VIVA! 昭和
収納
 筍の季節です。先日、アルバイト先の主婦から泥付きのものを大量に頂きまして、これまた貰い物の米糠で煮てあく抜きをし、だしと醤油でうっすらと味を付けました。こうしておくと、日持ちするうえに二次加工も容易で、そのまま炊き込み御飯の具にすることもできますし、もっと味を濃くして野菜など加えますと立派な煮物になります。台所では、まだしばらく春を満喫の日々が過ごせそうです。
 春といえば、花粉症の僕にとっては嬉しさも半減な惨状が数年ほど続きましたけれど、今年は飛散量も少ないらしく、ややありがたい春を過ごせました。が、昨夜、くしゃみをしたはずみでパソコンのキーボードに酒をこぼしてしまいました。もうすぐ杉花粉も終わりになるというところで気がゆるんだのでしょうか。中古を三〇〇円で購入した大切なキーボードですから、慌てて水洗いをして事務所に干してあります。うまくいけば、黄金週間の終わる頃には使えるようになっていることでしょう。
 そんなわけで、今回は予備としてとっておいた、パソコン付属の使いづらいキーボードで収納について書いてみようと思います。

 僕の持ち物には、服をしまうための家具が存在しません。かつては、会社員時代に使っていたプラスチックの衣装ケースなるものを何個か所持してましたけれど、よくよく考えてみればそんなものが必要なほど衣類をもってはおらず、すぐに歪んで使いづらくなってしまう粗悪なケースにしまっておくような服もまた、実はなくても困らない程度のものなので引っ越し前にケースごと処分してしまいました。季節外の衣類をしまっておくのに段ボール箱があれば十分で、これも柳行李でもあれば嬉しいところではありますけれど、なければないでどうにでもなるわけでして。
 ところがまあ、今の家に引っ越してみますと、四畳半にはタンスがあったのです。保存するほど古くはないけれどいまどきの家とはまるで異なる高度経済成長を過ごした家屋にはある意味で相応しいような、ベニヤ板のタンスが玄関脇の一角に埋め込まれているのです。いまどきのアパートなどでも、ちょっとしたスペースにデコラ張り合板の扉がついたクローゼットらしきものが埋め込まれていたりしますから、そんな時代のはしりかもしれません。なにしろ、両者とも合板であるところや埋め込み式であることが共通項なのです。

 それでも。表面の化粧板が樹脂製のいわゆるデコラではなく、一応は木でできているあたりが時代を感じさせてくれます。現在の住宅にはデコラがあちこちに使われていますが、昔は樹脂でできた素材もそれなりに高かったようで、子供の頃に応接間のあるような家に遊びに行きますと、応接間セットのテーブルなどに使われていたのを記憶しています。もちろん、机上には大理石風の灰皿があって、ソファーは黒光りする人工の革でした。いまでも会議室だとか公民館の折りたたみテーブルが木目調のデコラ張りなのは、この時代に培った“高級感”を装っているつもりなのかもしれません。
 ベニヤにせよ木目調のデコラにせよ、一目見ただけでそこにあるすべての物をチープに見せてしまう力を持っているのは確かでして、たとえば前述の応接間なども、もしかしたら灰皿は本当の大理石だったかもしれないし、ソファーは本物の革だったかもしれませんけれど、デコラ張りのテーブルがあっただけで、思い出す記憶から再構築した空間のそれすべてが見せかけだったと思い込めてしまいます。この手の製品が粗悪であることの多い過去の様々な思い出が、それをより一層増幅させてしまうのかも知れません。
 使い込んで細かな傷がびっしりと刻まれたデコラに朝日が射し込んだところを思い浮かべてみてください。そこに浮かぶのは、陰影ではなく、ただの傷です。プラスチックだのなんとか樹脂だのは、木や鉄とは明らかに異なる性質の持ち主です。使い込むほどに、その醜い本性を剥き出しにします。そこにあるのは風化ではなく劣化です。新しいときにはぴっかぴかだとしても、その風貌はやがて、流行らないドライブインの自販機コーナーにある切れかかった蛍光灯に照らされた看板とか、閉鎖された町工場の脂と埃でコーティングされたガラス窓の奥に見える腐敗した段ボール箱のように薄暗いくすんだ駄目さ加減を帯びてきます。くすんで色褪せて黒ずんだ表面で捉えた光を鈍く反射し続ける。これが、所詮は代替え品の限界なのです。

 さて、我が家の合板製備え付けタンスも、似たような末路をたどっています。一応、風化して表面がざらざらしてはいますけれど、やはりあからさまにベニヤの感触を剥き出しにしていますし、なにより、すでに引き出しは開かなくなっていますし、上段の衣類掛けも扉がきちんと閉まりません。これを直すくらいならば、いっそぶち抜いてしまったほうが清々するのですけれど、自分の持ち物ではありませんからそういうわけにもまいりません。死んだ一画として、静に居座らせるしかなさそうです。まあ、結局はここにしまい込んだ衣類も不要品だったとわかりましたから結構なことです。まあ、合板で作られたタンスが平成のいままで持ちこたえてきたのですから、大健闘なのかもしれません。
 書斎には、四畳半の埋め込みタンスよりもさらに古い茶箪笥がありまして、本棚代わりにつかっていますけれど、こいつは丈夫で重宝しております。ひとつかふたつ年上の女性からの貰い物で、その方のお婆ちゃんが子供の頃に使っていたという茶箪笥には、確かに、大昔の時間割が貼られたままになっています。作られたのは昭和初期なのか明治なのかはわかりもしませんけれど、僕が知る限りのかつての所有者は、きっと文机かなにかとセットで、ここがお前の一画だからと親から家具と共にスペースを与えられたのでしょう。多少のがたつきはありますけれど、平成のいまでも引き出しはスムーズに開けられますから、机上に置いておくほどではないけれどたまに使うこともある文房具などはここに入れてあります。風化してできた表面のなだらかな凹凸は、夕日に映えて落ち着きがあります。

 と、ここまで書いてみて、ああ、そうかと思うに至ったことがひとつあります。いまの住宅事情を考えたなら、陽当たりの悪い住宅なんて珍しくもなく、一日中を、室内をのっぺりと平均的に照らす蛍光灯の明かりで過ごすこともまた、日常なのだということは、僕にとってはついうっかり忘れてしまうことなのです。あの青白い均一の光に照らされた中であれば、風化した木目の映し出す陰影なんてものとは無縁である反面、射し込む陽光によって浮かび上がる傷痕の醜悪さとも無縁なのです。質感なんていうのは、もう、きっとどうでもいい世界なのでしょう。
 ここまで書き上げた、予備としてとっておいたパソコン付属のキーボードも酷い物です。この酷いキーボードも、普段使っている中古で三〇〇円だったものも、樹脂製だしメーカーも同一なのに、指が痛くてしかたがありません。酷いキーボードのアピールポイントといえば、一時期に流行った半透明であることくらいでしょうか。もちろん、僕にとってはそんなアピールもかえって厚化粧の保険セールス的な印象しか受けないのですけれど。指で押したときに素直にキーが下に降りなかったり、余計なキーまで触ってしまったりというのは、キーボードとしての基本的な役割を果たしているとは言えません。まだインクが入っているのは明らかなのに文字の書けなくなってしまうボールペンみたいで、苛々のもとです本当に。
 数十年の月日を経て開かなくなった合板の埋め込みタンスと、数ヶ月で歪んで開かなくなった樹脂製の衣装ケース。そういう五十歩百歩の優劣は、パソコンのキーボードにも存在するようです。合板でも樹脂でもいいですが、せめて、使える物を作って欲しいとは思います。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。