VIVA! 昭和
明障子
 さすがにガラス戸やアルミサッシが当たり前の時代に育った僕ですから、子供の頃に、かつては窓も玄関も障子戸だったなんて話を聞いたときには「寒そう」と感じたものです。
 ところが、古くなって傾き始め、うっかりすると床の抜けてしまうようなボロ長屋では、たとえ窓がアルミサッシであろうとも隙間風だらけで極寒の冬を過ごさねばならないことを、貧乏を始めて最初の冬に知ったわけでして、障子戸と雨戸しかない家であってもしっかりと建てられたものなら、僕が住んでいた初代貧乏長屋よりも暖かかったのではなかろうかと思うのです。
 それから何年か経ち、いまの借家へと引っ越すわけですけれど、ちょっとだけ残念だったのは障子の少なさでした。

 ここで少し、洋間暮らしに慣れた現代人の方々に障子についての豆知識を差し上げましょう。いま、障子といえば十中八九、木枠の戸に障子紙を貼ったものを指します。障子戸と共に和室の戸として不可欠なものに襖がありますけれど、こいつも、実は障子なのです。
 厳密には、薄い障子紙の貼られた、採光機能を持つものを明障子、襖のことを襖障子と申しまして、平安時代に障子といえば、これは襖のことを指していたのです。源氏物語にも障子が出てきますけれど、これは、襖のことで、障子絵というのも、江戸時代みたいに障子に墨で屋号を書いたようなものではなく、襖に書かれた絵のことを言うのです。
 今、僕が住んでいる家では、“第二の玄関”と四畳半を隔てるための戸だけが明障子となっています。

 真新しい障子紙がぴしっと貼られた障子戸というのは清々しさに溢れていて、見ていて気持ちのよいものです。けれど、そういうものの維持には、とても手間がかかります。手間だけならまだよいのですけれど、ついでに、障子紙代も馬鹿になりません。僕の住む家も古いとはいえ現代のものですから、内と外が障子戸で隔てられているわけでもありませんし、障子の大敵である子供もおりませんから、酔って帰ったときに手のかけ方を間違えてずぼっと破くことくらいなものです。なので、そこは貧乏人らしく、穴が開いたならばそこに紙を貼ってしのぎ、大きく破れたならば、その区画だけを貼り替えることで維持しております。ごく小さな穴なんかは、気にせずにそのままにしてあったりもします。
 障子の穴を塞ぐといえば、昭和の頃には多くの人が目にしたと思われますのが花びらでしょうか。人に聞いても、障子を破いて叱られたことと、母親が紙を桜の花に切って穴のところに貼り付けていたことはセットで語られます。うちも穴が開いたら色々な花の形に紙を切って貼るくらいのことをしてもよいのかもしれませんが、なにせ手先が不器用なので、適当にじょきじょきと切って糊で貼り付けてお終いにしちゃっています。まあ、そのくらいのスキルは身につけていた方がなにかと便利でしょうから、暇なときにでも挑戦してみようと思います。
 ええ、そこまでやるなら丸ごと貼り替えちゃったほうが早いとか、障子紙の代金なんてたかがしれているとか、おっしゃる方もおられるとは思います。わかりますとも。真新しい純白はいかにも障子らしい気持ちよさを与えてくれます。でも、日に焼かれ、煙草に燻され、徐々に変色してゆく様をその身に染み込ませた障子というのも、これはこれでよいものだと感じるのです。それはもう、穴が開いたらそこだけ補修して使い続けてしまいたくなるほどに、なのです。

 実物は写真を見ていただければおわかり頂けるかと思いますが、大部分は、元々は白かったことも忘れそうな勢いで黄ばんでいます。これは、僕が引っ越してくる以前からそのままになっている区画です。湿気を吸い込んで染みになっているほどですから、もう、何年くらいそのままなのかもわかりません。中央部左下の大きく破れた部分は、撮影中にうっかり破いたばかりのほやほやですが、不用意に触れただけでここまで破れてしまうのですから、紙自体もそうとうに弱っているのでしょう。風情としては、深川江戸資料館にある実物大の長屋にある障子戸にも勝るくらいのエイジングというか劣化ぶりでして、ここまでくると、貼り替えるのも惜しくなってしまうのです。
 実際、昼間はあまりにもみすぼらしく感じられますが、この黄ばみきった障子が真価を発揮するのは、夜、裸電球に照らされたときなのです。四畳半に取り付けられた20W電球の弱々しい光は、なにかに当たって反射するほどの力もありません。でも、この汚らしくも感じられる劣化障子紙は、その光をすっと染み込ませたような、微妙な気配というか空気感を与えてくれるのです。

 まあ、水清ければ魚棲まずなどと申しますし、このくらいの廃れ加減のほうが、貧乏人には丁度よいと思えるのです。
 今夜あたり、さっき破いてしまった区画を貼り替えなければなりません。白い部分が斑に増えていくのも、それはそれでまたよろしい気がします。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。