VIVA! 昭和
書斎の変遷2
 新しい年を迎えたのもつい先日のように感じられるほど、あっという間に今年も半分が終わってしまいました。六月に入っても肌寒く感じる日はありましたけれど、夏至を過ぎた頃から暑さも徐々に夏を主張し始めているように感じます。でも、七月になったとはいえ、まだ関東地方は梅雨なんですよね。
 日が照ると暑いとはいえ、風鈴も出しておりませんし、蚊取り線香も蚊が迷い込んだときに少しだけ焚くような、夏の予行演習みたいな日々です。実際、暑さに参らされた一日も夜になれば涼しさにほっと一息つけています。
 前回は、そんな日々にあって一日の多くを書斎で過ごす云々という話をさせていただきまして、引っ越しを機に部屋の一画から一室まるごとが書斎になったといったところで筆を擱きましたから、その続きをさせていただきます。

 引っ越してからも、書斎は使い勝手を改善するために少しずつあっちをいじったりこっちを変えたりなどしてまして、正確な変遷は覚えていなかったりします。以前の書斎と、今の家に移り住んでからの書斎を比べての覚えている限りでの決定的な違いは、まず、パソコンを同居させて書斎の一部としたことです。それまで、書斎にディジタル的なものが置いてあるのがなんとなく嫌だったのでパソコンは別の場所で使っていたのですが、引っ越しと、本を作り上げるのとが丁度重なってしまい、行き来するのがあまりにも煩わしいので一緒にしてしまったのです。まあ、絶対に来ないだろうと思っていたADSLが開通したり、インターネット上に無償で公開される情報の質と量も日に日に向上したりで、結果的には書斎の機能としてあってもおかしくはない存在になりましたから、いまではそれほどの抵抗もありません。ただ、やはり他の道具たちと比べるとふてぶてしいまでの存在感がありますから、配置だの配線だのに苦慮して、向きを変え、場所を変え、なんてのは日常茶飯事だったことは記憶に残っています。
 が、今の形に至り、それほど急激な模様替えは行わずともよくなりました。もうひとつの決定打、書斎として使っている六畳間の三分の一を占拠するだけの大きさを誇る巨大机を貰ったことで、作業空間としての書斎は満足のいくものになったのです。

 机の面積比で言えば、前回登場した書斎の四倍ほどはあります。写真に写っているプリンタは、これまた貰い物のA3サイズ対応という大きめのものですけれど、これが乗っている台は、前回の書斎で使っていた机なのです。パソコンのディスプレイはブラウン管の一七インチですから奥行きもかなりあるものの、机が大きいおかげで一メートルは離れることができます。パソコンを使いながらメモ用紙に文字を走らせたいときには、キーボードをずずっと奥に追いやってゼットライトを引き寄せますと、十分なスペースと光量の下で作業することができます。本を読んだり、ノートや原稿用紙に向かってびっちりなにかを書きたいとき、または写真フィルムの整理だとか諸々の手作業をこなす際は、横にずれれば広大な空き地に自由自在な道具の配置も可能となっていて、僕が求める機能のほとんどは、机上に広げられるようになったのです。
 もっとも、これだけ大きな、布団にも匹敵するだけの広さを持つ机さえあれば、開くと屏風のような大きさになる専門書籍を何冊も広げるとかいう人でない限りは満足のいく書斎を構築できることでしょう。問題は、それを実現できるかどうかというだけだろうし、けれどそれは、普通の人だととても難しいことだろうとも思います。
 僕がこういう書斎を持てたのは、貧乏だからなのです。

 僕にはテレビもビデオもありませんから、これらを置くスペースを考える必要がありません。パソコンやファクシミリはありますが、これらにはすべて、書斎の一機能として居場所を与えることができました。皆さんがテレビやオーディオを並べるかわりに、僕は、六畳間をまるまる書斎として、こんな大きな、家具屋さんで買えば配送は確実に二トントラックで作業員二名ってな机を迎え入れることができたのです。これを貰ってこられたのは持っている荷物が少ないからでしたし、もちろん、家庭を持たないことも大きかったわけです。家族のある方がいきなりこんなのを持ち帰ったりしますと露骨に嫌な顔をされるか烈火の如く怒られるか呆れられて口を利いて貰えないか……あるいはその全部を一度に体験することになっても不思議ではありません。
 家としての最低限は雨風を避け安心して眠るという機能です。そして、より快適に暮らしたいという思いは様々な文明を呼び込み文化として成熟していくわけですが、平成の世の中、それがちょっと行き過ぎているのではないかなあと感じています。テレビなんかは、特にアレなんじゃあないかなあと思ってしまうのです。
 昭和の頃、野球のナイター中継で外野に球が飛んだときに照明が映ると、カメラが切り替わるまではいつまでも照明の跡が残っていましたが、あれは、当時のテレビカメラは光を電気信号に変える撮像管という部分が強い光に弱かったからだそうです。テレビの方も、電源を入れてから数分間は、画面が安定しませんでした。平成となったいま、映像に光が焼き付くこともなければ、テレビも一瞬で鮮明な画面を映し出しますから、昔に比べれば随分と観やすくなったのは確かでしょう。音もステレオだのサラウンドだのといった感じで格段に向上しているらしいですし、録画も最近はテープじゃなくてDVDで行えるとか。でも僕は、それがいったいどうしたのかと感じてしまうのです。見た目が綺麗になって、その分だけ中身も向上しているのならば言うことはありませんが、僕みたいな偏屈だけでなく、家に帰ればとりあえずテレビのスイッチを入れるような人ですら、「地上波デジタルになったらテレビやめようかな」なんて言っていたりすることが、技術革新にすがって延命を図っているだけのテレビの現状を表しているのではなかろうか、なんて思えます。見てくれだけを向上させる文明の中で、昭和以上のテレビ文化を演出できるテレビマンが居るのかどうか、僕にはわからないし、別にもう知りたくもないですけれど。
 テレビというペースで考えさせられるよりは、自分のペースで考えるための場所。貧乏になって、いろいろとそぎ落とした結果に得たのが、一部屋まるまるを使った書斎という次第です。

 まあ、僕もいきなりこんな机で書斎をこしらえたわけではありません。最初は廊下の突き当たり、次に一畳。引っ越してからも、畳一畳分の机にパソコン用の机を並べて凌いできて、巨大な机が放出されると聞いて飛びついた結果がこれです。書斎の本質は考え行動して“なにかを得る”ことですから、大きさで優劣を競うような馬鹿げたことが目的でもありません。 でも、不要なものを切り捨て、必要な物だけを得て、それを育てていくと、こうなってしまうのが必然のように思えます。
 もし、書斎を持ちたいけれどなかなか状況が許さなくて……と思っている方がいらっしゃったら、その代償として捨てたってちっとも困らないなにかを探してみれば、小さな文机のひとつくらいは置けることでしょう。手頃な箱に板を渡しただけでも、あなたがそこでなにかを得られたならば、そこは立派な書斎です。あなたに家族があったとしても、そのスペースが必要不可欠であると認めてもらえれば、あなたの書斎を不可侵の対象としてくれるかもしれません。僕のように、なんにも手につかなくてもとりあえず書斎に向かって朝までうんうんと唸るだけで気がつけば窓の外が明るい、なんてことを繰り返すだけでも、それは可能かもしれませんよ。
 その書斎がどう育つかは、あなた次第ですね。僕も、この書斎でまたなにか分不相応なことを企んでみようかと考えています。せっかくのよい環境も、使う人間がアレではただのゴミですから。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。