VIVA! 昭和
穴
 人生、長く生きていれば引っ越しの一度や二度はあるものです。
 田舎に大きな家を構える家に生まれたとしても、家業を継ぐのでもなければ結婚と共に家を出たりするでしょうし、跡継ぎでも、敷地内に離れを建ててもらってそこで新しい生活を始めたりします。結婚後しばらくはアパートを借りて二人きりの生活を営むなんて場合もありますけれど、そんな話を親に相談したならば、よしわかったと持っている土地にアパートを建て、そこに息子夫婦を住まわせてしまうなんて話も珍しくなかったりするあたり、田舎の凄さを感じさせてくれます。
 動物園に行きたいとせがむ王子のために動物園を作っちゃう王様みたいな話は、スケールを落とせば日本にだってごろごろと存在しちゃうのです。子供にせがまれてゲーム機を買い与えるなんて話も、発展途上国からすれば夢物語でしょう。日本製の高性能ゲーム機を裏ルートで仕入れて兵器開発に利用している人々が居るなんて噂もあったりなんだりで、生まれた環境やら時代やらなんやらが違えば、物の価値というのは大きく変わるのです。
 僕が住んでいる借家にも、様々な人が様々な環境で暮らし、引っ越していった痕跡が残っています。引っ越しの際、まず最初にやることといえば掃除でしょうけれど、僕の場合は、穴塞ぎから始まったのでした。

 いまの住処に引っ越してくる前、一応、見学と称して一度だけ訪れたのですが、二つの玄関をまたいで最初にある四畳半に足を踏み入れたときには既に「良い物件に巡り会えた」という気持ちでいました。そういう気分にさせてくれたもののひとつが、壁だったのです。所々にひびが入ったり割れたり擦れたりしてはいるものの、そいつは紛れもなく砂壁だったのです。
 砂壁というのは、その名の通り砂の吹き付けられた壁です。落ち着いた色合いや、光の加減で見え隠れする微妙な凹凸が見せる表情はまさに和室の壁という穏やかな趣を持っています。家の“呼吸”も妨げませんから、昔はアパートでも砂壁のところはありましたし、それほど珍しくもありませんでした。けれど、古くなると砂が落ちるようになることから、最近では徐々に見かけなくなってはいます。洋風建築の方が好まれているのも要因ではありますが、畳の部屋であっても、壁はプリントの壁紙だったりするとちょっと残念な気持ちになってしまいます。
 そんなわけで、この壁を見たときには随分と嬉しくなりまして、四方八方をじろじろ見ておりますと、どうも、視界に不似合いな外光が射し込むではありませんか。よく見れば、大小数々の穴が壁にぽっかりと空いていたのです。

 小さい穴は、テレビとアンテナを結ぶ同軸ケーブルのものでしょう。ドリルかなにかで穴を開けた後にこじって広げたようなのが、四畳半と六畳間にひとつずつ空いています。テレビの置き場所は、住む人によって、また、同じ人間が住み続けていたとしても変えることがあるでしょうし、一人一台の時代だし、もう場所も台数も様々です。逆に言えば、アンテナ用と思われる穴が二つで済んでいたことの方が奇跡なのかもしれません。僕はテレビを持っていませんから、この穴は、少なくとも僕が住む限りにおいては不要です。新聞紙を丸めて詰め込み、塞いでしまいました。
 そして、ひときわ目立つ大きな穴。これはどう考えてもクーラーのものでしょう。ホールソーで豪快に開けられた穴は、なぜか四畳半の同じ面の壁に二つもあります。でも考えてみれば、機種ごとに配管を通す位置も変わるのですから、住む人が変わるどころか、同一の住人であっても故障などで買い換えれば新たな穴を穿つのですよね。僕はエアコンも持っていませんから、これも新聞紙で塞ぎました。
 よく見れば、電話線までわざわざ壁に穴を開けて通してあります。さすがに電話は持っているので、これは穴も配線もそのまま使い続けています。もし、この家に最初から僕が住んでいたとすれば、必要な穴は電話線のものだけだったかもしれません。でも、社会人の時はもちろん、貧乏生活を始めてしばらくは僕もテレビを持っていましたから、もしかしたら小さな穴は空いていたかもしれません。人それぞれ、時代や環境、考え方の移り変わりによって、価値観は大きく変わっていくものなのです。

 穴を塞ぎ、掃除を済ませ、荷物を運び入れ、今の住処への引っ越しは完了しました。それから数年、一度だけ模様替えをしましたけれど、壁に新たな穴を穿つこともなく、僕もこの家も日々を過ごしています。もし、僕がこの家を去り、新たな住人が来たとすれば、きっとまた新しい穴が空くことになるでしょう。おそらく僕が生まれる前に建ったこの家は、3Cも三種の神器も知らずに生まれたのです。テレビアンテナもエアコンのドレンも通す穴を持たず、電話線すらも壁に穴を開けなければ通せない頃に建った家です。室内に洗濯機を置けるなんていう気の利いた環境もありません。なにかを導入しようとするときには、いちいち穴を開けなければならないのです。屋根には、テレビを持たないといういまどきとしては珍しい変人が住んだおかげで不要になったアンテナが所在なさげに立っていて、その隣にはずり落ちかけた温水器が辛うじて乗っかっています。その温水器のものであろう、もうひねってもお湯も水も出ない蛇口は、これまたやはり、風呂場の壁に不格好な穴を開けてつけられていました。
 時代が変わっても、この家は昭和の傷痕を残してくれていて、ちょっと擦ると指に二、三粒くっついてくる壁の砂が、時の流れを教えてくれます。便利を呼び込むために開け放たれた穴は、僕にとっては害虫の侵入を許す痛々しいセキュリティホールでしかありません。この穴を開けた主がなにを得たのか、なにか失ったものがあったのかは、僕にも、壁にもわからないことなのです。

 ちなみに、ネットで砂壁について検索をしましたところ、出てくるほとんどがリフォームについてのページでした。相談形式で情報を掲載しているものが目立ちますが、砂壁を再生させたいという相談もあれば、砂が落ちて嫌だから洋風にしたいという相談もあります。価値観なんていうのは本当に人それぞれなのですから、まず自分をしっかり持たないと、流されっぱなしになってしまいそうですね。
 穴を開ける前に、本当にそれでいいのか考える余裕は持って欲しいと感じます。家も、人生も。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。