VIVA! 昭和
陶芸
 ゴールデンウィークに連休を堪能した皆様も、そろそろ休み疲れがとれて調子の戻ってきた頃でしょうか。けれどまあ、世の中には盆も正月も休みのない方々がいらっしゃるわけで、そうしますと、ハッピーマンデーだのなんだのと連休が増えるごとに辛さも積み重ねられていくのです。
 ニュースが報じる高速道路の渋滞。その陰には料金所だとかサービスエリアなどで働く人々がありますし、渋滞の向かう先では各種娯楽施設が手ぐすねを引いて待っています。どちらにせよ、連休を疲れずに過ごすのは難しいのかもしれません。どこぞの大型店では、トイレの浄化槽が処理能力を超えそうになるほどの人出で営業時間を短縮したなんて話もありました。郊外型の大型店なんてのは客も従業員も車で押し寄せますから、休みの人も、働く人も、高騰を続ける化石燃料を燃やして過ごした黄金週間だったわけですね。面倒な計算はしたくないので想像で書きますけれど、たぶん、日本がこの一週間で消費した燃料で一年くらい賄える国があってもおかしくはない気がします。一年はオーバーだとしても、半年、三ヶ月、一ヶ月と狭めていくと、該当する国はけっこうありそうな気がします。たぶん。

 連休中の僕は、アルバイトをしたり書斎に閉じこもったりと、要するにあまり変わらぬ日常でしたけれど、ひとつだけ、ちょっとした文化的活動に触れる機会がありました。今回は、初めての陶芸体験について書いてみようかと思います。
 一般的に陶芸体験などと申しますと、どこぞのカルチャーセンターやら陶芸の盛んな土地へ行っていくらかの授業料を払って教わりながら粘土をこねることを連想されるかと思います。まあ、ちょっとレベルが高くなりますと、知り合いに陶芸家が居て窯を持っているから遊びに行って体験させてもらったんだよなんて話もありそうです。でも、僕のやった陶芸はどちらにも当てはまりません。田舎の凄さというかなんというか……陶芸をしてみたいからとりあえず窯を造っちゃった知人が居て、その初釜が行われたので焼かせてもらったのです。

 写真のことなどなにも知らないのに写真家を目指した僕が言うのもおかしな話ではありますけれど、素人が陶芸を始めるのにまず窯を造るというのは、はたして近道なのか遠回りなのか判断できかねる話です。陶芸作品の制作手順として窯での焼成が不可欠であることは陶芸に興味のない僕でもわかることですが、柔道をやりたいから柔道場を建てちゃった、みたいなものと同じようなことだと思うと、中間の手順がごっそり抜け落ちているようにも思えます。ところが、卵が喰いたいから鶏を飼うことにした、というような話と似たようなものだと考えると、都会じゃあ難しくても田舎だとできてしまうからなあ、なんて納得してしまう部分もありまして、まあ、とにかく結論としては、土地を持っている人間は怖いというところでそれ以上は考えるのを止めておくべきという結論に達しました。
 それでも、やってみるかと手渡された紙コップ一杯分の粘土については、考えなければなりません。僕に陶芸の知識がないのは言うまでもありませんが、窯の持ち主だって、それまでの人生において陶芸の経験があるわけではないのです。陶芸教室のようにお金がかかるわけではありませんが、その代わりに、誰もなにも教えてはくれません。そんな僕の手元にあるコップ一杯分の粘土。小学校だか中学校のとき、たしか粘土で紐を作ってそれを重ねて筒状の物体にして素焼きのなにかを作った記憶はうっすらと残ってはいますけれど、気泡があって焼成中に爆発したような……。そういう、自分の不器用さを思い出させる嫌な記憶をひっぱり出しながら、台所での奮闘がはじまったのです。これが、僕の連休初日の出来事でした。

 困ったときはとりあえず台所に解決策を求めることで貧乏生活をやりくりしている僕ですが、粘土という新たな素材を処理するには、なかなかよい道具が見あたりませんでした。適度に広くて、汚れても容易に片付けられる場所としては最適ではありますが、作業場として目をつけたステンレスの台では、粘土がくっついてしまってあまり具合がよくないのです。いったん目を閉じ、頭の中にある数少ない陶芸のイメージを掘り起こしますと、そういえば、ロクロの台は木だったような気がしてきました。台所で木といえば真っ先にまな板が連想されますけれど、さすがにそれは使いたくありません。どこかに木はないものか。目を閉じてもそれ以上はなにも思い浮かばなかったので諦めて目を開けてみれば、飛び込んできたのは確かに木でした。表札でも作ろうかと洗って放置してあった二枚のかまぼこ板です。これならば、粘土が相手であろうとも惜しみなく使うことができるじゃありませんか。困ったときの台所は、今回も正解だったのでした。
 試しに、二枚の板で粘土を挟んでみましたところ、きちんと板状に押しつぶされるし、粘土と板も簡単に剥がれてくれました。はみ出した粘土を包丁で切り落としましたら、これはもう、まるでタタラづくりを用いた粘土板のようなできばえです。あとは四隅をうっすら持ち上げてやるだけで、なんだか皿のように見えなくもありません。まあ、こんなもんでいいだろうと、残りの粘土も次々と皿らしい格好に仕立てていきました。この手法で問題となりましたのは、なにせ板がかまぼこのものですのでそれ以上の大きさには作れないということでしたが、今回みたいに手段から目的を探す必要のある遊びで細かいことを気にしてはいけません。
 こうして作られた小皿四枚と極小皿二枚、ついでに箸置き二つは、一二〇〇度で焼かれました。僕はアルバイトがあって行けなかったのですが、塩と御神酒と榊を用意して釜開きを行ったそうです。冗談のような話も、ここまで来ると立派です。

 初釜だったらしい翌日、釜を造った知人の家にお邪魔をして、実際に釜と対面しました。ビニルハウス用ボイラーに使う灯油バーナーと耐火レンガで組み立てられた、背丈も幅も一メートルくらいのものですが、それは確かに釜です。乾燥した粘土だった皿も、本当に素焼きになっていました。これは確かに凄いですね、などと当たり障りのない会話をして帰れたならばそれはそれで幸せだったかもしれません。でも、僕は自分の皿に釉薬を塗るために呼ばれたのです。また、素人の作った拙い創作品の代表例みたいな奴と向き合わなければならなかったのです。月桂樹から花がぽろぽろと落ちてくる裏庭で、説明されてもちんぷんかんぷんな釉薬を、わからないので適当に塗布しました。で、できてきたのが、写真の皿です。

 小振りながらも、ワカサギの塩焼きとか背黒鰯の一夜干しならば乗せられるくらいの皿にはなりました。ぱっと見ただけでも、人の手によって作られたものであることがわかる一品です。こんな不格好な皿は、どこの店を探してもなかなか見つけられないでしょう。平らなところに置くとがたつきのあるのが特徴ですから、貧乏人の家には不似合いなランチョンマットみたいなものが必須かもしれません。
 でもまあ、化石燃料を燃やして作られた素人丸出しの粗末な皿ではありますが、作るという工程を経たからこそわかることもありました。縄文土器も弥生土器も、それは素晴らしく立派な物です。博物館に展示されている江戸時代に庶民が使っていたとされる食器も、そして、自分が使っている売られていた食器たちも、とても素晴らしい物なのだと思えてきます。
 割ってしまっても、皿なんて百円で買える時代ですけれど、逆に言えば、百円も出してあんな粗末な皿を買わなければならない時代なのかもしれません。少なくとも、自分で作った皿よりも粗末なものに金は出したくないと感じられたのは、この連休に得た大きな心構えなのでした。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。