みそずい〜ミソジのつぶやきレター
大久保佳代子さま

 前略 最近の私はオシャレですよぉ。TPOをわきまえる、これぞオシャレさんじゃないですか。ラジオは声だけで姿は映らない、ド深夜で長丁場、明日の仕事は早い、そうなりゃパジャマでしょうよ。一応私も社会人ですから、人から「バカにしてんのか?」と言われないようパジャマの上にトレーナー、adidasのシャカシャカパンツ、それらを装着していったじゃないですか。
 ラジオ始めて1年経つじゃないですか。もう出会いはないと思いますよ。メンバー、変わらないでしょう? 誰も私たちに電話番号聞いてこないでしょう? 異性の目を気にして薄化粧をバッチリ施す大久保さん。深夜の化粧は肌によくないですよ。前厄ですよ。体を第一に考えたほうがいいですよ。

 ペンギンのトレーナー、私も覚えています。大久保さんといえばペンギンのトレーナーでしたよね。そうか、リスもあったんですね。リスを着て可愛い子と比べられるより、ペンギンを着て「あれは太った子が着るのね」と思われる方がマシ、と幼少期の大久保さんは考えていたのですね。面白いですねえ。なんか、三つ子の魂百まで、ですね。ま、私も大久保さんとたいして変わりませんけどね。
 小学校の頃は、洋服選びの全権利は母にありました。私は、だいたいスカートでした。ちびまる子ちゃんが着ている、かたひもの付いたスカートです。白のブラウスに、かたひもの付いたスカート、カーディガン、ハイソックス、それが私の定番でした。母親は私を「おとなしくて、体の少し弱い子」のイメージにはめたかったようです。いたって健康だというのに。母は己をどこか没落貴族とダブらせる癖がありました。母の実家は普通の農家だというのに。
 そして子供である私によく言いました。
「やっちゃんは他の子と違って、生まれもっての品の良さがあるよね」
「やっちゃんは他の子と違って、隠しても清潔感が溢れちゃうんだよね」
 と。しかし、田舎です。隣町まで買い物に行ったところで、そこも田舎です。しかも、中流家庭、子供服に贅沢はできません。こだわるわりに、ほとんど他の子と違わない服を着ていました。
 高学年になった頃からでしょうかね、母親の選ぶ服に少々の不満を持ち始めたのは。女子って仲間はずれブームがあるじゃないですか。理由は何でも良くて、気の強いリーダーシップを取る子のご機嫌で、順繰り順繰りに、「あの子無視しよう」ってなるじゃないですか。私は何かとリーダー格の子をイラッとさせるらしく、ちょこちょこ無視をされました。田舎の子供のやる無視ですから徹底しておらず、必ず「あ、喋っちゃった」と言うおっちょこちょいがいて、ま、世間から見たらイジメには認められない程度でしたが。
 しかし、私はそのブームが嫌でした。いつ自分の番になるのだ? とヒヤヒヤしていました。そこで私は悩み、考えたのでした。
「最大の防御は目立たないこと。みんなと同じが大事」
 一人で行っていたトイレはみんなと行くようにしました。人の意見を聞いてから自分の意見(同意)を言うようにしました。それでも目立つ気がして、不安で、周りを見渡してみました。そこで気付いたのでした。
「みんな胸に動物の付いたトレーナーを着ている」
 と。そう、大久保さんをはじめ、学年の多数が町にある同じ洋品店で買い物をしているため、同じトレーナーを着ている子が多かったのでした。あのペンギンのトレーナーなど私の憧れでした。あれを着れば目立つことがなくなり、平穏無事を手に入れられる、と思いました。すぐに母に頼みました。
「買ってぇ」
 しかし、母は買ってくれませんでした。ケチケチ教育を施す光浦家では、子供からのリクエストは99パー却下だったのです。
「ただでさえ可愛くて目立ってしまうのだから、せめて格好だけは下々の人間と同じにしなきゃいけないのに!」
 私はなげき哀しみました。
 中学になり、なんでもぶっちゃけて話せる間柄になった友人たちに言われました。
「やっちゃんって、人を見下すような目をたまにしてたよね。けっこう評判悪かったよ」
 なるほど、そっちだったのかぁ! 服が理由じゃなくて、私の性格の悪さが理由だったのかぁ! 私の人生のピークは小学校高学年の頃でした。そこそこ可愛かったです。当時、私は本当にこう思っていたのです。「私には欠点がない、欠点がないのが欠点だわ」と。そりゃ嫌われますわいな。でもね、これって母のせいじゃありません? 毎日、服を着るたびに「可愛い」を連発されてたのですから。
 甘い親? いやいや、ウチは厳しかったですよ。そんじょそこらの家庭では考えられないくらい厳しい家でしたよ。中3まで毎日、往復ビンタくらってましたもん。そんな親がたまーに褒めるんですよ。だからこそ、信じちゃうでしょう? そして、こうなっちゃうでしょう?
「自分は他の子と違って、清楚で、品があって、可愛いい。他の子たちって……可哀相」って。

