VIVA! 昭和
煙草盆
 煙草盆などと申しますと、ご存じの方であってもお茶席でのマナーだとか博物館とか資料館の展示物的なところを想像されるのではなかろうかと思います。年配の方ならば、子供の頃に爺さんが使っていたなあ、なんて思い出もあるでしょうか。
 昔、紙巻き煙草の無かった時代には喫煙に煙管が使われていました。刻み煙草という、煙草の葉を刻んだだけのものを煙管に詰め、火入れの炭で火をつけて、吸い終わったら灰落としに捨てる。そういう一連の動作の為の道具を乗せておいたのが煙草盆です。まあ、時代劇なんかで見かける光景ではあっても、平成の時分に現役で使っている人はもう僅かでしょう。紙巻き煙草は明治十七年頃には国産の物が出始めていますし、時を同じくして国産マッチも登場しています。戦時中、煙草が配給制になったときも一応は紙巻きで、成人一日六本という決まりだったようです。当時はもうめちゃくちゃで、煙草の葉と紙が別々で支給されたり、刻みでの支給になったりはしたようですが、刻みだとか葉っぱだけが手に入った場合、これは闇煙草も含みますけれど、そうしますと辞書の紙でくるんで吸ったなんて話はあちこちで見聞きすることができます。そこまでして紙巻きで吸うのですから、この頃には煙草といえば紙巻きと相場が決まっていたのでしょう。もっとも、落語家の桂米朝によれば配給の煙草の“粉”は煙管だとすぐに詰まってしまって吸えなかったそうで、まあとにかく煙管の出番はそう多くはなかったようでして。
 そんな、日々の暮らしからは遠ざかってしまった煙草盆ではありますけれど、僕はこれを愛用して煙草を楽しんでいます。平成の世にあっても、貧乏人には煙管がよく似合うのです。

 今、煙草と言えば紙巻きは当たり前ですし、フィルターが付いているのも当然のことです。昭和三十二年に、国産では初となるフィルター付き煙草『ホープ』が登場し、三年後にはあの『ハイライト』が発売されています。昭和四十三年にはこのハイライトが煙草の売り上げ世界一になり、フィルター付き煙草の地位は不動のものになります。僕の生まれたのは昭和四十九年ですけれど、物心ついた頃には両切り煙草なんて見る機会もなく、それはずっと後、平成になってから、より詳しく言えば貧乏に降りてからとなりますけれど、かつて国民の煙草と謳われた『しんせい』ですら見た記憶がないのですから、僕がそうであったように、いまだにフィルターのない煙草が売られていることすら知らない人が居ても不思議ではありません。現在、僕が好んで吸っているのは、日本に現存する最古の国産煙草『ゴールデンバット』でして、発売は明治三十九年のことですからもちろんフィルターなどありません。そのため、煙管との相性は抜群なのです。
 フィルターのない両切り煙草には、愛煙家であっても躊躇する吸いにくさがあります。昔のそれは机の上にとんとんと打ち付けていれば巻かれた葉が偏っていって吸い口ができたようですけれど、現在の煙草ではさすがにそれはありません。慣れていないとすぐに口の中が煙草の葉でいっぱいになってしまいます。そこで登場するのが、煙管というわけなのです。

 貧乏を始めて間もない頃は、僕もフィルターの付いた煙草を吸っていました。当時は月の生活費が十万円前後だったように記憶しておりますから、今からすれば随分と潤滑な暮らしぶりだったのですけれど、それでも一日に三食が浮くとなれば無条件で手伝いに駆り出されたりしていました。そんな活動の一環で引っ越しの手伝いをした際、その家から古い煙管が数本、出てきたのです。ゴールデンバットという煙草の存在と煙管の入手、どちらが先だったかはもう記憶が定かではないのですが、そのときに煙管を一本譲り受け、僕の生活に煙管でゴールデンバットを吸うという概念が生まれたのです。
 喫煙に煙管を用いるという行為は、それほど苦労もなくすぐに馴染みました。なにせ、ゴールデンバットの値段が当時で一一〇円、今でも一四〇円ですから、ほかの煙草に比べれば半値です。それだけでも十分に魅力的な宗旨替えなのに、煙管ならば、煙草一本を三分の一ずつに切って吸うなんていう芸当まで可能なのですからなおさらに嬉しいではありませんか。バット三分の一で、それまで吸っていた煙草一本分の満足が得られましたから、煙草に関する費用は半分の上に更に三分の一です。そして最も重要なのは、バットにはフィルターがないということ。その一本まるまるに煙草の葉が詰まっているわけで、フィルター部分以外は税金のために燃やしているのだなどと揶揄される現代においてパッケージの中身まるまるを摂取できるというのはなによりもありがたい事実なのです。ここまで魅力的な条件が揃ってしまえば、習慣なんていうものはいくらでも変えることができてしまうのです。
 そしてなにより、煙管で吸う煙草というのは、喫煙をより喫煙らしく落ち着いた物にしてくれたのです。

