みそずい〜ミソジのつぶやきレター
大久保佳代子さま

 拝啓 趣味ねえ? うーん……。

 この仕事をやっていると、よく「今のマイブームは何ですか? 趣味は何ですか?」という質問を受けますが、本当に困ってしまいます。
「何でもいいですから。気軽に」なんて言葉を信じて、下手に「今はガーデニングですかねぇ?」などと答えると失敗します。「家庭菜園ですか? 部屋中植物だらけなんですか? 暇な時間は全て費やしているんですか? 写真撮ってきてもらえます? ガーデニングでトーク30分もちます?」などとなるからです。
 テレビの人はオタク的知識、熱情を求めるので困ります。私にはただ、パセリの種を買ってきて植えてみた、しかも、まだ芽もでていない、という事実しかありません。「マイブーム」「趣味」には、そんなに責任を持たなければいけないんですかねえ?
 責任を追及しない程度に聞いてくださいね。しいて言うなら、私の趣味は読書です。1日、1時間は読みます。おもしろい作品に出会った時は、1日で1冊読みます。生活なんですよ。活字を読まないとお風呂に入っていられないし、眠れないのです。汚い話、ウンコにタバコみたいなもんです。湯船にブック、ベッドにブック。
 私の場合、知識を血肉にしてやろう、なんて気概はなく、ただただ読み過ごすという読書なので、本を閉じた瞬間に主人公の名前が言えないなんてことは、ちょくちょくです。特に最近。ちっとも記憶できないのです。人名、地名、時代、まあ入ってきません。今まで読んだ本をすべて記憶できていたら、今の私のポジションは変わっていたでしょうね。大久保さんが気安く話しかけられないぐらいにね。あ……何気なく性格の悪さが露見している。いかん。
 私は、小説ばかりを読み、ドキュメンタリーはあまり読みません。人の人生やら、リアルを背負い込みたくないからです。私は、仕事という現実から解放されたら、夢の世界に住んでいたいのです。どんなに残虐な事件が起こりビビりまくろうが、どんなに人の愛に包まれ涙しようが、どんなに間違った行いに後悔しまくろうが、全てウソだからいいのです。ウソだって分かってるから、己の感情を大放出できるのです。
 だって現実は続くんですよ。いちいち立ち止まって、左右の確認の連続ですよ。私は正しかったのかしら?と悩み、後悔し、の連続ですよ。小説の世界はウソなんです。終わるんです。無責任に、その世界にどっぷり浸かり、立ち止まることなく、ふりかかる出来事を受け止めればいいのです。自由なんです。ムカつけば、ムカつきたおしてやればいいのです。好きなら突っ走ればいいのです。抱かれたきゃ、抱かれりゃいいのです。
 あらら? 言葉を費やしたわりには、伝わりませんでした? ま、一人の夜が長過ぎたっつーことです。

 私の読書は、小学校の頃から始まりました。覚えてます? うちの小学校は3年生だか4年生にならないと図書室使わせてくれなかったじゃないですか?  私は図書室という響きと、大人の雰囲気にあこがれていて、本が好きというより、とにかく図書室に行きたくて行ったことを覚えています。
 西日の思いっきり当たる図書室は、どこの教室とも違った独特の匂いがしました。本は山程あり、どれを読んでいいのやら全く分かりませんでした。ビデオ屋のようなオススメマークはなく、不親切です。私は字が大きく、挿絵がいっぱいの本を選びました。
 読みたくて借りたというより、借りたからには読まなきゃいけないからハードルは低くしておこう、の本選びでした。公務員の長女ですから、律儀に真面目に、その日に読みました。面白くも何ともない本でした。ですが、その日から私は、ほぼ毎日、本を借りにいきました。
 なぜかというと、図書室に通う自分が好きだった、という理由と、もう一つ。本を借りるとシールが貼れたからです。教室の壁に「本の表」ってあったじゃないですか? 自分の名前の行に、本を1冊借りると1個シール貼るってやつ。クラスで誰が何冊読んだか、一目瞭然ってやつ。大人が、子供の競争心と虚栄心を煽って、楽して得取る教育アイテムですよ。私はシール貼りたさに本を借りるようになりました。まんまと奴らの作戦に……、ですよ。

