VIVA! 昭和
書斎の変遷
 庭に紫蘇が生えてきました。
 いつでも紫蘇が使えたら便利だなあと想い、庭先に一株だけ植えたのが始まりだったのですけれど、翌年にはこぼれ落ちた種によって大繁殖をいたしまして、重宝しています。どうしても食欲の落ちる夏場は素麺と豆腐に頼りがちなのですが、これに一品、紫蘇の天麩羅を加えますと、幾分か食欲と元気を取り戻せるように感じます。
 梅雨に入り、はっきりしない天気が続いておりますが、これが明けますといきなり暑さに襲われ体調を崩しかねません。紫蘇の生長を眺めながら、体力を蓄えておかなければなあ、なんて考えています。健康に過ごすには、朝起きて夜に寝るという当たり前な生活が一番だとはわかっていても、相変わらず、昼に寝て夜に起きる生活を改められる気配は一向に感じられません。せめて、体重五〇キロは維持したいのですがどうなることやら。

 さて、そんな夜行性の僕が一番多くの時間を過ごしているのが書斎です。
 書斎を持つのが夢という人も少なからずいらっしゃるでしょう。貧乏人のくせに書斎があるなんて言うとそれだけで敵を作りかねないような気もいたしますが、これは逆説というかなんというか、貧乏人だからこそ書斎が設けられた次第なのです。しかも、最初の書斎から数えれば、いまの書斎は何代目にあたるのか忘れてしまうくらいに変遷を経ていたりもします。もちろん貧乏ですから、床から天井まで高くそびえる書架があるわけでも革張りの椅子と無垢板の机があるわけでもありません。最初は書斎とは名ばかりの、家の片隅でした。

 貧乏を始めて一年くらいは、本を読むのはもっぱら布団の中で、枕元に電気スタンドを置き、いくつかの書物を積み上げてあるような状態で過ごしていました。けれど、メモを取りながらとか、書き物の参考資料として本を捲るといった場合ですと、布団に寝っ転がっての作業はどうにもいまいちです。一番問題なのは、眠気に勝つ術がないということでしょうか。そりゃあそうですよ、掛け布団をひっぱりあげればいつでも熟睡できる体勢では眠くなったら寝てしまいます。
 そんなわけで、作業的に本を読んだり使ったりという際にはもっぱら喫茶店を利用しておりました。これまた贅沢な話に聞こえるかもしれませんが、コーヒーが飲み放題で五〇〇円、顔なじみなので何時間居座ったって文句も言われぬ場所でしたから、長いときは八時間くらい過ごせるよい店でした。ただ、店である以上は営業時間もあれば定休日もあります。結局、そういうスペースが家にも必要になって、書斎作りが趣味のひとつとなったのでした。

 初代の書斎は、本も並べられないような粗末なテーブルと椅子を廊下の突き当たりに置いただけでした。当時はまだ、会社員の頃に買った荷物が数多く残っていて、そんな荷物の中には背の高い折りたたみのテーブルと、これまた折りたたみの椅子があったのです。これらは、詳しくは著書『貧乏神髄』に書いてありますけれど、邪魔な荷物を一気に処分した際に捨てたかあげたかしてしまって今は残っていません。
 前面の壁がどうしようもなくボロで雰囲気が出ないので簾で隠し、その裏に電源コードを引いて電気スタンドを使えるようにしました。あまり強度のない机で、小型の辞典と僅かな筆記用具を置いておくくらいが精一杯でしたが、ここでウイスキーをちびちび呑みながら読んだのはアルビン・トフラーの『第三の波』だったことを今もよく覚えています。困ったことに、肝心の内容は曖昧な記憶しか残っていないのですけれど。
 書斎で呑む酒の旨さを覚えたのも、このささやかな書斎スペースでした。丁度、季節は夏でしたので、ガラスのコップに水を三分の一ほど注いだのをそっと冷凍庫に入れておき、夜、凍ったコップにウイスキーやらバーボンをとくとくとくっと注いで書斎へ持ち込みます。コップの底にへばりついた氷が陽炎のように溶ける様を眺めながら本を読む。しばらくすると、この氷が音もなく浮いてきて、酒も程よい口当たりになってくれます。虫の音や蛙の合唱、時にはなにを勘違いしたのか真夜中に喚きだす蝉の声を聞きながら、読んでるのか呑んでるのかよくわからない時間は過ぎました。

 雰囲気は嫌いでなかった初代の書斎、使い勝手はいまいちでした。壁一面を覆い尽くす書架とまではいかなくても、やはり手の届く場所に本棚がなければ立ち上がってうろうろしなければならず、ついでに言うならば、本とノート、煙草と灰皿を広げてしまうとグラスを置くのが精一杯で抓みが置けなかったのです。幸い、貧乏生活をしておりますと、テレビとか炊飯器とか電子レンジなどといった普通の方々ならば必須とも言える家電がどんどん不要になってきまして、住居にもスペースの余裕がうまれます。荷物を少し整理したこともあり、それじゃあ四畳半に書斎を移そうってことで作ったのが、確かこの写真の書斎だったと思います。
 ホームセンターで安い合板を買い求め、アイロン台についているような折りたたみの脚をねじで留めて机にしたところへ缶詰を柱にした本棚を設置。机の上にはビニル製のシートを敷きまして、小学生の学習机さながらにメモやらなんやらを挟んでおけるようにしました。いま使っている書斎に比べれば作業スペースはまだまだ手狭なのですけれど、これでも、初代から比べれば広々していて、なにしろ酒の他に抓みもきちんと用意できるのがなによりありがたかったのです。写真には写っていないのでこれも記憶が定かではないのですけれど、たぶん、照明は電気スタンドではなく、知人から貰ったゼットライトに変更されていたはずで、明かりの距離と角度の自由度が増したことから写真撮影にも重宝しました。酒を呑みながらの読書という点においても広がりを見せるだけではなく、写真撮影およびポジフィルムの整理、篆刻、ホウ酸団子作りやら習字まで、できることの幅も広がり、書斎に向かう時間が圧倒的に長くなったのが、この頃の書斎での出来事です。
 書斎に篭もるなんて言いますとなんだか響きもよいもので、知人などにも貧乏書生とからかわれたりいたしましたが、スペースとしてはなんのことはありません。四畳半の隅に、座る場所も含めてほんの一畳分程度でしかなかったのです。

 向きを変えたり装備を改めたり、板と缶詰で作られている本棚を増築したりして拡張してきた半坪の書斎は、今の家に引っ越しをすると共に役目を終えました。
 引っ越しの際に不要な物をことごとく処分したおかげで、生活の道具は台所と四畳半、押し入れで十分におさまってくれましたから、かつては一・六平方メートルだった書斎も、いまでは六畳間の大半がそれという出世を遂げることになったのです。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。