VIVA! 昭和
居間、そこにある火鉢
 いまどき火鉢なんてなかなか目にする機会もありませんし、買おうとしたってどこで売っているのか調べることから始めなければならないような、ごくごく狭い趣味の品みたいな感じです。ましてや、僕のような貧乏人にとっては買うという選択肢はどうしても欲しければ千円とか二千円くらいのものならなんとかってなレベルですので、どこかに眠っている不要なものを見つける他に手だてがありません。
 しかし、貧乏なんていう世の中からすれば異質な暮らしをしておりますと、その中で生じる付き合いというのも変わってきます。居たんですね、不要な火鉢を持っているひとが。
 僕の住む石下町からそれほど遠くない町に工房を持つカヌー職人が余らせていた、藁灰たっぷりの瀬戸火鉢。五徳や火箸などはありませんでしたが、これらはそれほど高い物ではなく、数百円の出費と炭を買い求めるだけで、僕の生活に火鉢が加わりました。季節は丁度、夏の暑さが冷め始めた頃だったと思います。こうして僕は、貧乏を始めて三回目の冬を火鉢と共に迎えたのです。

 火鉢、ひばちと騒いでおりますが、もしかしたら火鉢をご存じない方もあるかもしれません。そんな場合は、大きな植木鉢を想像して頂けると近いように思います。もちろん底に穴は開いておりません。中には土ではなく灰を入れまして、その上で炭火を楽しむことができます。ご想像の通り、かつての暖房器具的な役割を果たしてきた物ですけれど、じゃあ現代におけるファンヒーターやエアコンなのかというと、答えはノーです。実際に火鉢のある暮らしをしてみればすぐに感じられる本質。火鉢は『火』なのです。居間に現れた台所の出張所、それが火鉢なのでした。
 確かに、火鉢はそれ自体が暖房器具としても役立ちます。秋の、日中は汗ばむような陽気から一転して訪れる夜の寒さ。かつて住んでいた、隙間風というよりは寒風の目抜き通りといえるような廃屋寸前の長屋での暮らしでは、寒暖差も砂漠並みです。十月の頃にもなれば、半纏を着込んでも足下から這いずり忍び寄る夜風に震えることもしばしばで、かといって、灯油ストーブを出すほどの寒さでもないし財力も乏しい。そんなとき、火鉢の中で静かに燃える豆炭の三つほどが、どれほど嬉しい暖かさであるかは、僕の体にすっかり染み込んでいます。
 けれど、やはりそのままでは所詮は火鉢。まさか火柱が上がるほど燃やすわけにもいきませんし、冬になって牙をむく、骨まで凍てつかせる震えには太刀打ちなどできません。江戸の頃ならば唯一無二の暖房だったかもしれませんが、江戸時代の人間だって炭の熱だけで無気力に寒さと戦ったわけではないのです。
 すぐ脇でお湯の沸くことの幸せ。米を潰して作った餅を模した固まりから感じる香ばしさ。土鍋の中でくくくっと煮える豆腐の湯気。冬の夜には北極圏に様変わりする台所へと立たずとも茶や白湯をすすれ、腹を満たし、体の中から暖まることのできる火鉢。こういう総合的な力こそが火鉢の役目であり存在意義です。スイッチを入れればそれだけで、空気を暖める以外にはなんら関与してくれない暖房装置と比べたならば、暮らしへの食い込み方は桁違いで、それは、薄い板一枚の壁と粗末な布団でも冬を乗り越えてきた昔の人々が刻み残したDNAみたいな感覚なのです。

 昭和三〇年代には、まだ火鉢も使われていたようですけれど、次第にその影は薄れていきます。台所で湯を沸かし、魔法瓶に移して居間へ。炭を熾さずともマッチ一本で火が着くガスの便利さは、生活を変えました。機密性の高い住居の登場で、夜に飲むお茶は体を寒さから守ることから嗜好へと変わったかもしれません。やがてガスも指一本で着火するようになり、終いには、ポット自身が電気でお湯を沸かしてくれる時代です。
 給湯ポットからは常に熱湯が供給されますが、歯が噛み合わないほどの極寒に、これを抱きしめて震えを止める姿を想像すると、なぜか哀れな気がします。レトルト食品を暖めるなんていう技も紹介されたりしますけれど、餅も焼けないし、干し芋も暖められません。火災の心配も僅かだし一酸化炭素中毒も起こさないでしょうけれど、そういうちっぽけな安全や便利と引き替えに、数多くの便利を失っている気がするのは、一体型ガスコンロと同様です。
 お湯が沸かせる、トーストが焼ける。クッキーも焼ける。炊きたての御飯を冷凍保存して、指一本でいつでもふっくら熱々に解凍。そういう便利な電気製品が幅を利かせておりますけれど、こいつらにはそれしかできません。火という本質であり根本を失った機器に本当の便利があるのか、というようなところが、おそらくは、僕と皆さんの『便利』を隔てる境界線かもしれませんね。包丁に穴が開いていてキュウリがくっつかないことが便利として捉えらている時代ですから、便利を理解できないのも仕方がないのですけれど。

 まあ、こんなことをちびちびと書いておりますと、ごく希に目覚めてしまう人もあるようでして、先日、僕のやっているウェブサイトで連載してくれている女性から「火鉢を手に入れました!!」と嬉しそうな報告がありました。でもよく聞けば、残念ながら現代では肝心の『灰』が手に入らないとのこと。日頃からお世話になっておりますし、僕の家では灰なんていくらでも湧いて出ますから、段ボールに詰め、お送りする約束をいたしました。
 僕の貰った火鉢には、すでに良質の藁灰がたっぷりでしたから、灰の入手なんて事が問題になるなんて考えもしませんでした。もし、この火鉢が空だったとしても、僕の暮らしならば庭で草木を燃やせばすぐに灰ができます。藁の灰ほど美しくはないにせよ、実用にはなんらの問題もありませんし。ええ、藁も今となっては高級品です。なにしろ、稲刈りの時に機械が粉砕して歩くのです。米の値段は下がったかもしれませんが、その影で、かつてはありふれた素材だった藁は、米よりも高く売られているのです。

 冬の間に温もりとおいしさ、そして灰を生み出してくれる僕の瀬戸火鉢。その灰は、空き缶に小分けされて簡易火鉢として活躍するだけでなく、とうとう、宅配便によって遠く県外へと進出です。
 今年の冬も、きっと大活躍してくれることでしょう。なにが嬉しいって、火鉢の火力は煮物にぴったりなのです。火力は豆炭の数で容易に操れますから、沸騰寸前の維持なんざお手の物。火鉢が生み出す料理のなかで、いちばん感動したのは牛筋のカレーです。素材の味がじわーっとした酷になる火鉢で煮込んだカレー。これ、下手なレストランで食べるよりもよっぽど旨いと感じちゃうほどの逸品なのです。

 ああ、カレーライスという響きも、実に昭和的ですね。カレーは敗戦後の救世主でもありましたから。そういうわけで、次回は台所と火鉢の華麗なるカレーの連携プレイをお届けします。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。