 私が保育園に通っていた頃のことです。私の通う保育園では、朝の挨拶の時、一番イイ子にして先生のお話を聞けた子が、皆の前で日めくりをめくれる、という行事がありました。どこぞの酒屋でもらったような、なんの工夫もない、可愛げもない日めくりカレンダーです。それをただ、みんなの前で一枚ビリビリ破るだけのことでした。
 しかし、この行事は子供たちにウケました。選ばれた子供は胸をはり、得意気でした。幼心にも、優越感というのはあるのでしょうか? どうせ気付けばなくしている、そんな紙が、その時は輝いて見えるのでした。私の家には、カレンダーはあれど、日めくりはありませんでした。だから余計に、子供の私には、ただ数字が書いてあるペラペラの紙が宝物に見えたのでした。
 私は選ばれたくて、選ばれたくて、イイ子にしていたのですが、全く選ばれません。仲良しのマサヨちゃんは、しょっちゅう選ばれます。悪ガキのマー君でさえ選ばれます。総勢でも5、60人しかいない小さな保育園です。単純に計算して、一人、年5回は選ばれる確率です。なのに、私は3年間に2、3度しか選ばれませんでした。なぜでしょう?
 今は分かります。私は目立たない子供だったのでした。保母さんも、一応まんべんなく選んでいるつもりだったのでしょうが、どうしてもキャラの濃い子供に目がゆくのでしょう。私は忘れられる子供だったのでした。しかし、そんなことがずっと忘れられないのでした。

「本の表」は、そんな私にとってミラクルでした。イイ子にしていたって日めくりはやって来なかったのに、ここでは、本を借りれば、己の力でシールを引き寄せられるのです。本を読めばシールを貼れるのです。私は相当な文具フェチでした。業務用フェチでした。学校で使われる、あの、ただ丸いだけの、味も素っ気もないシールには、たまらないものがありました。
 色は、赤、青、黄、緑の4色。しゃれっ気のない、フツーの色。質実剛健的な、チャラいことは拒みます的な、貧乏からのし上がります的な感じが、まあ好きでした。
 そのシールを貼る時の快感といったら。読書は、読む楽しみの他にも楽しみをくれるものでした。しかも、シールの数がクラスで1番になると、やっぱ優越感に浸れるし、先生には褒められるし、とお得な特典までついてきました。フェチ心と競争心と虚栄心があいまって、私は本を読み漁るようになったのです。
 自分の過去を振り返ってみて、よくぞまあ「趣味は読書です」に至ったわいなあ、と思います。つーか、イヤな小学生ね。いやいや、でも見方を変えるとさ、シールごときで釣られるほど純粋だった、と評価できないかしら? セックスが何なのか、中1の保健体育の授業を受けるまで知らなかったほど純粋だったんだから。……無理かぁ。純粋と解釈はできないかぁ。

 実は、一番多感な頃、私はあまり本を読んでいませんでした。中学の頃はテニス部で忙しく、高校も2年まで本離れしていました。3年になり「おら、東京さいぐだ」と受験勉強を始めたはいいが、嫌々、飽き飽きし、何気に本を手に取ってからが、私の読書の再スタートでした。小学校にあった本は、ほとんどが何か教訓めいたモノで締めくくってあり、品行方正でないとバチが当たるぞ、な内容が多かったように思います。脅しです。あれは。
 しかし、少し大人になって手にした本は、主人公が1番のダメ人間であったり、ただ理不尽に不幸に巻き込まれたり。私には目から鱗でした。「やべえ、おもしろい」素直に思いました。それから、読書が趣味になりました。
 ただちょっと後悔しています。「もう少し早く手にしていれば」と。だって、思春期って、理屈ナシじゃないですか。すんごく小さなことが許せなかったり、どうでもいいことで大爆笑したり。右脳のみで生きてる時じゃないですか。まだ高3とはいえ、もう少し早く手に取っていれば、私の性格は違っていたのかな? と思います。

P.S ちなみに、今は侍にハマっており、「武士道」の解説本を読んでいます。小説じゃあありませんけど、何か?
草々 光浦靖子