VIVA! 昭和
居間、そこにある火鉢
 ちょいと知り合いの所に顔を出しましたら、丁度よい具合で鰤大根が煮えていると言います。まあせっかくだからとご相伴にあずかりまして、日本酒と各種小皿が並ぶ中、適度に一杯だけ引っ掛けようかなあと、その、思ううちにですね、出された酒が、鰤大根との調和を重んじた旨さを醸すものですから大変です。
 結局、気がつけばもうすぐ朝が始まるってな時間まで呑み続けてしまい、さらには終盤に亭主が「咽が渇いた」などと口走り出してきたビールが富士山麓のわき水のごとき甘さでして、見事な二日酔いと相成ったわけです。
 酒も確かによい銘柄でしたが、やはり敗因は鰤大根だったと思えます。薄暗い、雰囲気のある空間にぽっと浮かぶような白い小鉢。その中に鎮座する鰤大根の黒いこと。いやあ、真っ黒に煮込まれた大根というのも、昨今ではなかなか見られぬもの。大根は別の鍋で薄味に煮込み最後に鰤と一緒にするなんて技を使えば確かに柔らかいのに白く輝く大根は演出できるわけですが、これでは、鰤大根としては飛車角落ち。鰤の味が黒々とした醤油と共に染み込んでこその、酒の肴なのです。居酒屋で肉じゃがを頼んだら、馬鈴薯の中が真っ白でほくほくだったなんてこと、身に覚えはないでしょうか。惣菜ならばそれもよいでしょう。けれど、酒の肴としてはやはり失格です。例えば、鰤大根の深淵にぽつんと潜む生姜の一切れ。これだけでも、日本酒の一合は呑めなければ嘘でしょう。

 一見、どこが昭和だという話になってきましたが、これも立派な昭和の匂いです。食卓に並ぶ御飯とおかず、それにみそ汁。でも、父親のところには御飯もみそ汁もなく、おかずが皆よりも一品多く出されていて、手元には徳利とお猪口。晩酌をするお父さんやお爺ちゃんだけに出てくる酒の摘みのことを、「あれは旨そうだった」とか「絶対に食べさせて貰えなかった」なんて感じに憶えている人は、聞いてみると割と多いものです。
 まあ実際は、じゃあ食べてみろと言われても子供の苦手なものばかりだったようです。そりゃ、酒の肴ですからね。苦かったり辛かったり酸っぱかったり、子供に食べさせるには塩分の強いものだったり。酒を呑まない子供に、つんつんと削るように崩して味わうような食べ物を与えたら大変なことになります。
 ちゃぶ台を囲んで家族揃って夕飯時を過ごした頃というのは、日本もそれほど裕福だったわけじゃありません。それでも、親父は晩酌できたし、酒の肴が一品出てきたのですから、たいしたものです。

 えーと、そういえば今回はカレーの話をするんじゃなかったのか、なんてことを覚えている方がそろそろ痺れを切らすかと思います。もちろんしますよ、カレーの話。戦後の混沌とした闇市で、真っ黒な鰤大根で酒を呑んでいたような家庭のちゃぶ台で、街の洋食屋さんで、人それぞれ様々な思い出に刻まれているのが、カレーライスという食べ物ですから、この連載で取り上げるにはぴったりなのです。
 すでに、海軍がどうのこうのとか、そもそもインドの食べ物なのになんで洋食なんだとか、その辺の基本は多くの方がご存じだと思います。明治五年に発行された西洋料理指南には、すでにカレーの作り方が載っていますし、明治時代にカレー粉も輸入されておりますが、この当時は、まだ庶民の味と言うにはほど遠い存在です。西洋料理指南なんて、現代の庶民感覚で捉えるならばフォンドボーの作り方みたいなものでしょう。作り方が手に入ったとして、仔牛の骨なんてどうやって手に入れるかという問題に直面します。ちなみに、西洋料理指南に書かれている、カレーに用いる材料は、葱、生姜、大蒜、バター、鶏、海老、鯛、蠣、それに赤蛙です。よほど気合いを入れなければ再現はできませんね、赤蛙ですから。
 そんなカレーライス、大正、昭和と進んできますと、国産カレー粉なども登場し、外食での値段も下がり、家庭にも徐々に浸透し、人気商品となってきたにもかかわらず、戦争と共にまた縁遠いものになってしまいます。芋のしっぽすら喰わねばならぬ時代にカレーなんて悠長なことは言ってられませんから、多くのメーカーが製造中止に追い込まれたようです。もっとも、軍隊にはカレー粉が卸され続けていまして、「辛味入汁掛飯」として兵士の腹を満たしたのでした。
 そして迎えた敗戦。空腹を抱えて闇市へ群がる人々の間に漂う、懐かしい、忘れかけていた、強烈な、スパイスの芳香。軍事物資をちゃっかり抱え込んだ人が始めたのでしょうか、カレーライスの屋台。戦後の混沌と共に、堂々の復活です。各メーカーもカレー粉や即席カレーの製造を再開し、昭和二九年には初の即席カレールーも出現。再び、カレーライスが家庭に戻ってきます。

 さあ、戻ってはきますけれど、ここからさらにカレーライス混迷の時代も始まります。カレーの具になにを入れるか、隠し味になにを使うか、なにを添えるか、現代でも意気投合したり喧嘩になったりの要素になりえるわけですが、これ、原因のひとつとして、昭和三〇年代に庶民の家庭で広く食されたことが挙げられるのではと思えるのです。
 戦後、家庭でカレーライスが持て囃された理由は、旨いからというだけではありませんでした。米の消費を抑えられる、そして、なんでも入れられることも、カレーが家庭料理の代表格にのし上がる要因です。まず第一に、人参や馬鈴薯をごろごろ投入することで、腹を満たせます。特に、カレーに馬鈴薯の組み合わせにはちょっとした歴史もあるんです。そういえば、先ほど紹介した西洋料理指南には、馬鈴薯が出てきませんね。それもそのはず。あの当時、まだ日本では馬鈴薯の量産はされていなかったのです。で、日本のカレーに馬鈴薯を投入したのが、“少年よ大志を抱け”でおなじみのクラーク博士で、米の消費を抑えるのが目的だったというのです。カレーで米の消費を抑えるという技は、明治の頃から用いられていたのですね。
 もうひとつ、なんでも入れられるというのは、経験者に聞くと本当に千差万別という感じです。昭和三〇年頃、家で食べたカレーライスに肉が入っていた記憶をお持ちの方は、たぶんそこそこの家庭に育ったはずです。じゃあなにが入っていたのか聞きますと、竹輪、魚肉ソーセージ、豆腐、油揚げ、鰯、などなど。いまでこそ、ダイエット用に豆腐カレーなんてものも存在しますけれど、それを化学調味料とは無縁のカレー粉と醤油だけで作られたら……やはりちょっとあまり旨そうじゃありませんね。実際、ちょっと裕福な友人の家や、東京の食堂で食べたカレーの旨さに驚愕したなんて話も、今の五〇代、六〇代からはよく聞く話です。そんな思い出を語ってくれる人でも、「俺の友達にはすき焼きは油揚げでやるものだと信じ切っていた奴が居る。下には下が居る」なんて言いますから、平成の世にあって同じようなことをしている僕も勇気づけられます。

 旨い鰤大根のおかげで、ちょっと話がふくらんでしまいました。貧乏人がカレーライスを堪能するための必殺技、牛筋カレーについては、次回にさせていただきます。まだこれを作るには冬の気配が少ないかなあと感じまして……というのは言い訳で、あの日の二日酔いで大幅に予定が狂ったというのが真実なのですけれど。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。