VIVA! 昭和
 東京は深川、いまでいう江東区にあります深川江戸資料館。中に入ると、そこには江戸時代の長屋風景が狭いながらも実物大で広がっております。胸躍らせて長屋を覗き込みますと、玄関は小さな竈と流しが一体となっています。流しといっても蛇口なんかありません。水は、表にある共同の井戸から汲んでくるのです。壁には粗末な棚に僅かばかりの道具が並びます。くるっと後ろに振り向けば、室内には申し訳程度の家具や寝具。貧乏人の住む部屋には畳すらなく、粗末な円座がぽつり。比較的裕福と思われるお向かいさんを覗くと小さな書斎空間があったりもしますが、夜になれば明かりは行灯だけですから、ここで読み書きをするなら日中が勝負でしょう。
 この資料館の魅力は、実物大の長屋を自由に歩き回り、靴を脱いで上がり込み、貝殻でできたお玉を手に取ったり、茶箪笥を開けたり、長火鉢の前に陣取ってぼーっとしてみたりと、江戸の空気を少しだけ味わえることにあります。ガラスのショーケースに並べられた古めかしい道具をただただ見つめ眺めるのとは違い、江戸の世界に身を浸すことで、イマジネーションを増幅させることが出来るのですから、面白くて仕方がありません。
 僕はここへ来る度に、畳だったり板の間だったりに陣取り、わあわあと楽しげに歩き回る他のお客さんの声を遠く聞きながら、考え、思うのです。これだけあれば十分、生活できるなあ、と。

 もちろん、江戸時代のそれと寸分違わぬ長屋を用意され、さあ、いまからひとりだけで暮らしなさいと言われても、数週間が限度で長続きはしないでしょう。けれどもし、街そのものが機能していて、納豆売りの声で目覚め、隣の部屋の会話も筒抜けで、「おう、今日はいい酒が手に入ったからやりにきなね」なんて節穴越しに声を掛けられたり、珍しく期限内に家賃を払った月は大いばりで長屋門をくぐったり、なんていう文化的な暮らしができるのであれば、きっとなんの不自由もなくやれると思うのです。
 考えてみれば、江戸時代なんていうのはほんの百数十年前の話じゃありませんか。文明は大きく変わりましたが、人の暮らしの根元が変わったわけではありません。着ている服も、食べているものも、住んでいる家も大きく違うでしょうけれど、凍え死にせず、飢えず、雨風がしのげるという最低限は変わりません。現代社会なんてのは、文明の力で快適さを増やしていっただけです。

 まあ、多くの方は「そんな見えを切ったところで、実際には数週間すら暮らせるわけがない」と感じるやもしれませんね。現実問題として、江戸の街や人々の暮らしが現代に再現されるなんてことは不可能なわけで、そこで暮らせる暮らせないなんて議論は机上の空論でしかなく、現実味を帯びることもありません。ありえないことだからこそ、僕が大見得を切っていると思われても、これは仕方のないことです。じゃあ、少し現実の話をさせていただきますね。

 遅れましたが、ついでに自己紹介をしておきましょう。わたくし、全日本貧乏協議会会長の川上卓也と申しまして、たいそうな名前の会を束ねるだけのことはあって、そりゃあもう貧乏です。『貧乏神髄』(WAVE出版)という本で月々八万円の生活などと銘打ってあれこれ書いておりますので、もしかしたら僕のことをすでにご存じの方もいらっしゃるかもしれません。それから数年、いまでは月の生活費が七万円を割るようなときもあったりして、相変わらずの貧乏暮らしでございます。
 そんな僕から、あなたの前に月々七万円の生活費というキーワードを提示しましょう。さて、七万円でどのように暮らしましょうか。想像し、考え、少しでも光が差し込むでしょうか。もしかしたら、家賃すらも払えないかもしれません。はい、もちろん僕は、七万円前後の生活費で家賃から光熱費、食費に通信費に雑費、さらには車まで所有していたりしますから、ガソリン代も捻出いたします。車というのは壊れもするし車検もありますから、いざというときのために僅かばかりではありますけれど貯金もしておかねばなりません。これは見えでもなんでもない、僕にとって原寸大の現実です。
 あなたが月七万円の生活費で暮らすことを想像できなければ、学校の授業やテレビなどで見る江戸時代の長屋での暮らしぶりに自分を重ね、「暮らせる」という自信も湧きはしないでしょう。仮になんとなく想像できたとしても、それは僕からすれば訂正させて頂く必要があるものかもしれません。パンの耳だって決して安くはないのです。