 オシャレねえ……。やっぱり一人暮らしを始めてからですかねえ。正直申しましょう。実は私も、大学デビューを目論んでいたのです。
 合格発表があったすぐに、メガネをコンタクトに変えました。パーマをあてました。オレンジの口紅を買いました。そして、いざ出陣しました。しかし、ドライアイな私の目にハードコンタクトは合わず、目が痛くて痛くて、常にシバシバしていました。あまりに健康な私の髪はパーマごときで細くなることはなく、量の多かった髪は、ただ2倍に膨れ上がりました。色白のっぺりの、悪い意味で化粧栄えする顔に、ヴィヴィッドなオレンジは浮きまくりました。しかし、「なんのこれしき、東京に負けてはいかん」と頑張りました。キャンパスライフに流行りの服を着ました。ストライプのシャツに紺ジャケ、ジーンズ、ローファー。シャツは襟を立てました。人生でシャツの襟を立てていたのは、この頃が最初で最後です。ブックバンドで教科書をまとめ、肩に担いでもみました。ザ・女子大生です。
 しかし、それは1ヵ月でへこたれました。ザ・女子大生な格好をしているが、どっか変じゃないか? 田舎者が頑張っちゃってと笑われてんじゃないか? っていつもソワソワしていましたから。そして、そんな努力に何の報いもなかったからなのでした。
 大学1年の4月といえば、サークルの勧誘の時期です。毎日、どこかで合コンが開かれていました。私も友達に連れられて、東大のアナウンスサークルとやらに顔を出したことがあります。主に、東大の男子、お茶大の女子で構成されている、当時の国立大学にしては、小ジャレたサークルでした。
 学生ながらラジオで番組を持っているような人もいて、FMなノリの、洋楽なノリのところでした。私が田舎で描いていた「大学デビュー」にとてもふさわしいところでした。女の先輩のシャツの襟の立て方はかっこよかったですねえ。自信に溢れてましたもん。男子学生とのやり取りもシャレて見えましたねえ。
「二人は以前、恋仲だったのか? いや、セックス以上の信頼関係で結ばれているのか?」
 想像させられましたねえ。
 説明会の後、いわゆるコンパでした。が、人気サークルだったらしく、新入生の数が多いので「強制ではありません。帰りたい人は遠慮せず帰ってください」という牽制球をまず投げてきたのでした。「帰りたい人は帰ってください」って。他大学から来ている身分の私たちは特に行きづらくなります。そこかしこで「どうする? どうする?」の声があがっていました。
 そんな時、男子の先輩らが動き出したのです。「ねえ、おいでよ」と個人、個人を誘いだしたのです。
 あらら、いつ来るのかしら? いつ来るのかしら?
 案の定でした。誘われるのは、可愛い子、もしくは、そこそこオシャレな子だけでした。誘われて「えー、どうしよう?」と言っている女の子の脇を「あ、すいません」と背を丸めて出て行きました。

 薄々は感じていましたが、「まさか、まさか。私は中の上でしょう?」と若さによる強さで、懲りもせず、色んなところに顔を出しましたが、いつも同じような経験をしました。そして1カ月たった頃、私は髪をおかっぱにし、メガネをかけました。

 それからです。服は自分に似合うモノしか着ない、となったのは。そして十何年、ずっと男の子っぽい格好をしてきました。

 しかし、去年あたりから、大久保さんもお気づきでしょう、髪を伸ばすわ、スカートはくわ、と変わってきました。オカマちゃんらと頻繁につるむようになってからです。オカマちゃんらはファッションにはうるさいです。付け込む隙あらば、付け込んできます。が、褒める時は盛大に褒めてくれます。今の私のお母さんはオカマちゃんらです。
 彼女らは、私が少し女の子っぽい格好をしてると「いやぁだー、知世(原田)みたーい」とすごく褒めてくれます。きっと、彼女らの夢でもあるのでしょう。女の子なファッション。彼女らに褒められたくて、最近では少し可愛い、でも過剰にならない服選びをしています。何かの本に書いてありました。「ゲイとツルむ女はオシャレになる」と。

 ま、しかし、オシャレもお金があってのことです。ブランドのバッグを欲しいと思う年頃。日々、将来の不安と、現在の欲求の間で揺れています。
 小銭持ちの大久保さん、「お嫁さん貯金」は貯まりましたか?
 私たちの未来はどっちのレールに乗るのでしょう?
 今、使っていいのか? 貯めるべきなのか? 悩みませんか?
草々 光浦靖子