 僕の煙草盆は、骨董品屋に並んでいるような洒落たものではなく、素麺かなにかが入っていたらしい木の箱に必要な物を並べただけの物です。それに乗っているのは、竹を切っただけの灰落としと、バットをそのまま吸うこともあるので灰皿代わりに秋刀魚の蒲焼きの空き缶などといった実用一点張りの品々。火入れは、いちいち炭を熾しておくのも面倒なので省略し、その代わりに徳用マッチの箱を置いてます。徳用マッチといえば我が家の台所はガスへの点火にもマッチが必要ですので、そう考えますとマッチの消費量は一般家庭のそれを大きく突き放すのではないかと思われます。あとは煙管と、バットを切るための鋏。この二点は、出かける際には煙草入れやライターと一緒に巾着へとしまわれます。さすがに、小さなマッチ箱では外出の際には本数が足りず、一時期は徳用マッチも持ち歩いたりしましたけれど、さすがに邪魔なのでオイルライターに落ち着いたという経緯です。これらの乗った煙草盆は、家の中あちこちに運ばれ、常に傍らに鎮座させて供としています。
 四畳半で洗濯物を畳みながら、事務所で本を読みながら、書斎で一晩中、ちょっとした息抜きに煙草盆へと手を伸ばし、バットを三分の一に切って煙管に詰める。徳用マッチを持ち上げて、まだ擦れそうな所を探して火をつける。吸い終わったら、灰落としの縁を軽く叩いて雁首から灰を落とす。時間にすれば二、三分の出来事ですけれど、いちいち手間のかかることが喫煙というゆとりを余計に楽しませてくれて、なんとも気分がよくなるのです。これから寒くなると火鉢に炭を熾しますけれど、これを火ばさみで拾い上げて煙草に火をつけるというのもちょっとした楽しみです。火鉢の暖かさが少し増すような、そういうひとときでもあります。煙草盆を使った喫煙が箱膳の御飯だとすれば、フィルター付き煙草はファーストフードだといったようなことが言えるのかなあ、なんて思います。

 そんなゆったりした喫煙の反動かどうかはわかりませんが、最近は外に、特に東京へ出かけるのが億劫になっております。うかつに街中で火をつけますと路上喫煙禁止だったりしますし、ちょっとした広場にも灰皿など見る影もありません。なにせ貧乏ですから煙草を吸う度に喫茶店というわけにもまいりませんで、けれどそんな喫茶店ですら迂闊に入ると禁煙だったりするのですから、中毒末期症状の患者としては心の安まる隙がありません。東京では一区切りごとに二〇〇円ほどを握りしめ、喫煙所のあるコーヒーショップで泥水を啜りながら三本ほど立て続けに吸って店を出るという状況ですし、こんな田舎でも禁煙の店が多くなってきているほどですから、ついに出かけるときは煙管を持ち歩かなくなりました。気持ちよく煙草を喫める場所は、いずれ自分の住処だけになってしまうような勢いで閉め出されている現状を目の当たりにしますと、喫煙が大衆文化だった時代は終わってしまったのかなあと寂しくなりもします。

 なんて話を馴染みの店で話しておりましたら、いつの頃からか、カウンターに座ると煙草盆が出てくるようになりました。「客あればお茶より先に煙草盆」なんて川柳が思い出され、ゆっくりとした時間を過ごせる数少ない場所となっております。
川上卓也(かわかみ たくや)プロフィール
1974年生まれ。全日本貧乏協議会会長。不況長引く現代を貧しくも力強く生きる貧乏人にとっての啓蒙を促し、21世紀における貧乏の定義を確立すべく活動中。著書に『貧乏神髄』(WAVE出版)がある。