みそずい〜ミソジのつぶやきレター
大久保佳代子さま

 前略 私はぶっちゃけ最近、仕事がうまくいっていませんでした。年に2、3度やってくる「落ち込み病」にかかっていたのです。
「いやだ」「怖い」「どうせ……」この言葉をブツブツ繰り返す毎日でした。はたから見たら「相変わらず」だったようですが、本人にとってはデカい問題でした。
「今度こそ芸能界を辞めよう……いや、辞めたって再就職先ないじゃん! ……では、病気で入院したということでサボろうかしら……」
 と、真剣に考えていたのでした。
 復帰した時のことも考え、同じ病気でも笑えるモノが良い、と「想像妊娠」に決め、こないだKABA.ちゃんにもらったエロビデオを押入れから引っ張り出し、一生懸命想像していたのでした。「妊娠しろぉー、妊娠しろぉー」と。好きな人から身近な人まで、自分の頭の中でアイコラしました。しかし、想像妊娠はできませんでした。「当たり前だよ」とはき捨てて終わり、な話でしょうが、私は藁にすがってでもな状態だったので、真剣でした。
 私には、明確な目標がありません。デビュー当時から欠点の一つだと指摘されているのですが、いつまでたっても見つからないのです。「ゴールデンで冠番組を持ちたい」わけでもなく、「あの人の様になりたい」わけでもなく、「金が欲しい」わけでもないのです。
最近のように落ち込んでしまうと、本当に迷い道まっしぐらになってしまいます。「なぜ私は仕事に向かわねばならないのだろう?」と。明確な目標を持ってはいないのだから「悩む」という目標も持ってはいないでしょ?と、無気力世代のタマモノな自分が出てくるのです。バイト感覚な自分が出てくるのです。でも、でも、やっぱ辞めたくはないのです。……ややこしくてスイマセンねぇ。

 そんな時に大久保さんから、あんな攻撃的でないお手紙をもらったばっかりに、少しウルンときてしまいました。「やっぱり大久保さんが一番だ。世間の奴らなんて、無責任に非難ばかりして、ずるくって、エロくって、冷たくて、エロくって、けちで、エロくって……」と、世間に毒を吐き散らしてしまいました。
 そして、久々に大久保さんについて考えました。
 私たちは10代の後半、ほぼ毎日一緒にいましたね。高校時代は同じ様なブサイク8人で徒党を組み、いつも下品な笑いに包まれていましたね。男子からは嫌われ、なぜか先生からも嫌われていました。よく男子から「うるせーっ」と文句を言われ、先生からは小さな事で怒られてばかりいました。
 でもそれは、私たちにとっては、格好の笑いのネタになりましたね。モノマネをまじえながら、怒られたり、文句を言われたときの話をするのは、とても楽しかったです。
「マジでぇ? うひゃひゃひゃー。あたしたちって、嫌われてるぅ。うひゃひゃひゃひゃー」
 聞くも楽し、話すも楽し、でした。
 私は「なんなら怒られねーかな?」と悪ふざけをすることも多々ありました。あの頃の私たちは、本当に怒られることが好きでしたね。「また失敗しちゃったよぉー」と笑顔で、そして少し得意気に……楽しんでいました。
 そういえば、初めての仕事の時も怒られましたね。覚えてますか?
 フジテレビのリハーサル室。コンビを組んでまだ3ヶ月目のこと。なぜか私たちに、深夜のネタ番組のオファーがきましたね。しかも30分、丸々自分たちで自由に使って良いと。普通に考えてありえない話です。ミラクルラッキーチャンスです。
 後々聞いた話によると、どうやら別の人が出るはずだったのが、なんらかのトラブルでドタキャンになり、誰でもいいから出せ、女なら笑いのハードルも低いし、しかもブスとブス、絵面はいいから……うーん、こいつらでいいわ……が理由だったそうです。
 当時の私たちは、ただのタチの悪い素人でしたね。この世界で食っていこうという気はサラサラなく、就職活動する勇気もなく、もう少し遊んでいたい、お笑いのマネごとして記念を残しましょうか? そんな感覚でしたね。これが、どれ程のチャンスなのか、幸運なのか、重大な責任を負うことなのか、全く考えていませんでした。
 ライブ会場にディレクターがやって来た時、私は平気でウソをつきました。「ネタは10本はありますねえ。もちろん、今日やったモノの数倍は面白いですよ」と。
 ネタなんて、たったの2本しかありませんでした。ダジャレが2、3はいっただけで漫才と言い張るひどいモノがたったの2本です。何も考えていませんでした。「やる気ある?」と聞かれ、「もちろん、石に噛り付いてでも。天下取りたいですからね」と平気でまたウソを重ねました。
そして後日、リハーサル室でそのウソはバレましたね。「じゃあ、別のネタ見せてくれる?」と言ったディレクターに、「もうありませんけど」と言った時のリハ室の空気、今思うとよく平気でいられたな、と思います。収録は3日後、「今から誰かをキャスティングする時間はないよ」とディレクターは頭を抱え、黙りこくってしまいましたね。
「これから作ろうとしてるネタとかないの?」
「じゃあ、やりたいこと何かない?」
「今から作るしかないでしょ?」
 何を言われてもだんまりのくせに、「てんやもん取るけど何がいい?」には「親子丼お願いします」と即答する私たちに、女ADがブチギレましたね。
「アンタたち、ナメてんの? プロ意識はないの?」と、説教されましたね。
 その時、大久保さんは何を考えていました? 「プロ意識はないの?」と聞くADに、「だって私たち、ただの……大学生ですから」と火に油を注いだ私をどう思いました?
 私は正直、楽しんでいました。説教を受けながら、「キャー、めちゃめちゃ怒られてるわぁ。早く大久保さんと喋りたーい」と。