 そんな私の生活空間には、皆さんが普通にお持ちだと思われる家電製品の多くが存在しません。テレビ、掃除機、炊飯器、電子レンジ、いずれもありません。ある物を挙げた方が早いでしょうか。かつて三種の神器と呼ばれた冷蔵庫と洗濯機は持っています。冷蔵庫は、かつて会社員をしていた頃に買った物。洗濯機は、貰い物の二層式があります。でもたぶん、洗濯機は壊れてしまったらもういらないなあと感じてます。
 ここまで書いておいて、意外にもパソコン一式は持っていたりします。電話には、ファクシミリが備わっています。いまでは珍しいものじゃないでしょうけれど、テレビがないのにこれがあるというのは奇異に映るでしょうね。そんな不思議は、回を追うごとに明らかに出来ればと思ってます。

 そういう調子で住まう家賃三万円の古い一軒家。いつだったか、取材に訪れたライターから「昭和三〇年代を意識してコーディネートされてますか?」なんて聞かれたことがあります。部屋をコーディネートするなんていうのはお金持ちの趣味だとしか思っていませんでしたから苦笑してしまいましたが、後に、これは実に興味深い一言だと感じ入ったのです。
 僕は昭和四九年生まれですから、昭和三〇年代に暮らしたことなどありません。もちろん、昭和ブームに乗ってアンティークショップでそれらしい物を買い漁るような資金力などありはしません。だからこそ、前述のライターは僕の部屋に昭和三〇年があるような錯覚に陥ったのではないでしょうか。大して物もない四畳半には丸いちゃぶ台と、初冬の寒さを美味しく過ごすための火鉢。いずれも貰い物で、気がついたら揃っていました。窓にはカーテン代わりに安物の簾をたらしてあります。これもすべての窓ではなく、開閉の不要なところには麻布を垂らして誤魔化してます。新聞紙よりは増しでしょう。室内のプライバシー保護とは無縁ですが、外から見えたってどうってことのない生活ですから、日の光だけやんわり和らげてくれればなんでもかまわないのです。そんな部屋は、夜になると裸電球の明かりでささやかに照らされます。

 訳あって、といってもべつに借金を抱えているわけでもなければ、労働できない身体的理由があるわけでもないのですが、できるだけお金を稼がずに暮らすために貧乏へと“降りて”いった僕の暮らしは、どことなく昭和のそれになっているらしい。ちょいと調べますと、昭和三五年には豆腐が一丁一五円だそうで、いま、近所のスーパーでは七八円しますから、約五倍に跳ね上がったわけですね。で、当時の公務員初任給が一万二千九百円。これを五倍にすると約六万五千円ですから、いまの僕の生活費とあまり変わりのない金額になります。
 もちろん、僕は昭和三〇年代を目指して貧乏してきたわけではありません。突き詰めれば戦前の暮らしになる可能性だってあるし、いきなり海外の文化に染まる可能性だってゼロじゃありません。でも、いまという暫定的な結果は、まさに昭和三〇年代なのです。勘の良い方だったら、僕のいう貧乏がどんなものなのか、少しは見えてきたかもしれませんね。

 一般家庭に溢れる多くの“便利”は、僕の家には存在しません。けれど、僕は僕なりに楽しく暮らせているし、病院の世話になるほどの大病を患うこともなく、栄養失調で倒れた経験もまだありません。本人は、十分に満足のいく暮らしが整っていると、これだけは胸を張って主張できるつもりでおります。そしてそんな僕だから、江戸時代の長屋を見て、ああ、暮らせると感じる気持ちはたぶん、皆さんよりも具体的だと言い張れるのです。だって、平成一七年の皆さんと昭和三〇年代の僕とでは、四、五〇年の開きがあるじゃないですか。明治生まれのお年寄りだって、平成一七年には平成の暮らしをしている現在、僕は、みなさんよりもぐっと江戸時代に近いのです。

 そういう僕から見ると、皆さんの暮らしは決して便利ではなかったりします。これはもう、便利という単語の意味が違うとしか言いようがありあません。この価値観は、到底、多くの方にご理解いただけるものではありませんが、ごく一部の方々にはなんらかの参考になるんじゃないかと思い、こうして書いてみることになりました。
 そうですね、次回からは台所の“便利”についてお話ししてみましょう。貧乏を支えるのはなにしろ喰うことだってのが、僕の持論ですから。

 え? 僕の食費ですか? 家計簿をつけたことがないのでわからないですが、たぶん、六千円とか七千円とかじゃないでしょうか。あ、酒代も食費に入れなきゃダメでしょうか……。いやその、酒も食費ということになると、煙草の立場がかわいそうな気がするのです。ただでさえ、肩身の狭い奴ですからね。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。