VIVA! 昭和
うどん
 そもそも昭和というのは人ひとりの人生を丸飲みしてしまえるかもしれないほど長く続いたわけでして、また、戦争などというものもございましたから、切り取る箇所が違えば事象も大きく異なってしまいます。そういう断面をあちこち見比べるのも楽しいものですが、昭和というひと時代をフィルム映画に見立て、二〇コマ間隙で一コマずつを切り出し、つなぎ合わせて映写する、なんてことをしてみるのも、なかなかに興味をそそられるものであります。
 べつに、膨大な参考書を用意して図書館に篭もり壮大なロードショームービーを作らずとも、少なからず昭和を生きてきたひとなら、さりげない日常の記憶、その断片から過去のコマを補完いたしまして、短い物語に纏めることは十分に可能なのです。
 そんな多数の物語のひとつに、僕は『作らない時代へ』というものが確実に存在していると感じます。この連載にもときどきもったいぶったように出てくる「貧乏人と世間での”便利”の違い」が、ここに潜んでいるのです。
 前回、カレーうどんの話を書いていて、ふと、うどんの記憶がちらほら蘇ってきました。これを繋げるだけでも、それなりの物語はできてしまいそうです。

 僕が小さかった頃ですから、昭和五〇年代の話。核家族・共働きという当時ではすでに珍しくもない家族構成の我が家におけるうどんは、買ってくるものとしてのみ存在していました。けれど、お店以外の場所で手打ちうどんを食べる機会も割と多かったと記憶しています。
 年に数回だかは、近所の家のお婆ちゃんがうどんを打ち、これがお裾分けとして回ってきましたし、どこかの家に行くと、やはりお爺ちゃんだかお婆ちゃんの打ったうどんが出てきたりもしました。家庭で打たれたうどんを食べること自体は、それほど珍しいと感じなかったと思いますが、うどんを家で打てるなんて凄いなぁ、なんてことを言って嬉しがられた記憶はありますので、当時の僕にとってみれば非日常のことだという位置づけではあったと言えます。
 ここでポイントになるのは、うどんを打ってるのが所変われど必ずお年寄りであったことでしょう。技術的に年寄りにでもならなければ打てないなんてことはないはずだし、一日仕事だから時間のある年寄りにしか打てないってなこともありません。単純に、当時の若い連中が打たなかっただけの話ですね。
 まあ、子供の頃の記憶なんてのは実に曖昧ですし、移動できる距離もポイントも、いまからすれば本当にささやかなものでしかありませんから、これだけでは時代のショートムービーどころか小学生の作文レベル。これだけで、当時の若い人たちがすでにうどんを打たなかったと結論づけるのは、馬鹿も休み休みのレベルです。でも、時を越えて平成となった僕の体験と幼い頃の記憶は、うどんの三文字だけでもそれなりに繋がってくるわけで、そうなりますと、ちょっと肉付けもふくよかになります。

 平成十一年一月、僕は貧乏に降りると称し、茨城県にある田舎町へと越してきました。この町で最初に住んだ物件は廃墟寸前の傾いた長屋で、大家は八〇歳を越えるジジイでした。高齢ゆえになんども同じ事を繰り返し聞いてきたりするかと思えば、家賃の徴収だけは絶対に忘れることがなく、期日を過ぎると元気な大声で集金にやってきたジジイも、二年後に体をこわし、その翌年には鬼籍に入ってしまったのですが、まだ元気だったある日、僕にうどんを打ってくれたことがありました。
 長屋に隣接するガレージ内で、まだ冬でしたからジジイも鼻水を垂らしながら、ええ、練鉢の中にも数滴ほどたらしながら、粉をこね、こま板と麺切り包丁で切り、ストーブで沸かしたお湯で茹でられたうどん。熱湯消毒を信じて口に運びますと、きちんと塩の利いた食感は、久々にうどんを喰ったなあという気にさせてくれました。
 こんな田舎町でさえ、僕がご馳走になったり話を聞いたりする限りではあるものの、うどんを自分の家で打つひとというのは、大家のジジイ以外にはおりません。大晦日に蕎麦を打つ青年はひとりだけ知っていますが、ハレの日の恒例行事という意味合いが強く、日常的な行為ではありません。
 ここで昭和五〇年代と大家のジジイを繋げてみますと、面白いことに、おそらくうどんを打ってくれた年寄りたちはみな、同年代なのです。僕の世代を産んだ親が昭和五〇年代当時で三〇代だとすれば、お爺ちゃんお婆ちゃん世代は五〇代、六〇代といったところ。五〇代を年寄り扱いすることに抵抗のある方もいらっしゃるかもしれませんが、そこはなにしろ子供の感覚です。幼い頃というのは、五〇代でも十分な年寄りに見えるのですから諦めてください。で、時間を平成十八年に戻しますと、当時のうどん打ちたちの年齢は少なくとも八〇歳を越えている……つまり、僕の生きてきた世界の中に限った話ではありますが、家でうどんを打つという行為は、戦前に成人していたくらいの人々を最後に途絶えている、かもしれない、という暫定結論が導き出せてしまうのです。

 とまあ、この辺の話は戦争と文化の関係に関わってきますので機会があればじっくりこねくりまわしたいところですが、今日は、小麦粉を練ってうどんを打ってみたいと思います。生地作りならば、よほど道具のない暮らしをしていない限りは簡単にできますから、ぜひとも挑戦してほしいところです。

 分量は食欲に応じて変えて頂くことになりますが、最初は小麦粉100グラムを基準に水50ccと塩を小さじに一杯ほど用意してください。塩は、少しくらい多くても茹でるときに溶け出してしまいますから適当でもよいです。僕もさじ加減は適当ですが、大さじ一杯くらい入れているかもしれません。
 練鉢なんて高くて買えませんから、いつもステンレスのボールで生地を練ります。ステンレスボールも十分高いですが、あるとなしとじゃ料理の幅が段違いですから、三つセットで四〇〇円なんていう出物を地道に探してください。ボールがなければどんぶりでもなんでも、粉がこぼれないように練れる形状のものならできます。そいつに小麦粉を振るって入れ、水に塩を溶かしたのをどばっと投入してひたすらこねます。粉をきちんと振るいにかけていれば、水を徐々に入れなくてもうまくいきます。笊でも茶こしでも振るえますから、面倒がらずに。
 うまいこと玉になったら、寝かせるなり踏むなりしてコシを出すのもよいですが、薄力粉を使う場合はたかがしれていますので、二、三分左右の手でキャッチボールするような感じで握ってやるだけでも十分です。
 どうも水が多すぎたかべちゃべちゃする、と感じたら、丸めている最中の生地に小麦粉を少しだけ振るって追加してやることも可能です。表面についた小麦粉も、こねくりまわせば吸い込まれるように同化してくれます。この工程、慣れれば五分程度。実に簡単なのです。

 問題は、ここから先の工程。技術的にはなんら難しいことはありませんし、道具も、ありふれたもので十分。ただ、この”ありふれたもの”が皆様のご家庭に存在するかどうかが、とっても不安でならなかったりするのですけれど。
 おっと、前振りが長かったせいで生地をのばすところまで書けそうにないですね。続きは次回にのばさせていただきます。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。