 あの頃の私は、今よりずっと強かった気がします。無知の無責任による強さです。
 どんな仕事も、ウケたら儲けもん、ハズしたら裏で笑える、どう転んでも楽しかったです。ハズした一言を放った直後は「早く大久保さんと喋りてー。クッククック笑いてぇー」とニヤニヤしていたぐらいですから。それが、いつの間に、こんなビビリになってしまったのでしょう?
「これを言ったら、ウケなかったらどうしよう? やっぱ黙っていようか……」と迷ってばかりで。そんな風に迷ったため、タイミングを逃した一言は妙に悪目立ちをし、辺りをシーンとさせてしまいます。
「やっぱり私はいなくていい存在なのよ。どこからも、何も求められていない、中途半端にブスな女なのよぉ」と落ち込んでゆくのでした。スタッフのうんざり的な表情を見ようものなら「死のう……死んでしまおう……」と、安直に極論を口走るのでした。

 こないだ、久々にディレクターに怒られましたね。目をつむり、鼻をつまみ、食べ物を当てるという、シンクロナイズド・スイミングという「めちゃイケ」でのコーナーで。確かに私たちのテンションは低かったです。迷いがありました。
 でも怒られたのはそんなことではなく、「いい加減、同じモノばかり回答するのは止めてください」でしたね。そう言われれば、デザート系ではアップルパイ、おかず系ではお好み焼き、いつも同じことを言っていました。でも、本当に何が何やら分からないし、そう感じてしまっていたのですから。やる気がないわけではないのですから。
 楽屋から出て行くディレクターを見送った後、私は一瞬、学生時代に戻りました。
「大久保さん、怒られたねぇ」
 私は久々に楽しくなりました。同じ回答をしようが、それが笑いになっていればディレクターは怒りません。私たちの力不足を、別の形で伝えてくれたのだと思います。でも、「アップルパイ」と「お好み焼き」という単語をわざわざ怒りに来るなんて……つーか、34にもなって人から怒られるなんて……。「やばい、私たち干されるんじゃないのぉ? うひゃひゃひゃひゃー」笑ってしまいました。
 二人で怒られるって、こんなに楽しかったのですね。何かボンヤリとした迷いと不安で、悪い方向に向かっていたのが、少しうーん……霧が晴れた気がしました。楽しきゃいいじゃん、楽しみゃいいじゃん。もちろん、これが正解だとは思いません。でも、落ち込み病にかかっていた私にとっては、何かが見えたのでした。
 その後の2本目の撮り、はたから見たら何の変化もなく、特別面白くもなかったかもしれませんが、私はいつもより楽しかったです。

「大久保さんが横にいてくれれば、怖くない。楽しめる」という結論でまとめると思いました? そこが人間、複雑な感情を持った生き物なのね。
 大久保さんが笑いを取ると、正直、むかつくんですよね。「私が一人で頑張って耕した畑に、実る頃にふらっとやってきて……この畑泥棒があ!」って思ってしまうんですよね。
 二人でいたい……ま、そういう時もありますが、私が楽しくやっている現場には、あんまり来ないで下さい。
 一人でくじけそうな現場だけ、横にいて下さい。
 そして、一緒に怒られて下さい。
 ……コンビって、ギブ アンド テイクだろうがあ。
草々 光浦靖子