。金銭的に辛いなとおもっていたら、ちょうどお世話になっていた先生が、沢山通えばレッスン料が格安になるスタジオでも教えることになり、そちらのチケットを買った。
 改めて内転筋を意識しながらヨガをしてみる。片側の膝を曲げる戦士のポーズ二番は、リハビリの動きに少し似ている。膝が中に入っているとインストラクターの先生方から注意されてきたのだった。
 これまでは、感覚としては膝先だけをくっと外側に向けるようにしてきたのだが、どうもそれでは足りなかったようだ。
 足の付け根から、ぐっと捻るように膝を曲げる方の尻を内側にたくし込むようにして膝を足の真上に来る位置に固定してみた。あ、なんか付け根から膝にかけて内転筋を使えているような気がする。気がするだけでも相当な進歩だ。意識して動かすだけで、身体は変わっていくはず。
 股関節が痛むため、まだ膝と股関節を深く曲げることはできなかったものの、それでも膝の位置を脚の根元から意識して整えるようにしてみた。
 レッスンでは股関節に負荷がかからないポーズもたくさんあるので、そこは思い切り動かす。動かせば、気持ちいい。新しいスタジオでは以前からお世話になっている先生のレッスンは週に一コマしかないので、他の先生のヴィニヤサヨガのレッスンにも顔を出してみたら、これまで別のスタジオで習ったことがある先生が、生徒として来ていた。
 あれ、レベルが高いのかなと思ったんだが、受けてみたら、なんとかついていけなくもない。なによりレッスン後、ものすごくよく眠れる! 寝起きも気持ちいい!! なんだこれ!
 ヨガを始めたばかりのようなのだ。特に新しい動きがあるわけではない。英語によるレッスンのため、半分くらいしか聞き取れないでやっているから、導きが効いているわけでもない。ポーズの組み合わせが上手いのだろうか。
 英語でのレッスンは、どうしてもワンテンポ遅れてしまうし、正直に言えばその先生自身はあんまり好きになれないタイプの人でもある。しかも周りは上手な生徒さんたちばっかりだけど、レッスン後の気持ちよさには勝てない。何が違うんだろう。秘密を知りたくなってしまった。
 バレエにはまだまだ本格復帰できそうにないし、ということで、この先生のレッスンにガバガバと通い出して二ヶ月ほど経った頃、なんと今度は左手首を傷めてしまったのだった。スマホを持つだけで痛む。くわあああ、あたしの身体はガラスか。四十代の筋肉はガラスなのか!!
 T先生の治療室で、股関節治療のついでに、あのー、手首も診ていただけますか?ヨガで痛めちゃったみたいで…と切り出すと、T先生は、ふうーっとため息をついて、冷たく言い放った。
「もう歳なんだから、いい加減にしたら?」
 そんなこと言ったって……。

続く